モンゴル放浪記Vol.2

モンゴル放浪記
Vol.2

世界に羽ばたくため、Numeriを世界に知らしめるため、ワールドオフの第一歩としてはるばるモンゴルまで自費出版の「ぬめり本」を売りに行ったお話の続きです。

前回までのあらすじ
飛行機に乗り遅れないように前日からホテルに泊まって準備していたのに見事に寝坊、とても海外に行くとは思えない貧乏臭い格好で韓国へ。7時間という拷問に近い乗り換え時間を経てモンゴル国、首都ウランバートルへ。そこでは「うまエキス」が出迎えてくれて微妙にアンニュイ、と言った所です。空港建物から飛び出して本格的にモンゴル入りしたところからお楽しみください。


さあ、モンゴル。泣いても笑っても異国です、価値観も違うでしょう、生活様式も違うでしょう、何より言葉もお金の単位も違うのですから想像を絶する毎日が、それこそホットな毎日が繰り広げられるに違いません。そう、燦々と照りつける太陽が身を焦がすゴビ砂漠のようなホットでドライな日々が。意を決し、僕は空港の出口ドアを潜り抜けてモンゴルの空気を吸ったのでした。

びゅううううううううううううううう

寒いわ、ボケ!

なんじゃこりゃ、死ぬほど寒い。恐ろしいほど寒い。身に突き刺さるブリザードとはまさにこのこと、あまりの寒さに「マーマ」とかキグナス氷河のように呟きそうになるのですが、ここはグッと我慢。それでも唇が、詳細に書くと口唇がガチガチ震えるほど寒い。何かが決定的に話が違う。

出発直前、サイト上で「モンゴルでオフする、行って来るぜ!」と宣言したのですが、それを受けて親切なヌメラーさんが「モンゴルお徳情報」みたいなメールをくれたんですよね。

「モンゴルにはストリップショーをするナイトクラブがある」

「モンゴルにはアナルファックができる売春宿がある」

などとロクな情報が、むしろ、クソというか頭の中に何か沸いているとしか言いようのない情報だったですが、そんな中にあって僕の体を気遣う優しさがキラリと光るメールが何通かあったのです。

「真夏のモンゴルは暑いです、気をつけてください」

「この時期のモンゴルは直射日光がすごいです、日よけと暑さ対策は万全にしておいてください」

このような菩薩的なメールを受け、僕は真剣に「この時期のモンゴルは暑すぎて死ぬんだ、まるで南国だな。日本より北にあるのに南国とはこれいかに」と理解、南国に行くなら南国らしく薄着でいくしかないぜ!と妙に意気込んでしまったのです。

結果、僕の荷物の中には近所のジャスコで買った無地の半袖Tシャツが10枚鎮座するのみ。あとは替えのパンツくらいしか入ってませんでした。そう、本気でモンゴルは南国並みの暑さと理解し、ガチでTシャツしか持って行かなかったのです。長袖も何もなし。暑さ対策は万全だったけど寒さ対策がゼロなんですよ。

周りを見回すと、モンゴル人どもはみんなコートとか着ちゃってます。暖かそうなコートを着て、空港で家族を出迎えて満面の笑み。家族の団欒的暖かさもあれば、コートを着て肉体的にも暖かい最高の状態なんですよ。

僕はというと、クソ寒いのになぜか半袖Tシャツのみ、季節感のない、オールシーズンで半ズボンをはいている頭の悪い小学生みたい。おまけに異国の地の空港に降り立って一人。肉体的にも寒いし心も寒いんですよ。ヌメラーからの情報を真に受けてTシャツしか持ってこなかった自分が憎い、殺したいくらい憎い。でも、南国を本気で真に受けてアロハとか着ていかなくてよかった、などと思ったのでした。

そんなこんなで、頭の可哀想な小学生状態と化した僕は、寒さに耐え切れずタクシーに飛び乗ります。空港前に停めてあったタクシーに乗ったのですが、その辺を普通に走ってそうなオンボロの車がタクシーとして営業してました。料金メーターすらないのが妙に怖い。

全然言葉が通じないのですが、身振り手振りでなんとか「ホテル」という言葉は分かってくれたらしく、一路ウランバートル市内のホテルに向かってタクシーは走ります。夜の11時を超え、すっかりと日の落ちた暗黒の道路を40分ほど走ってウランバートルの中心地へいったのでした。

中心地に入ると何とか都市的に町が発展しており、ネオンの光やら街灯やらが煌びやかに光って、さすが首都、と納得する光景が広がっていたのですが、いかんせんネオンサインが読めなさ過ぎる。全く持って未知の文字で書かれても意味不明、やはりモンゴルは異国だなあ、などと思ったのでした。

そんなこんなでタクシーはウランバートル市でも比較的高級なランクに位置されるホテルに到着。一体いくらボラれるか心配だったタクシー代も3ドルほどでした。安すぎる。というか料金の基準がいまいち明確に分からない。

さすがに高級ホテルだけあってホテルのフロントでは僕のムチャクチャな英語でもなんとか通じて無事にチェックイン。高級ホテルのくせに、立て付けが悪くていきなりドアが開かないだとか、部屋の電話が通じてないだとか、ベッドメイキングがされてなくてシーツがベロベロだとか、クーラーがなくて巨大な中国産の扇風機があるのみだとか、シャワーから出てくる水が本当に水で冷水といって言いレベルだとか面食らいつつ就寝。なんとか遠い異国の地で眠りについたのでした。

翌朝。

いくら寝てもいくら寝てもカーテンの隙間から漏れてくる光は皆無で完全な闇夜。何度か目が覚めたのですが、その度に真っ暗な部屋の中を見て「なんだ、まだ夜か」と二度寝三度寝と繰り返したのでした。さすがにおかしいってんで何度目かに目が覚めたときに腕時計を見てみるとなんと時間は昼の11時。

そんな、昼の11時なのに確かに外は真っ暗だぞ。この時期のモンゴルは日が長く、夜の11時くらいまで太陽が沈まず外が明るいとは聞いていたが、もしかしたら朝は太陽が昇るのが遅いのか、などとあまりの驚きに飛び起きて窓の外を見たのです。

すると、なんてことはない、普通に太陽が出て昼間だったのですけど部屋に陽の光が入らないのも納得、なんと窓から5センチほど離れた所が思いっきりコンクリートで打ち固められていたのです。もうそりゃ容赦ないほど完璧にコンクリート。ここは監獄か。

そんなこんなで、相変わらずTシャツ姿でホテルから飛び出しいよいよモンゴルオフ当日。オフ会自体は夜の7時からなのでさすがに昼近くまで寝ていたとしてもまだまだ時間があります。暇つぶしがてらウランバートル市内を散策することに。昨晩は異様に寒かったのですけど、どうやらそれは夜だったからだようで、昼間は太陽が照っているとかなり灼熱。時折、雲が空を覆うと湿度も低く、Tシャツ姿で過ごしやすい感じでした。

スフバートル広場
画像
画像

異様に広い広場です。文字通り広場。町の中心に鎮座し、その正面には政府庁舎が威風堂々とそびえ立っております。ちなみに、この政府庁舎を写真に撮ってるところを関係者に見られると怒られたりする。

インターネットカフェ
画像

実はモンゴルはインターネットカフェ発祥の地だという噂があったりなかったり。でもこの佇まいの怪しさはとても入る気になれない。こんなのが発祥の地であるものか。値段は1時間600トゥグリク(約60円)程度。看板のペンティアムのマークが泣けるほどに勇ましい。

そんなこんなで、オフまでの時間、町を散策しつつ色々な物を見てきたのだけど、そこで少し奇妙な現象を発見したのでした。

画像

電話機をもった人がかなりの人数立っている。

町中の至る所にですね、それはもう「家から持ってきました」的な豪胆な電話機を持ってる人が数多く立ってるのですよ。それこそ子供から大人まで、老人までもが電話機持って街角に立ってるの。

画像

最初は、モンゴルではそういった奇抜なファッションが流行してるのかと思いましたよ。モンゴルのトップモデルが「電話機を持つのが私のナウいオシャレスタイル」みたいなことをモンゴルのノンノ的なファッション雑誌で発言、それで一気に火がついちゃったのかもしれません。なんとまあ奇抜なファッションだぜ!

とか思ってたら、どうやらこれは携帯電話があまり普及してなく、おまけに公衆電話が皆無なモンゴル特有の光景のようです。つまり、比較的普及している家庭用の無線電話みたいなのを持ち出して街角に立ち、そこで公衆電話の代わりをして小銭を稼ぐ、そういうものみたいです。

画像

ですから、電話をかけたくなったらこの人に金を払って電話をする、というう、なんとも落ち着いて会話できなさそうな状態になるわけです。こんなに間近で聞かれてたらテレホンセックスもできない。

そんなこんなでウランバートル市内を徘徊していたら、いよいよオフ会待ち合わせ時間の夜7時か近づいてきました。さすがにこの時期は夜11時くらいまで日が沈まず明るいというだけあって、7時近くでも昼間のように全然明るい。一体どんな猛者がモンゴルオフに現れるのか、期待に胸を膨らませて待ち合わせ場所であるナムラーダイル公園に向かいました。

ナムラーダイル公園
画像
画像

結構広い公園のようで、中には競技場があったり遊戯施設があったりと盛りだくさん。その割には人が全然いなくて、そこら辺の茂みの中でアベックが熱烈にまぐわってそうな隠微な雰囲気がするのですが、恐れることなく進みます。ちなみにここは日本大使館のすぐ近く。

画像

すると、いきなり意味不明な人形がお出迎え。微妙に永沢君みたいで笑える。なんでモンゴルまで来て永沢君に出会わなきゃならないのだろうか。

画像

その横には版権ギリギリの人形が。これだからモンゴルは恐ろしい。

画像

こちらの遊戯施設も版権ギリギリ。これだからモンゴルは恐ろしい。

画像

中には屋外に放置されたビリヤード台も。かなりの盛りだくさんっぷりです。この公園、一日中遊べるんじゃないのかな。

画像

これはお化け屋敷っぽいのですが、もちろん営業してませんでした。というか、看板が別の意味で怖い。なんだ、この蹴りをだしてるオッサンは。

画像

観覧車も回っております。剥き出しのゴンドラが安全対策皆無であることを物語っています。乗ろうかと思ったのですが、誰も乗っておらず、おまけに周囲に人は皆無、どこでチケット買うかも分からなかったので乗りませんでした。

公園内をフラフラしているといよいよ約束の7時に。一体どんなヌメラーが来てくれるのかとドキドキしつつ、ぬめり本を目立つように手に携えてさらに公園内を徘徊しましたよ。

もしかしたら、モンゴル転勤を命じられた日本のサラリーマンさんとか来てくれるかもしれません。

突然命じられたモンゴル支社への転勤。行きたくなかったが所詮は会社という組織の中に属する身、愛する彼女を置いて彼は遠きモンゴルの地に降り立った。

仕事は順調だった。モンゴルの生活習慣にも慣れた。けれども一つだけ気がかりなことがあった。それは、日本に残した彼女からのメールが日増しに少なくなることだった。

最初は、「私もお金貯めてモンゴルに遊びに行くからね!」「早く会いたいよ」といった内容のメールが毎日届いていた。なのに、それが今ではサッパリ。たまに来たとしても内容は冷ややかなものだった。

彼は日増しに彼女の心が離れていくのを感じ取りつつも、それでも彼女を諦めなかった。それだけ彼女のことを愛していたし、それ以上に彼女のことを自分の中の遠い祖国、愛する祖国、日本国との接点だと感じていた。

ここには日本を感じられるものが数少ない。街中には異国の文字が溢れ、日本語表記など「うま エキス」くらいしか存在しない。この地は日本が薄すぎる。そんな彼の望郷の思いを受け止められるのは愛する彼女しかいなかった。

彼女のメールに書かれている日本での日常生活の話、流行のテレビ番組の話、バイト先の嫌な先輩の愚痴話、全てが「日本」だった。そんな彼女を失うのが何より嫌だったし・・・怖かった。だから、彼は離れ行く彼女の心をなんとか繋ぎ止めようと必死だった。

「今度さ休み取れたら、俺、ちょっと日本に帰国するよ。そしたらさ、芳江が行きたがってたディズニーランド行こうぜ。モンゴルはそういった娯楽があまりないから俺も行きたいんだ」

それでも離れて行った芳江の心を捕まえることはできなかった。

「ごめん、高志・・・私・・・好きな人ができたの・・・ごめんね、高志・・・」

最愛の彼女を、日本との繋がりを失った高志は苦悩する。そして、そんな高志が見つけたのが日本の変態サイトだった。

Numeri・・・?

そこにはオナニーという単語が踊り、加齢臭のしそうな20代後半男性の日常生活が綴られていた。

「これは・・・俺の求めていた日本。日本じゃないか」

高志は遠き日本に思いを馳せ、今日も更新が少ないNumeriを閲覧するのだった。

とまあ、こんな人が勇み足気味にオフに参加してくれるかもしれません。そうでなくても、課長との不倫に身を焦がし、それが社内でバレそうになると保身に回った課長によって解雇され、不倫相手と職を同時に失った20代後半OLとかが自分探しの旅にモンゴルに来ていて、ついでにとオフに参加してくれるかもしれません。もしくは大学で日本語を専攻し、日本に興味津々のモンゴル人だとか参加してくれるかもしれません。

一体どんな猛者が参加してくるのか。果たして持ってきた「ぬめり本」10冊は足りるのか。足りなかったらどうしようか。せっかく来てもらって本が足りないとか申し訳なさ過ぎる。集まった人たちはモンゴルに詳しいだろうから美味しいモンゴル料理の店とか連れて行ってもらって二次会しちゃおう。ウオッカとか飲んじゃったりして!とまあ、そんな期待と不安が渦巻く中、いよいよモンゴルオフが始まったのでした。

NumeriワールドキャラバンVol.1
開催日7月19日 PM:7:00
開催場所 モンゴル国 ウランバートル市 ナムラーダイル公園
参加人数 0人

画像

誰も、来なかった。

おいおい、すごいな。総スカンとは。これまでにも本を売りにいって誰も来なかったってのがNumeriキャラバンの茅ヶ崎であったんですけど、モンゴルはそれ以上。茅ヶ崎の場合、一般人とかいて「あの人もしかしてオフ参加者?」とか初恋の少女のようにドキドキしたんですけど、モンゴルは皆無。なにせ公園内に人っ子一人いないですからね。何もドキドキしねえ。

そんなこんなで、モンゴルオフは参加人数0人。30分ほど本持ってウロウロしましたが、人類にすら出会えませんでした。もう、公園の前の店でサングラス買ってホテル帰って不貞寝した。

ということで長すぎるので次回に続く。

次回は持ってきた10冊の「ぬめり本」を売り切るため、ついにpatoは言葉の通じない現地人相手に売り出した。そしてウランバートルを離れ放浪の旅に出たのだった。そう、死へと向かう地獄の砂漠横断の旅に。つづく。

関連タグ:

2005年 モンゴル放浪記 TOP inserted by FC2 system