ファフロツキーズ

ファフロツキーズ

いい加減、そろそろ認めなくてはならない。僕らは常に「無視」と「認識」の狭間で揺れ動いていて、まるでシュレディンガーの猫が生きてる状態と死んでる状態が重なり合っている状態で存在するかのように、僕らの中で「無視」と「認識」は重なり合って存在する。

人は都合の良い事を「認識」し、都合の悪いことを「無視」する。けれども、これら二つは実は重なり合っており、都合の悪いことを無視してもそれは何も根本的な解決になっていないことが多々あるのだ。

例えば、空から馬が降ってきたとしよう。それも大量の馬がまるで雨のように降り注いできた。空から水が降ってくる現象ならば雨として認識でき合理的な説明もできよう。しかしながら馬が降ってくるとなると、ちょっとよそっとじゃ合理的な説明はできそうにない。馬がペガサスになり損ねて降ってきた、などと苦しい説明をするのが精一杯だ。

では、完全にこの事象を無視し、そもそも空から馬など降ってこなかった。とした場合、その現象を説明しなくて良いのだから大変都合がよい。けれども、そうやって無視したところでガンガン馬が降ってきているという事実は曲げようがないし、その最中も降りしきる馬の蹄が直撃して隣の婆さんが死んでいるかもしれない。無視をしたって何も根本的には解決しないのだ。

「認識」と「無視」が同時に存在する事象は、人間関係に置き換えると大変理解しやすい。「認識」とはコミュニケーションだ。一つの人間の行動に対してアクションとリアクションを起こすことが人と人の関わりであり、例えば、こちらが話しかければ答えを返してくれる。こちらが手を握れば握り返してくれる。人と人とのコミュニケーションとは、「認識」と相手の反応があってこそのものなのだ。

アクションとリアクションのやり取り、それがコミュニケーションの根幹であり、その最たる例が、恋人同士のやり取りではないだろうか。

「やだ、高志、目が腫れてるよよよよ〜、どうしたの?」

「昨日、泣いちゃってさ」

「えー、どうして?」

「芳江のことを思ってさ」

「え?わたし!?」

「そう、芳江をどうやって幸せにしようか考えてたら自分の無力さに泣けてきちゃってさ…」

「バカ…もう、バカ!」(芳江も涙ぐむ)

「俺、頭も良くないし稼ぎも良くない、イケメンでもないし、でも芳江を思う気持ちだけは誰にも負けない!」

「高志…」

「フォーユー」

とまあ、何がフォーユーだ、勝手にやっててくれよって感じなんですけど、このようなちょっとした恋人同士のやり取りにおいても、数多くのアクションとリアクションが存在するのです。質問に対して答えで返す、泣いてくれた彼を想って泣く、想いに応えるようにまた想う。そして二人は愛し合う、とまあ、何らかの不幸な事故で脳漿垂れ流して死んで欲しいくらいなんですけど、とにかく、人と人ってのはアクションとリアクションの応酬なんです。

日本人は、古来よりこのアクションとリアクション、言い換えればコミュニケーションを重んじる民族でした。これは僕が日本人だから特別そう思うのかもしれませんが、日本人はずっとコミュニケーションを超えたコミュニケーションに重きを置いてきたように感じます。

日本独特の「阿吽の呼吸」というのがまさにそうで、言わなくても分かってくれる、というコミュニケーションを超えたコミュニケーションを美徳とし、空気を読むという独特の作法、言葉と言葉の隙間の「間」の方が言葉よりも多くの意味を含んでいたりしたものです。これが鬼畜米英とかだったら「ファッキン!」とか叫びながら散弾銃でもぶっ放すのがコミュニケーションなのでしょうが、日本人は「沈黙」こそが何よりのコミュニケーションである場合があるのです。

例えば、こうやって書いてる文章でも、沈黙、つまり文章と文章の狭間の行間にこそ物事の真理が隠れている場合が多々あります。例えば僕が「女の子にモテない」「すごく寂しい思いをした」とか系の、34歳男性の心の叫びを日記にしたためた場合、それは文脈的に寂しい僕を見て欲しいという意味で書いてる訳ではないということです。

ホント、行間を読めないクズども多すぎてウンザリするのですが、本当はそういうの言わなくても機敏に感じ取って欲しいのですが、今日は特別に説明してあげます。いいですか、Numeriにそういった系の日記が登場した場合は、「patoさん、わたしと付き合ってください!好きです!」という女子からのメールを待っている、と行間で伝えているのです。その場合、いきなり素性も知らない人と付き合ったりはできませんから、軽い自己紹介、これはまあ、年齢と髪型とか誰に似てるかとか、携帯メールアドレスとか、そういうのも合わせて送って来いってことを行間で伝えているのです。あと、男がなりすましている危険があるので、使ってる化粧品の名称とか教えろって行間で伝えているのです。けれども、残念ながら行間を読める人が全然存在しない。これには大変失望しております。全然コミュニケーション取れてない。

言葉も行動も沈黙も、全てがコミュニケーション手段なわけですが、そこにもう一つ、さらに難しい手段が加わります。それが「無視」です。無視とは、もちろん、ある相手に対してその存在をあたかも無いものとして扱う行動で、「イジメ」などに多用される非常に陰湿でドロドロした行動です。

先日、電車に乗る機会がございまして、座る場所がなかったんで吊革に捕まって立っていたんですね。とある駅で電車が停まり、アナウンスが流れます。

「特急列車通過待ちのため3分間停車します」

そこでね、横でギャギャー騒いでいたガキが、なぜか急に僕に縋って来てですね、言ったわけですよ。

「特急ってなにかな?あずさかな?」

あずさって名前の特急が来るのかなってことなんでしょうけど、なぜかムチャクチャ僕の目を見ながら話しかけてくるんです。そりゃね、知らない子供ですよ。別に無視しても良かったんですけど、ここで僕に無視されたことで彼の心に大きな傷が残り、一生モノのトラウマにでもなったらどうしますか。そんな極悪な無視など僕にはできません。満面の笑みで答えてあげましたよ。

「あずさかなー?かいじかもしれないぞ?」

特急あずさじゃなくて特急かいじかもしれないぜ?っていう、彼の話に反応しつつ、全てを肯定するわけではなく彼自身の成長を促す、そんな素敵な返答だったように思います。その瞬間ですよ。

何とクソガキ、僕のこの返答をガン無視。ガン無視して一人でキャッキャ遊んでました。な、なにごとだーって思ってそのガキを連れてたお母さんの顔を見たいんですけど、お母さんも視線をそらしてガン無視。なんか僕が変質者みたいな空気が車内に流れてるんですよ。

そこに、反対のホームを特急列車が通過。僕の指摘通り特急かいじでした。

「やっぱり特急かいじだったねー」

もう引き下がることもできず、そう言うしかなかった僕は、傍目に見ても声かけ事案に該当する変質者でした。このガキがやったように、無視とは非常に陰湿で相手の人格すら崩壊させかねないものなのですが、ではなぜ、この「無視」がコミュニケーションに該当するのか。

ここに、ある中年会社員Pさんがいたとします。Pさんは仕事熱心とは言わないまでも、比較的真面目に会社に行き、同僚が困っていれば助けてあげ、同僚がものすごいキムチの臭いを放っていて、オフィス全体が言いたいけど言えない状況で悶絶している中で、その同僚に「キムチ臭いよ」と言えるだけの勇気と行動力、まっすぐな正義感を兼ね備えていました。

Pさんのオフィスは隔離されており、誰もいない中でポツンとして仕事をしていることが多いのですが、なんか訳変わらない秘書的な女に無視されながら一生懸命仕事をしている訳なんですよ。ホント、Pさんってホント健気ですよ。

でもどうしても、Pさん、人の温もりが恋しくなるみたいで、何かにつけて、やれ自分の部屋のプリンターが壊れたから印刷させて、やれ隣の部屋にまで臭ってくるくらいキムチ臭いぞ、やれ不要になったストッキングをくれ、と隣のオフィスまで突撃をかけるみたいなんですわ。隣のオフィス、比較的若い娘っこが多くて仲間に入りたくて仕方ないみたいなんですわ。

でもまあ、Pさん、当然のことながらゴリッゴリに無視されていまして、いくら女の子とかに話しかけても女の子が三十三間堂の仏像みたいな悟りを開いた状態になってましてね、かわいそうなくらいに無視されているみたいなんですわ。

でもまあ、その程度の無視だけなら別に良くて、Pさんもその場では笑って「まいったなー」とか言いつつ家に帰って泣く、そいでもって夜な夜な職場女子トイレの三角コーナーを漁って舐め取る類の妖怪になりたい、みたいに決意することができるんですけど、さすがに心にきた事件があったみたいなんです。

その日もいつものようにPさんが、決して僕ではないですけどPさんが、メスの臭いでも嗅いできますかなーって軽やかさで隣のオフィスに入っていったそうなんです。そしたら、さっきまでワイワイ騒いでいた桃色オフィスが急にシーンとなっちゃいましてね。古来より日本ではこうやって騒がしい場所が急に静かになる現象を「霊が横切った」なんて表現しましてね、こりゃとんでもない霊が横切ったもんだ、夜ごとタンポンを舐め取ってるクラスの霊が横切ったんじゃねえかってくらいの静まりをみせたんです。まあ、完全なる「無視」ってやつですよ。

で、そんなのはいつものことなんですけど、Pさんも平然と言った趣で、今テロリストが入ってきてこいつら全員裸踊りさせられる、とか妄想しつつ書類をコピーしていたんですね。そしたらまあ、さすがにそんな長いこと沈黙していられないみたいで、そのうち、

「何時に集合?」

「何着ていく?」

「佐々木さん(職場のイケメン)も呼ぼうよ!」

みたいな会話がチラホラ聞こえてくるんですよ。こりゃこいつら、仕事が終わったら皆で飲み会的なものに行く気だな、って直感が走りましたよ。でまあ、僕が誘われないのはいつものことなんで、特に気にする様子もなく

「あーあ、今日も暇だなー、スケジュールあいてるなー」

みたいなことをチラッチラッとアピールしてみたんですけど、当然ガン無視。これはもう、B'zが出てきてもおかしくないレベルでBAD COMMUNICATIONなわけなのですけど、まあ、そんな無視、別に今に始まったことじゃないんでいいじゃないですか。気にすることもなく元の隔離部屋に戻ったんです。

で、なんとか仕事が終わる時間になり、ちょっとフライング気味に帰宅した僕、今頃みんなは楽しそうに飲み会で親睦を深めてるのかな、とか考えると急に寂しくなってきちゃいましてね、なんだか涙がホロリ。で、このまま家に帰って一人でコンビニ弁当とかモソモソ食ってたら惨めすぎて死んでしまう。それだけは絶対に避けなければならない!と何故か発奮しちゃいましてね、一人で焼き肉食いに行くことにしたんですよ。

一人焼肉って実はムチャクチャ敷居が高くて、何故か知らないけど焼き肉とか鍋、バーベキューそういったものって皆でワイワイやるのが定番じゃないですか。特に焼き肉屋なんて家族連れかうるさい学生グループ、セックス前のカップルくらいしかいなくて、単身突撃してる人ってあまりいないんですよ。

けれども、どうしても肉を焼いて食いたかったですし、かといって一緒に行ってくれる人もいない。それならばもう、一人で焼き肉に行くしかないだろうってことで、特に家族連れで賑わってそうな焼肉屋にいったんです。

で、行くと店員の人が「おひとり様ですか?」って三回くらい聞き返してきてくれまして、なんかすごい気を使ってくれたのか奥の方の席に案内してくれました。どう見ても四人で楽しく肉を焼く席なんですけど、一人ポツンと座って牛タンを焼きます。

なんか救いだったのは左右には完全な壁と言わないまでもスダレみたいなものがかかってまして、人の気配とか声とかは分かるものの姿が見えない状態になってたので、周りの人に「あの人ひとり、クスクス」とかいわれることはあまりありませんでした。

けれども、まあ、通路の方を見ていると、席に案内されるカップルの姿とかチラチラ見えましてね、昔から焼肉に来るカップルはこの後セックスをするなんてのが定説でして、そうかあ、この女がこの後セックスするのかーって感じで異様に興奮してきて、色々とビンラディン。ビンラディン死んじゃったけど。

で、興奮しながらホルモンとか食ってたんですけど、なにやら様子がおかしい。ちょっと前から隣の先に結構な人数、大テーブルを使って10人前後の人間がやって来たっぽいんですけど、何やら様子がおかしい。スダレがあるんで姿形は見えないんですけど、話してる内容とか声とかを総合的に解析すると、どう好意的に解釈しても職場の連中が来てるっぽいんですよ。もちろん、隣のオフィスの無視していた連中ですよ。

いやいやいや、明らかにおかしいじゃないですか。なんで僕を無視したあなたらが横のテーブルにいるんですか。っていうか、マズイ、非常にマズイ。この状況はまるで僕が誘われなかった腹いせに、同じ店まで尾行してきたみたいな状態になっている。非常にマズい。とんでもなくマズい。下手したらストーカー騒ぎだ。

とにかく落ち着いて、スダレがあるから大丈夫とはいえ警戒するに越したことはないのでクソでかいメニューで顔を隠しつつホルモンを焼く。ホルモンの油が引火して大きな炎を上げるたびに「見つかるからそんな派手にしないで!」とヒヤリハット。ホント、一人で焼肉なんか来るんじゃなかった。

でまあ、ちょっと落ち着いてきて隣のテーブルの会話を聞き耳立ててみるんですけど、明らかに僕の悪口言いまくってるんですよ、これが。どうも皆で僕のことを「カムチャツカ」っていう意味の分からないニックネームで呼んでるらしく、どんどん短くなって「カムチャ」とかヤムチャみたいな発音で言われてました。夜、女子トイレ行ってタンポン集めてそうとか、ピータンっぽい匂いがするとかムチャクチャ言われてた。肉焼きながらすげえ楽しそうにカムチャの悪口言われてた。ホント、馬でも降ってきてこいつら死なねえかな。

いやね、思ったんですよ。悪口とか別に良いんですけど、そりゃ僕も女だったら僕の悪口滅茶苦茶言うでしょうから別に良いんですけど、彼女たちは僕を無視できていなかったんです。わざわざ仕事帰りに焼肉に来てまで、ずっとカムチャの悪口を言ってるんです。これはね、もう、逆に僕のことが好きで好きで仕方ないレベルですよ。なんだよこいつら、俺のこと好きなんだろ、カムチャはホルモンを平らげてコソコソと帰るのでした。

無視とは、相手を認識しているからこそできる行動であり、むしろ普通に会話したり触れ合ったり以上に相手をバリバリに意識していないとできないコミュニケーション手段なのです。「無視」と「認識」は相反しているようで、同時に重なり合って存在するのです。つまり、意図的に無視しても何の解決にもならず、むしろバリバリに認識している状態に他なりませんので、いい加減、僕も無視することが無意味なように思えてきました。

ということで、周りから「お前絶対アレだろ」「絶対やばいって、アレだよ」と指摘され続けてきて、その度にその指摘を無視し。気づかないフリをしてきましたが、いい加減認めます。

そう、わたくし、pato、一年で30キロ太って立派なデブになりました。

もう認めたくなくて、体重は30キロ増えたけど、たぶん僕は肉の密度が人より高いからそんなにデブじゃないはずだ、とか自分を誤魔化し、あろうことか、街を歩く少し太った人を見て、この人まではいってないから大丈夫、と自分を誤魔化してきました。けれどもそれでは何も解決にはなっていない。

ここに宣言します。Numeriのpatoはデブです!

無視と認識は、相反する事象が同時に重なり合った状態だ。けれども、今はこの重なり合った肉の方が問題だ。

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