Boy Next Door

Boy Next Door

「おい、柳田がウンコしてるぜ!」

昼休憩、給食も終わりざわつく教室内にガキ大将の元気な声が響いた。にわかに教室内がさざめく。

「マジか!」

数人の男子が我先にとトイレへと走る。ガキ大将はそのままの勢いで両隣の教室にも知らせて回った。いっきにトイレはそういったもの好きの男子どもで溢れかえった。

僕も見にいくと、小さなトイレはまるで満員電車のように男子たちで溢れかえっていた。そして、一つの個室がそのドアを頑なに閉ざしていた。

「おい、柳田!テメーウンコしてるんだろ!」

先頭に立つガキ大将はまるでウンコ自体が大罪のように正義感溢れる感じで追求する。それに追従する形で周りの男子たちも声を上げた。まるで季節ごとの成人前の男子の勇気を試す祭のような賑わいだ。

ドンドン!

一人の男子が、木製のドアを力いっぱい叩く。お世辞にも丈夫とは言えないドアはその度に軋んだ。

「柳田!ウンコしてるのはわかってんだぞ!」

必死でドアを叩いて告発する男子。なんとか下から覗けないものかとしゃがみこむ男子、オーディエンスの期待は一つの大便ブースに注がれた。そしてついにこの空間の主役である柳田様が言葉を発する。

「もう、やめてよぅ」

木製のドア越しに聞く柳田様の言葉にオーディエンスは湧き上がる。その歓声は音が響きやすいトイレの中では何倍にも聞こえた。

「ウンコ!ウンコ!柳田ウンコ!」

オーディエンスのシュプレヒコールは止まらない。その歓声を聞いて何事かと駆けつけた一般庶民によってまた観衆はその数を増やす。おそらく、大人しいタイプで引っ込み思案な柳田君にとってこれほど大勢の注目を集めることなど、この先の人生で彼の葬式くらいしかないだろう。それほどの柳田ウンコムーブメントが沸きあがっていた。

「出てこいよ柳田!じゃないと上から水かけるぞ!」

ガキ大将がそう宣言する。その言葉は冗談でも何でもないらしく、本当にバケツに水が充填され始めた。歓声に混じってジャバジャバと水の音が聞こえる。さすがにそれはヤバイと思ったのか、それともあまりの盛り上がりに柳田様がブチギレたのか分からない、けれども何を思ったのか彼は突如として行動に出たのだ。

バーン!

ドアが開く。そこには柳田様が仁王立ちしておられた。いや、仁王立ちだけならまだいいのだけど、ウンコしっぱなし。しっぱなしって便器にモロンとウンコがあるのはもちろんなんだけど、なんか柳田君にもウンコぶら下がってた。尻尾みたいになってた。初期の悟空みたいになってた。

「ああ、ウンコしてたよ、それが何か?」

と言わんばかりの堂々たる振る舞いの柳田君に対するオーディエンスは呆気に取られるしかなく、生々しいウンコとその匂いにもよおしたのか勝田君なんかゲロ吐いてた。

僕はその光景を見て、なんとも複雑な気持ちになるしかなかった。どうして僕らは学校でウンコをしてはいけないのだろう、どうして誰もがするウンコという行為をしただけでこんなにも辱められねばならないのだろう。僕はその事実に人生の縮図を見る思いだった。

言うまでもなく学校にはトイレがある。そして、そのトイレにはどうぞご利用くださいと言わんばかりに大便ブースが2つ3つと備えられている。そう、誰もが好きな時にウンコできるように環境が整えられているのだ。

別に誰が学校でウンコしたっていい、咎めらるいわれはない。なのに実際にウンコすると一斉に囃し立てられ、まるで悪魔と契約したかのような大罪に仕立てあげられてしまう。思えばこういった構図は何もウンコだけじゃないということに大人になると気がつくのだ。

残業はありません、みんな定時に帰れます。そんな謳い文句に誘われて仕事を始めた人はいないだろうか。しかし、実際に働いてみると全員が鬼気迫る勢いで残業しまくっておりシュラバラバンバ、とてもじゃないが定時で「おつかれさまー」と帰れる雰囲気じゃない。定時で帰っていいんだけど雰囲気が許さない、これはもうまさしく学校でのウンコと同じ構図なのだ。

この日本は特に和をもって尊うとしとする観点からそういった事例が多い。やっていいんだろうけどやっちゃまずい、そういったものが沢山転がっている。その空気を知ることが大人になることなんだろうと思う。

あの日、柳田君は大便ブースの中で何を思ったのだろう。あの狭い大便ブースの中で何を思ったのだろう。今まさにウンコを出すその時、ドアの向こうでは多くの人間が囃し立てている。そのドアの向こうに何を見たのだろう。やっていいはずのウンコなのに何でこんなに責められるんだろう。そこで柳田君は悟ったのだ、大人になるということを悟り、ドアを開けたのだ。あの瞬間、ドアを開けた柳田君は大人になっていたんだ。

柳田君は幼なじみだった。そんな柳田君がその後もウンコ帝王などと安直なニックネームで揶揄されているのは辛かったが、大人へのドアを開いた彼は気にしていない様子で、気にしてないならいいかってフィーリングで僕も彼のことをウンコ田って呼んでいた。それでも笑顔だった柳田君、きっと僕より早く大人になっていたのだろうと思う。

あの日、あの時、ウンコを責められていた柳田君のことを、傍観していた自分自身を、小学生時代のあの出来事を思い出している32歳の僕。その僕が今まさにウンコをしていてトイレのドアをガンガン蹴られている。

一体なんでこんな事態になってしまったのか、順を追って考えていこう。

この日、僕ははるばる大阪という土地に来ていた。大阪というのはどうも街を歩いているだけでレイプされる、もしくはスリに遭うというバイオレンスな街らしく、そのうちアメリカンバイクにまたがったモヒカンがでてくるんじゃなかろうかという土地らしい。早く滅んでしまえばいいのに。

そんなことを考えながら地下鉄に乗っているとウンコがしたくなってしまい、こりゃイカン、と思ったが、幸い目的地までもうすぐだ我慢せねばなるまいと文字通り奮闘した。糞闘した。

不思議なもので、目的の駅について地下鉄のドアが開くまではこの世の不幸が全て自分に降りかかったような感覚というか、早い話がもう漏らしてもいいくらいまでに思いつめていたのだけど、ドアが開くと不思議と便意が消えていた。

気の迷いだったのかと颯爽と涼しい顔でプラットホームを歩き改札を抜ける。しかしながら、駅構内を抜けるとまたもやビッグウェーブが襲ってきたため、たまらず公衆トイレに駆け込むこととなったのだ。

駅の前には大阪市立体育館と公園が広がっており、ちょうど目の前に立派な公衆トイレが設置されていた。なんてグッドタイミング、偶然の確率にしちゃできすぎている、と急いで駆け寄る。トイレの前では何か子供会の行事か何かがあったのだろうか、30人ぐらいの子供たちが体育座りをして大人の話を聞いていた。

「漏れちゃう漏れちゃう」

そんなことを口ずさみながらトイレへと、大便ブースへと駆け込む。至福のひと時。もうパンツを下ろすんだかウンコが出るんだか同時なんだか分からないタイミングで思いっきりウンコをしてやった。

「ふう、スリリングだったぜ」

漏らすか漏らさないか、その紙一重のスリルにゾクゾクしながら安堵を覚え、腸内に残った第二陣をひりだそうと奮起というか糞起していると、何やら公衆トイレの外が騒がしい。

「はーい、ではもう少しで出発するんで、トイレ行きたい人は今のうちに済ませておいてください!」

大人の大きな声が聞こえる。それに合わせて子供たちの元気な返事が響いた。ああ、あの子供たちだろうな、やっぱ体育館で何かの行事があったんだろう、それでこれから出発するからトイレ行こうっていうんだな、などと漠然と考えながら全神経を肛門に集中させていた。その瞬間だった。

「おい、誰かウンコしてるぞ!」

ワーッと押し寄せるようにトイレに雪崩れ込んできた子供たち、最初はワイワイキャッキャッとうるさかったのだけど、そのうち一人がクローズされているドアを見つけたらしく、大きな声でそれを指摘した。

「ホントだ、誰かウンコしてる」

別の男の子の声、頭の悪そうなガキの声がトイレに響く。なるほど、いつの世も子供ってヤツは変わらないんだな。この平成の世でも子供たちの間ではウンコは大罪と見える。残念ながら僕はもう公然とウンコをしていい大人だ、32歳だ、誰に揶揄される覚えもない、堂々とウンコできるのだ、余裕の笑みを浮かべて肛門から第二波が出でようとしていた。しかし、雲行きがおかしい。

「おい、タダシがいないぞ!」

「マジか!じゃあウンコしてんのタダシだな!」

タダシがどんな子なのか、なんで姿が見えないのか知らない、けれどもどうやら子供たちはウンコをしているのはタダシという結論に達したらしく、一気に囃し立てた。

「おいタダシ!またウンコかよ!」

なるほど、タダシ君はウンコキャラなのか、そりゃあ疑われるのも無理ない、などと納得している場合ではない。何で僕が32歳にもなってウンコを囃し立てられてるんだ。

ガンガン!

ドアの向こうの子供たちはどんどん過激になっており、最初はノック程度だったのに反応がないと見るやドアを蹴りだした。

「やべー、タダシのウンコむちゃくちゃ臭せえよ!」

すまん、タダシ君、ほんとにすまん。まさかタダシ君も預かり知らぬ場所でウンコが臭い疑惑をかけられてるとは思いもよるまい。

ここでまあ、「タダシじゃありません」とか声を出せば良かったのだろうけど、それってなんか小学生のガキに負けたことになるじゃないですか。なんだか恥ずかしいじゃないですか。それだけはしちゃなるめえと固く心に誓い、とにかく嵐が過ぎ去るのをジッと待つしかありませんでした。

「タダシ!ウンコ!タダシ!ウンコ!」

ドアの外で繰り広げられるシュプレヒコール。僕はタダシじゃないけどこの屈辱。なんたる辱め。なんで僕は32歳にもなって小学生にトイレのドアを蹴られてるんだ。

いやー、これはね、かなり精神的にきますよ。だってウンコって別に悪いことしてるわけじゃないでしょ、しかも僕、タダシじゃないですし、それなのになんでこんなに責められねばならないのか。32歳にもなって責められねばならないのか。あの日あの時、柳田君はこんな気持ちだったのか。

そこで気がついたんです。あの時、柳田君はあの理不尽を受け入れた。やってもいいはずなのに空気がそれを許さない、そんな理不尽を受け入れて大人へのドアを開いたのだ。反面、僕はこんな年になってもその理不尽さを受け入れられない。皆が狂ったように残業してるのに涼しい顔で定時に帰るから職場でも嫌われるんだ。会社の連絡網からも外され、栗拾いツアー(2008)にも誘われない。もっと理不尽さを受け入れて空気を読まなければならないのだ。そう、大人へのドアを開くんだ。ありがとう、柳田君、僕、やっとわかったよ。

何かを悟った僕は思いっきりドアを開けた。ガンガン蹴られている大便ブースのドアを開けた。

「俺は32歳だー!」

明らかに変質者レベル。学校のプリントで注意喚起されるレベル。それを受けて子供たちはビックリして

「なんかでたー!」

とか叫びながら蜂の子散らすように逃げていった。ばかやろう、出たのはウンコだ。柳田君、僕、勝ったよ、大人へのドアを開いたよ。少しだけ理不尽を受け入れる大人さを手に入れたような気がした。

僕らの人生はドアの連続だ。一つのドアを開ければ次のドア、そのドアを開ければまた次のドアだ。ドアを開けるたびに僕らは大人に、理不尽な大人へとなっていくのだ。

数多くの人生のドア、大便ブースのドアを開けるようにガンガン開けていこう。

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