ヌメリナイト2014-戦国38-

ヌメリナイト2014
-戦国38-

ピンク色の大きなプラスチックケースがある。おそらく服などを収納する衣装ケースとして作られたのだろうその箱は僕の部屋の中で一際異彩を放っている。言うなれば開けてはならぬパンドラの箱、近づいてはならぬ禁足地なのだ。

整理整頓が苦手な人にありがちなのだけど、部屋を掃除するといった場合に、これはここに収納して、これはここに並べて、こいつはもう捨てようなんて臨機応変に対処できない。掃除をすると言ったら全部捨てるか、全部どこか目につかない場所に突っ込んでおくかだ。散らかりを解消するのではなく、どこか別の場所に移すだけ、それが僕らの掃除だ。

そんな状況にあっても、少しだけ分別をすることがある。いくらガッサリと移し替えるといっても全てをそのままトレースするわけではない。その中から何個かつまみ出して別の箱に移す。それは一際大切なものでも高価なものでもない、単に見たくもない物を封印する作業なのだ。

僕らは忘れるから生きていける。楽しいことも辛いことも、嬉しいことも悲しいこともいずれ忘却の彼方へと置き去りにする。それは不便だと感じる反面、そうであるからこそ生きていけるとも言える。いつまでも悲しいこと苦しいことが頭の中に居座って次から次へと蓄積されていくのならば、いずれはパンクしてしまうだろう。

忘れることで生きていける僕ら、か弱い僕らに刻まれた唯一の防衛本能だ。けれども近代文明はその忘れることすら許しはしない。世界中に張り巡らされたインターネット網は日々、忘れたい情報を蓄積し、誰でもアクセスできるようにする。手のひらに収まるほどの大きさのスマホは画像を撮影し、誰かとの会話も記憶し続ける。

たとえ脳内から記憶が消えたとしても、それらがすぐに呼び起こされるほどに僕らの周りは情報で溢れている。それらはこちらからアクセスしなくとも、ときに僕らの中へと流れ込んでくるのだ。忘れることすら許されない現代社会、心の歪は僕らを蝕み続けている。

だから僕は、せめてこれだけは忘れたい、そんな物品を見つけては取り出し、あのピンク色の衣装ケース、パンドラの箱に封印していく。それは写真だったり思い出の品だったり、誰かから貰ったプレゼントだったり、思い出の染みこんだそれらを封印し、せめてもの心の安息を得ようとするのだ。

パンドラの箱から写真の切れ端がはみ出している。それはほんの一部分だけはみ出していて何の写真なのか伺い知ることはできない。けれども、何らかの忌々しき記憶、その一場面を記した写真であることは間違いない。こうして封印することで忘れることができていることを実感しながらも、それでも写真の内容が気になる。

もちろん、見ないほうが良いに決まっている。思い出したくもない記憶が呼び起こされるから封印したのだ。そんなものを見たって嬉しい気持ちになるはずがない。テンションが上がるはずもない。けれども、ここまできたら見ないわけにはいかない、それが人間なのだ。

はみ出した写真の一片を指先で摘み少しだけ持ち上げる。ピンク色の蓋はゾゾという音をあげて持ち上がった。中に詰まっている数々の品物を見ないようにして写真だけを引っ張り出す。写真は少しだけコの字に折れ曲がっていた。

おもて面を見てみるとそこには少し色褪せているものの、綺麗で青い海と白い砂浜の風景が映し出されていた。なんてことはない、綺麗な風景だ。この暑い中、汗だくになって働いている人が見たとしたら、ふいに海に行きたくなるような、そんな写真だった。

「なんだこれ」

他には何も写っていない。ただ海と砂浜だけ。これに何を感じて封印を施したのか全くもって理解できない。いにしえの自分は何を思って封印したのか。この写真からどんな恐ろしい記憶が蘇ることを恐れたのか。皆目見当もつかなかった。

ただ記憶のとっかかりはある。例えばこの写真を僕自身が撮影したとしよう。そなると一つ合点がいかない部分がある。僕は、いくら綺麗な景色を見たからといって景色だけを撮影することはほとんどない。さらには、海の町で育った僕にとって綺麗な海なんて特に珍しくもない。こうやって海だけの写真を撮ることなんてありえないのだ。もし僕が撮ったとするならば、何らかの理由があるはずなのだ。

そう考えていると、一つの断片的な情景が浮かび上がってきた。まっすぐの直線道路、その先は陽炎が揺れ動いている。真っ黒に焼けた僕の腕とハンドル、ミラーには大型トラックが映っている。その光景からリンクするようにすべての記憶が呼び起こされる。そして僕は部屋の片隅で呟いたのだ。

「これはもう戦いなのだ」

あれは、まだ僕が将来の希望に燃えている大学生の時だった。大学の学食で僕はご飯を食べていた。定食だとかラーメンだとかパスタだとかを総称して呼ぶ「ご飯」という意味ではなく、完全にご飯だけを食べていた。

世間一般のイメージとして、大学の学食といえば、皆がわいわい仲間内だとかサークルとかでチャラチャラとしているイメージかもしれないが、僕はそうやって食事をした記憶がほとんどない。単に150円の大盛りライスと49円の生卵で卵ご飯を食べれば199円で腹が満たされるという発見に興奮していた。

一口に卵ご飯と言ってもおいそれと素人が手を出して良い代物ではない。なにせ大学の学食の大盛りご飯だ、腰が抜けるぐらいの米の量で、とてもじゃないが生卵一つでは全体を卵ご飯としてカバーできない。どうしても白米だけのデッドスペースが生まれてしまう。

そうならないためにも多めに醤油を投入するのだけど、あまりに投入しすぎるとこれはもう卵ご飯ではなく醤油ご飯だ。味が濃くなりすぎてあまり満足感を得られない。この醤油の力量を絶妙に調節するのに、まあ、僕に言わせると3年はかかる。そのへんのひよっこが気軽に手を出せるものじゃない。卵ご飯じゃない、これはもう戦いなのだ。

そんな風に一人でブツブツ言いながら卵ご飯を食べていると、ふいに話しかけられた。

「ねえ、いつも一人でご飯食べてない?」

見ると一人のイケメンが僕を見下ろすように微笑んでいた。おそらく向こうのテーブルで食事をしている集団なのだろう。仲間たちが少し薄笑いを浮かべながらこちらを見ている。

「まあね」

これが一般社会なら驚くべきことだか、大学の食堂なんてのはとにかく社交的にできている。こうやって知らない人に話しかけられることはそう珍しくはなかった。こいつらに卵ご飯の機微を話したところで理解できまい、そう考えて適当にあしらった。

「実はさ、俺たちのサークルで海に行くんだけど、急に一人来れなくなってさ、車の座席が空くのももったいないから君もこない?」

こうやって欠員を埋めるために誘われることも珍しくなかった。大学生なんてとにかく貧乏にできているもので、割り勘要因をマックスに確保したいものだ。なんでもレンタカーを借りてバンガローを借りて、みんなで海辺でバーベキューをするらしい。それら全ての料金を割り勘するつもりが、一人減ってしまい、負担が増えてしまった。なんとかしたいとの思いのようだった。

「女の子もいっぱいくるからさ」

彼らとしてはなんとか欠員を埋めたい。けれども、すごいイケメンとか誘うと自分たちが損をしてしまう。ならば無害そうで、おまけに一人で卵ご飯を食ってるこいつを連れていけば完全に割り勘要因にすることができる。そんな彼らの思惑が透けていた。

そんな知らない人だらけの場所は居心地悪いし、嫌な思いをするだけだってのも行かなくても分かる。普通ならそんなものノータイムで断るのだろうけど、僕はそういった誘いはなるべく受けるようにしていた。向こうは僕を無害な割り勘要因にしたいだろうし、僕は社交性の欠片もないくせに無害の枠をぶち壊して女の子のおっぱいくらい揉んでやろうと目論んでるし、互いの思いが交錯する熱き戦い。これはもう、戦争なのだ。

僕らは常に戦わなければならない。一歩前に出て戦わなければならない。よく勘違いされるのだけど、勝利する必要はない。ただ戦う必要だけがあるのだ。

バーベキュー当日。確か大学近くの公園に集合だったと思う。照りつけるような太陽の光を浴びて、絶好のバーベキュー日和、こりゃ今日はおっぱい揉むぜ、そう思いながら原チャリに乗って集合場所へと向かった。

到着すると、既に男どもが借りてきたレンタカーが2台停まっていて、その傍らでは男どもがちょっといきがってサングラスとかかけて談笑していた。そこに女性陣が登場、もうなんていうかバーっとやったらペローンと乳とか出ちゃうんじゃないかって露出度の高い服装で、完全に性の解放区。こりゃ絶対に揉めるわ、そう確信した。

もう集合場所の時点で勃起状態だったんだけど、そこである異変に気がついた。借りてきたレンタカーはどう見ても8人乗りのワゴン2台。16人乗れる計算だ。そしてチャラチャラした男どもが8人、おっぱいが8人、僕が1人。うん、17人いる。

「全員乗れなくない?」

僕がそう言うと、食堂で僕に話しかけてきた幹事っぽい男が平謝りしながら

「ごめん、カツキの奴が来れないはずなのに来ちゃってさ、ほんとごめん」

おいおいカツキ〜とか思うのだけど、幹事の謝り方からいって、定員オーバーだからお前はもう必要ないよ、帰れって主張がムンムンに伝わってきた。けれども彼は大きな勘違いをしている。これはもう、単にバーベキューだとか海だとかそんなレベルのお話じゃないのだ。おっぱいを揉めるか揉めないか、その戦いなのだ。

「いいよ、俺原チャリでついていくし」

「えっ!?」

幹事の驚いた顔が印象的だった。

「かわいそ〜」

それを聞いていたおっぱいがヒソヒソ声で言っていたのだけど、そう思うならこの場でおっぱいを揉ませて欲しい。そうすればそのまま帰れるのだから。でもお前らは海まで行かないと揉ませてくれないだろ。ならいくよ、原チャリでいくよ。

「俺たちなるべくゆっくり行くから気をつけてついてきてな」

幹事の男が申し訳なさそうに言いながら車に乗り込む。2台のワゴンは「なるべくゆっくり行くから」と言った7分後に高速道路へと消えていった。原チャリで走れるわけないだろ。頭おかしいんじゃねーか。脳みその代わりにビキニでも詰まってんじゃねえのか。

さて、海まではおよそ150キロ。冷静に考えて原チャリで行く距離ではない。2回ガソリン入れたからな。それでも死に物狂いで海に到着するともう夕方で他にもバーベキューやってる集団が沢山いて、こうなんていうかどの集団も似たような感じのチャラさで全然見分けがつかないのな。

それでもなんとか見覚えのある、朝、車に積み込んでいたパラソルとバーベキューセットを見つけたんだけど、誰もいない。完全に宴の後と見られる残骸と、まだ熱を発している石炭だけを残して忽然と姿を消していた。

これは神隠し!真夏のミステリー!なんてことはなくて、もうこれ全員バンガローにしけこんでますわ。疲れたーとかいって男女が雑魚寝状態でね、酔いも手伝って女の子は大胆に、男の子も積極的に、マッサージしてやるよとかいってマッサージしてるんだけど徐々に触る場所が際どくなってヤンッ!くすぐったいっ!とかなってるうちにベロベロベロベロアフンプシャー!ですわ。

でもね、僕は信じたかった。皆が原チャリで来てる僕のことを忘れているはずがない。僕を放置してバンガローに移動するわけがない。きっと腹減りすぎて肉全部食べちゃって、お腹を空かせてやってくるであろう僕の為に皆で肉を買いに行ったに違いない。そう信じてる。これはもう僕と皆の信頼の戦いだ。

とか思ったら、バーベキューセットの影に食い残したであろう肉が塊となって鎮座しておられるじゃないですか。いやいやいや、あれだ、飲み物全部飲んじゃって皆で僕の為にキンキンに冷えたドリンクを買いに行ってるに違いない。そう信じてる。これはもう僕と皆の信頼の戦いだ。

とか思ったらクーラーボックスに飲み物いっぱい入ってるじゃない。あれだ、その、あれだ。誰かが溺れて死んで、いや、カツキが溺れて死んで、今頃霊安室で幹事が起きろよ!とかいって心臓のとこバンバン殴ってて女たちは泣いててって状態かもしれない。僕は信じている。カツキは溺死した。信じてる。

とまあ、彼らを信じてずっと待ってたんです。まあ、バンガローの場所知らされてなかったんで行くに行けなくて待つしかなかったんですけど、片付けてないし色々置きっぱなしなんでそのうち帰ってくるだろう。そしたらバンガロー行ってマッサージからイチャイチャでおっぱい揉めるに違いない。そう信じている。

「こりゃもう戦争だな」

バーベキューの火を絶やさぬように炭をくべながら、僕はそう呟いた。

ということで戦う男のヌメリナイトのお知らせです。

ヌメリナイト2014-戦国38-

ロフトプラスワン(新宿)

2014/08/09(sat)OPEN 18:00 / START 19:00
前売¥2000 / 当日¥2500(税込・要1オーダー500円以上)
<出演>pato、松嶋、FunkyNaoNao

イベントサイトはこちら
チケットはイープラスで発売中残席わずか!

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戦う男をテーマに、今会いに行けるテキストサイト管理人である太ったおっさんが訳の分からないことを話したり話さなかったり。お酒を飲んだり食事をしながら珍獣を見る感覚でお越しください。会場ではキチガイみたいなヌメリナイトTシャツの販売もあるよ。

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みんな来てね!

さて、涙のバーベキューなのだけど、端的に結果だけお伝えすると、朝まで誰も帰ってこなかった。おっぱい揉みたかったなあ、こんな感じかなあって彼らが残していったビニール袋入りの肉を揉んでたら朝になってた。こりゃもう戦争だよ。肉を揉む戦争だよ。一晩で肉を揉む手つきだけはそれなりになったよ。

朝日が昇る海を眺めながら、もしかしたらハメ撮りに使うかも、かー、生殖器とか写しちゃったら現像に出せないなって思って持ってきた写ルンですで海と砂浜を撮影した。そしたら見覚えのあるワゴンが2台やってきて、どうやら彼らが片付けにやってきたみたいで、おセックスとかしたんだろうなって顔で車から降りてきた。なぜか身を隠した僕は、コソコソと原チャリに乗って家路へと着いたのだった。涙を流しながら。

僕らは忘れるから生きていける。これは思い出してはいけなかったのだと言い聞かせながら、色褪せた写真を衣装ケースへと戻すのだった。ヌメリナイトのネタの為にまたこの箱を開けることになるとは露知らず。これはもう戦争だ。

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