恋空

恋空

ほら、ブスって言葉あるじゃないですか。

いやいやいやいや、まるで軽やかな挨拶の如くこんな出だしで始めると「ああ、またpatoのブス叩きか、いい加減にしろよ」なんて思う方がおられるかもしれませんが、どうか冷静になって考えて欲しい。この世知辛い世の中に蔓延する不安や欲望、それらが絶妙に入り混じった複雑怪奇な支配構造、マスメディアの横暴、それら全てを取り去って考えてみて欲しい。

僕はですね、女の人を指して「ブス」って言う時に二種類のブスがあると思うんですよ。一つは悪意あるブスという言葉、もう一つは悪意のない単純な能力値としてのブスという言葉です。前者は確かに許せない。人を貶め、傷つける目的で「ブス」と言葉を発する。これはもう言葉の暴力です。言葉のレイプです。絶対にあってはならないことだと思います。

しかしながら、後者の能力値としての「ブス」これはもうそこまで責められるものじゃないと思うんです。例えば、田村君は算数が得意だとするじゃないですか。おまけに足が速くてリレーではいつもアンカー、勉強もスポーツも出来て女子達の憧れの的、でも国語は苦手だったりするんです。

その際に「田村君は算数もできるしスポーツもできる、でも国語は苦手だよね」と指摘することに何の悪意があるでしょうか。そこには田村君の能力値としての評価しかありえません。そう、他人の能力値を客観的に評価することはそこまで悪いことじゃないのです。

ブスであるブサイクである、美人であるイケメンである、これらを能力値として捉えた場合、あくまでも算数ができるできないレベルでの評価とした場合、それはそこまで悪いことじゃあない。単純に能力を評価しているだけ、それだけに過ぎないのだ。悟空がサイヤ人に出会った時、「すげえ気だ」とまだ見ぬ強敵にワクワクしながら客観的な評価を下した、それと同じでブスの気を感じて「すげえブスだ」とワクワクして何が悪いのだろうか。

僕はまあそういう考えですから、職場の給湯室の前を通った時にブランド物バッグに命すら賭けかねない若手OLがワイワイキャキャッと談笑してる声が聞こえましてね、「えー、patoさん?あの人生理的に受け付けないー」なんて陰口が聞こえてきても凹むわけでもなく、へっへっ生理的ときたか、まいったな、なんて鼻の下を人差し指でこすったりするわけですよ。それは悪口でも何でもなくて能力値を評価してるに過ぎないのですから。

とにかく、決してブスという言葉にそこまで悪意があるわけではないということを前置きして本題に入るわけなんですが、ウチの職場にすっごいブスがいるんですよね。例えるならば映画ジュラシックパークに出てくる博士みたいな顔したブスなんですけど、爽やかな朝に出勤するとそのブスが発狂してるわけなんですよ。

キチガイしかいないこの職場で何が起ころうともそんなに驚かないんですけど、さすがに朝っぱらから発狂してる様は異様でしてね、何事かと事の推移を見守っておったんです。そしたらアンタ、そのブスが映画観にいきたいとか異様なまでの情熱をパッションさせてるじゃないですか。

いやいや、映画観るのは自由っすよ、ブスが映画観ても全然かまわないっすよ。でもね、いくら観たいからって職場で大興奮、大車輪の如き勢いで言わなくてもいいじゃなっすか。頭おかしい。そんなの言われたって僕らとしては「じゃ、いけば?」くらいにしか思わないですよ。

職場の面々は大変不愉快な思いをしてるのがありありと分かったのですが、僕としてはその光景が面白いというか興味深いというか、スパークしたブスは秋茄子より趣き深いと思ってますので満面の笑みでその光景を見守っておったのです。

そしたらアンタ、誰も相手にしてくれなくて寂しかったのかそのブスがデロデロとこっちにやってくるではないですか。アメリカのバスケット選手って突破する時にすごいフェイントとかかけるじゃない、そういった感じで真っ直ぐこっちに来るんじゃなくてフェイント入れつつ近づいてくるんですよ。ありゃ一流のNBA選手だよ。

あ、やばい、逃げなきゃて思った時は既に遅く、彼女の領域(テリトリー)内に取り込まれてしまって一歩も動けない、身動きできない状況に。もうどうしていいか分からなかったんですけどゴクリと生唾飲み込んで色々な覚悟を決めていると、

「映画観にいきましょうよ」

正直言ってレイプくらいは覚悟していたのですが、やはりさっきから騒いでいるとおり映画を観に行きたい様子。まあ、一般的で気遣いのある同僚なんかは妙に気を使って顔を引きつらせつつ「そうだね、いきたいね」なんて無難な答え方をするんでしょうが、僕は違いますよ、誰もが心の中で思っていつつも言えない言葉をガツンと言ってやりますよ。

「1人で行けばいいじゃん」

その瞬間、職場の空気が凍てつくのを感じ、ブス以外のメンツ全員が「いっちゃった!」的な表情をしたのを見逃さなかったのですが、それでもブスは引き下がりませんよ。

「バカじゃない!1人で映画なんて考えられない!」

どうもブス理論では1人で映画ってのはあるまじき非国民であり、売国行為であるような口ぶりなんですよ。そんなこと言うならポルノ映画館に行ってみろ、みんな1人で淫乱人妻シリーズ3本立てとか地獄のような上映スケジュールをこなしてるから、と言いたかったのですが、色々な意味でセクハラになりそうなんでやめておきました。

「恋愛映画を1人で観るなんてナンセンスよ」

みたいな、僕が全能の神ならば裁きのイカヅチを落としまくる、いや、そもそもコイツをこの世に生まれさせない、と思わざるを得ないことをのたまいましてね、僕ももうどうしていいかわかんなくなっちゃいましてね、ちょっと意地もあったんでしょうが

「そう?でも僕いつも1人で観にいくよ、ヱヴァンゲリヲン新劇場版とか行ったし」

と精一杯の抵抗をするのですが、やれオタクだの気持ち悪いだの寂しいロンリーウルフだの、それだけならいんですけど、いつもいやらしい目つきで私の胸元を見てる、それてセクハラですよ、みたいな関係ないことまで言い出すブス、大スパークですよ。

「もしかして、patoさんって女の子と映画観たことないんですか?」

ホント、この世で許せないことってけっこうあるじゃないですか。税金の無駄遣いとか無駄な公共事業、福祉を食い物にするとんでもない人たちとか。そういうのを一切合切超越してブスの挑発的な目線ってのはなんでこんなにムカつくんだろうって勢いでムカついたんですよ。

「み、み、観たことあるわ!」

僕だってそりゃ女の子と映画とか観ますよ、劇場が暗くなってる時に彼女の手を握って感動的な場面でスッと指輪をはめたりしてね。驚く彼女、キラキラと眩い光を放つ左手薬指の指輪、それを見た見ず知らずの子供が「スイートテンダイヤモンドだ!」とかいうんですけど、まあ嘘ですけど、とにかく、いつも独りで観るわけじゃないってことを顔を真っ赤にして反論したんです。

「何を観たんですかあ?」

「ゴジラVSメカゴジラ」

このやり取りを自分のデスクで聞いていたマミちゃんがお茶を噴出したのを僕は見逃さなかったね。ブスもブスで、生類憐みの令みたいな憐れみの視線で、外国人が困った時にやるみたいな両手を広げたジェスチャーするんですよ。

「しょうがない、私が連れて行ってあげます。きっと楽しいですよ」

とブスがすごい不本意な感じで言うんですが、僕もそこまで言われたら、ああ、なんて親切な人なんだ、僕に映画の楽しさを教えてくれるなんて、と感謝の念すら湧いてきましてね、

「おねがいします」

となり、晴れて貴重な休みの日に早起きしてブスと映画を観にいくというとんでもない、親に連れられて聞いたこともない遠い親戚の法事に連れて行かれたくらい不本意な休日を過すことになったのでした。

「ちなみに、何を観にいくの?」

「恋空だよ」

今話題の大人気携帯小説が映画化された「恋空」、1200万人が泣いたという暴れん坊なキャッチコピー、これを全く興味ないのに観にいくのでした。こんなに興味ないのに劇場に行くなんて「デビルマン」以来だよ。

さて、当日、待ち合わせの時間にシネコンの前で仁王立ちして待っている僕、頭が寝ぐせバリバリ伝説なのが微妙に僕のやる気度合いを示しています。しかしながら、今や遅しと待ち構えているのですが、時間になってもブスが全然来ない。待ち合わせの相手が大塚愛さんとかなら僕もヤキモキし、まさか急なレコーディングが入ったのでは?それとも途中で暴漢に襲われたのでは?と右往左往するのですが、この日の僕は実に堂々としていた。全く動じない不動明王の如き力強さだった。

30分くらい経っても全然来なくて、もうこの日の第一回目の上映が始まったんですけど、それでも僕は動じない。こっちから電話とかメールとかで連絡取ると、まるでこの日を一日千秋の思いで楽しみにしてたかのような錯覚に捉われかねないので何も連絡することなく不動明王ですよ。っていうか、シネコンの隣りのゲーセンでマリオカートしてた。

2時間くらいしてブスから「今ついたよ、どこ?」ってメールが着たんですが、2時間遅れて今ついたのもクソもないだろって思いつつ待ち合わせ場所へ。

「ごめんごめん、上映時間に遅れそうだったからさ、次の回でもいいかなって思って」

確かに、上映時間に遅れそうなら次の回を観ればいい、非常に合理的な考えだ。その合理性は賞賛に値する。しかし、2時間遅れるとか連絡くらいしろ、勝手に次の回にするな、2時間もマリオカートして見知らぬ小学生とかと対戦したんだぞ。

とにかく、休日のブスはやっぱりブスでホリデーブス、そんな人と興味ない映画を観るとか何やってるんだ。休日前日に夜更かししすぎて、目が覚めたら日曜の夕方だった、くらい切ないものがあるのですが、とにかく映画を観なくては始まりません。

「じゃあ、券買いにいこうか」

とか僕が言うんですけど、今度はブスが不動明王なんですよ。

「こういう時は男が買うものなのよ」

とか、僕が5州をまたいだ連続殺人犯でアリゾナを恐怖に震え上がらせた絞殺魔だったら間違いなく殺ってるようなセリフを言うんですよ。で、トボトボと券を売ってるとこに行くんですけど、危うく

「次の回の恋空、大人一枚、ブス一枚」

って言いそうになりました。危ない危ない。

そんなこんなでいよいよ上映開始と相成ったわけなんですが、まあ、あまりストーリーをネタバレしちゃうと本気で怒り出す人がいるので軽く流しますけど、良くも悪くも恋愛映画といったところでしょうか。半分くらい寝ていたのでアレなんですけど、それでもストーリーが分かってしまう親切設計になってました。

まあ、内容はおセックスてんこもりっていうか、僕がよく読むエロマンガに、テストで100点取ったら家庭教師が性器を見せてくれるってやつがあって、生徒が虫眼鏡で性器を見ていたら先生に火がついちゃってっていう、いくらなんでもそりゃねーだろ、なんでもセックスにもっていきすぎだってのがあるんですけど、それ以上にセックスてんこ盛りです。淫乱人妻シリーズ3本立ても真っ青。まあ、ザラッとあらすじを紹介すると

オープニング→セックス→レイプ→セックス→セックス→セックス→セックス→エンディング

とこんな感じです。非常に面白かった。しかもこれだけセックスが溢れているにもかかわらず、主演の新垣さんは柔肌一つ見せないという徹底ぶり。エロビデオに、いかにモザイクを回避するかって目的の作品があって、性器とかその辺が見えると強制的にモザイクを入れないといけないんですけど、それを徹底回避、ちっちゃこい紙みたいなのをギリギリの形で貼り付けてエロいことをいたすって涙ぐましい努力をしてるやつがあるんですけど、それに近いものを感じました。

でまあ、なんか金髪の人が死んでしまうんですけど、劇場からはすすり泣く声が。横見たらブスも泣いてました。目からビーム出しそうな感じで、劇場内をサーチライトのように照らしそうな勢いで泣いてました。

これで泣けるのってある意味才能だよなって思うんですけど、これならばハッキリ言って全財産の4万5千円をスロットで負けて魂が抜け出した時の僕の方が全然泣けるからね。失意のままパチンコ屋から出ようとしたら、魂が抜け出しすぎて人間として判定されなかったらしく自動ドアが開かなかったからね。これで泣けない人は本当に心が冷たい人だと思う。

とにかく、非常にステレオタイプというか、ある意味王道な恋愛映画でして、恋をする、セックスをする、相手がガンで死ぬ、泣ける、という、本気で書いたら2行くらい終わりかねない、セックスコンボくらいしか目新しさがない作品なんですけど、そこで僕はあることに気がついてしまったのです。

映画の前半、主人公の新垣さんがヤンキー崩れみたいな金髪と付き合うんですけど、そこでヤンキー崩れの昔の恋人が嫉妬のあまり新垣さんをレイプするよう男に命令するのです。哀れ、幸せの絶頂にありながら男たちにレイプされていく新垣さん、まあ、生々しさなんて全然なくて僕の大好きなエロビデオ「レイプレイプレイプ」っていう懲役10年物のエロビデオのほうがよっぽど迫力あるんですが、とにかくここは結構悲しい場面です。

恋愛には障害がつきもの、障害があるからこそ燃えるものだってのは誰が言った言葉か知りませんが、新垣さんとヤンキーはレイプという悲劇を乗り越えてそれでも愛を育んでいきます。その後も昔の恋人の嫌がらせなど続きますが、それでも愛を貫く二人、その健気な二人の愛に観客は心奪われ、その後に訪れるヤンキーのガンというさらなる悲劇に涙するのです。

しかしですね、ここでちょっと考えてみて欲しい。少し立ち止まって、この映画に隠された裏の意味を考えてみて欲しい。僕らはきっと試されているんだと思う。

この問題のレイプシーンは、ヤンキーの昔の恋人であるプリズンブレイクのマイケルみたいな顔した人が嫉妬に狂ってレイプを仕向けたことが分かるんですけど、そこで思うんです。果たしていくら嫉妬に狂ったといえどもあんなにカワイイ新垣さんにレイプを仕向けるほど人は鬼になれるのだろうか、ということに。

この元カノレイプ主犯説に疑問を持つと様々なことが不思議と怪しくなってきます。様々な点が線で繋がるとでもいいましょうか。ある一つの答えが導き出されるのです。

レイプされた新垣さんは失意の状態にいます。そこになぜか彼氏であるヤンキーが現れます。「愛がウンタラカンタラ」とか言ってますが、拉致されてレイプされた犯行現場に何故ヤンキーが現れることができたのか。僕はこのシーンを見たときにコイツが黒幕だ!って思いましたからね。

では、なぜヤンキーは自分の彼女をわざわざレイプさせたのでしょうか。世の中には色々と酔狂なアベックがいますが、自分の彼女をレイプさせるなんてなかなかできないことです。となると、最初から全て仕組まれていたと考えるのが妥当でしょう。

新垣さんとヤンキーの恋は、新垣さんが携帯電話を落としてしまったところから始まります。なぜか携帯を拾ったヤンキーは携帯のデーターを全て消去、全く不可解な行動に出ます。頭おかしいんじゃねえかって思うんですが、実はコレが絶妙な伏線だった。

つまり、ヤンキーは最初から新垣さんの携帯のデーターが目的だったのです。おそらく、新垣さんの両親の関係でしょう。特に父親(トラブリューの人)は怪しかったですから、たぶんですが、武器商人かなにかだったのでしょう。

日本政府は、中東に展開するアメリカに国際貢献を迫られていた。しかしながら、日本国憲法第9条がが邪魔して武力行使に繋がるような活動はできない。今現在でもインド洋における給油活動なんかで揉めてますね。国内からの反発とアメリカからの圧力、特にアメリカは中東へ展開したのは間違いだったという国内世論の高まりもあってどうしても日本に国際貢献させたかった。給油活動以外の、そう、武力行使に近い活動をさせたかった。

そこで苦肉の策として政府が目をつけたのが新垣さんの父親だった。闇の武器商人として活動していた父親を頼り、秘密裏に武器を供給、アメリカ軍へと貢献させる。表向きは給油活動であっても、中東で使われる兵器の9割が親父ルートで調達されたものだった。これにはアメリカ政府も満足し、日本政府も胸を撫で下ろすこととなる。

しかしながら、親父が欲を出して日本政府を脅迫し始めたものだから物語は急展開する。親父に全てを話されたら政権が倒れるどころか野党からの追求で与党すら危ない。与党が下野する最悪の展開すらありえる。焦った政府は口封じにかかります。しかし身の危険を察した親父は娘の携帯に極秘のデーター、日本政府が関与して中東に兵器を輸出していた証拠を潜ませます。「俺が死んだらあのデーターが出回ることになるぜ」。

問題のデーターが娘の携帯にあることを突き止めた政府は秘密裏にそのデーターを消去しようと企みます。こういった表舞台にでない汚い仕事を担当する内閣特別室所属のヤンキーがその任にあたることになりました。携帯内のデーターを消去せよ、そして娘に接触して手中に収めること、政府は娘を通じて親父をコントロールしようと企てたのです。

そして、新垣さんに接触することに成功し、おまけに携帯内のデーターを消去することに成功したヤンキー、完全に娘を掌握しますが、それでも親父は強気なまま、莫大な口止め料を政府に要求します。

「総理、このままでは・・・」

「ふん、あくまで強気、というわけか・・・枯れても武器商人よのう」

「いかがいたしましょうか」

「少し分からせてやる必要があるようだ」

日本政府の毒牙は娘の新垣さんに向かいます。

「最愛の娘が悲しい悲しい悲劇に遭う、それでヤツも大人しくなるだろう、くっくっくっ」

こうして、政府主導で娘の新垣さんはレイプされます。この計画に最後まで反対したのはヤンキーでした。最初は任務のはずだった、政府の飼い犬として与えられた使命を全うするだけだった。けれども、いつしか純粋な新垣さんの心に彼自身が惹かれていたのです。任務なんて抜きにしてただ彼女のことを好きになっている自分がいた。だからレイプ後に彼女に駆け寄った、命令を無視して駆け寄った。

「ふふふ、ヤツも人の親、すっかり大人しくなったようだ、相当堪えたようだな」

「しかし、なにもあそこまで・・・」

「黙れ小僧!貴様には分からんのだよ!この日本国という歪な国の実態がな!」

「しかし・・・」

「それより、きちんと任務を遂行して欲しいものだな。また命令違反となったら・・・どうなるかわかってるな?」

自分が憎い、自分の体に染み付いた汚い色、幼い頃からエリート官僚の父に英才教育を仕込まれ、政府のために働くべく染み付いてしまった自分が憎い。政府のためを免罪符に様々な汚い仕事もやった、殺しだってやったし、政府に批判的だった学者を痴漢冤罪においやったこともあった。真っ黒に血で汚れてしまった自分の両腕、この澄みきった青い空のように純粋に彼女を愛することなんてできないんだろうか。苦悩するヤンキー。

迷いを断ち切れないヤンキーは、それでも新垣さんとデートします。今デートしているのは政府の犬として任務を遂行しようとする自分なのだろうか、それとも純粋に彼女を愛するだけの一人の人間なのだろうか。ふと視線を上げると、怪しげな人物が二人を尾行していることに気がつきます。

「あれは・・・モサド!(イスラエル総理府諜報特務局)」

呆然と立ち尽くすヤンキー。

「どうして・・・モサドがここに・・・」

ここで場面が変わって星条旗はためくアメリカになります。国務長官が執務室で極秘資料に向き合っています。

「つまり、こういうことかね、この男はまだ生きてると」

「はい、日本国内に・・・」

「何故日本に・・・」

「イスラエルが嗅ぎつけて狙っているようです。モサドが動いているという情報も」

アメリカで情報開示された極秘文書によると、ケネディ大統領暗殺に関与した男が日本へと逃げ延び、その息子が日本国内で生存している、そして中東において反アメリカを貫くイスラエルが交渉材料としてその存在を狙っているというものだった。

そして視点は再び日本へ。

「残念ながら君には表向きは消えてもらうことになる。日本国民がケネディ大統領暗殺に関与していたと公にするわけにはいかないし、イスラエルに協力するわけにもいかない」

不敵な笑みを浮かべる総理大臣(石坂浩二:友情出演)。ヤンキーはキッと総理を見据えて言い放った。

「分かっています」

「出来るだけ自然な形で消えてもらうよ、アメリカもイスラエルも欺かなければならないのだから・・・」

こうしてヤンキーは表向きはガンによって死亡したと偽装することになりました。映画を観た方なら分かると思いますが、物語後半のヤンキーはガンにしては元気すぎると思いませんでしたか。それは偽装死だからっていう監督からのメッセージが込められていたのです。

人は自分が愛する人が悲しむことこそ苦しいはずです。自分が傷つき、悲しみ、涙に暮れる、それは幾ばくか我慢できようとも、最愛の人がそんな目に遭うことだけは我慢できません。国のため、最愛の人を欺いて偽装死をしなければならなかったヤンキーの気持ちが分かりますか。最愛の人どころか自分の気持ちすら欺いて。

「モサドのやつらは彼女にすら危害を加えかねない、自分が消えるのが一番だ」

ヤンキーは決意します。そして、彼女の前から死という形で姿を消すのです。誰も幸せになんかならない、もし許されるならば、次はみんなが幸せになれるような恋がしたいね。このシーンがムチャクチャ泣ける。

純粋に悲しむ新垣さんの姿をビルの屋上から見つめるヤンキー。彼女は悲しみのあまり自殺しようとしますが、抑え切れなくなったヤンキーがなんとか思い留まらせます。そうして表向きの物語は終わり、エンドロールとなるのですが、実はこの話には続きがあります。

相変わらず武器商人を続けていた親父が商談で中東のとある国に向かいます。小さな農村で散歩をする親父、部下が「気をつけてください、まだ治安が安定してませんから」と言い添えます。フラフラと街を歩いていると、米軍の攻撃で傷ついた人々が目に飛び込んできます。そして、脇にある小屋からこんな最果ての地で聞こえてくるはずのない日本語が聞こえてきます。

その日本人と思わしき男は、傷ついた村人を一生懸命看護しています。こんなところにまで日本人ボランティアが・・・親父は少し興味を持ち、小屋を覗きます。

「世界中どこだって空は繋がっている」

「お兄ちゃんは好きな人いるの?私も恋したいよ!」

「ああ、この国が本当に平和になったらできるさ、この空のように澄んだ恋がな、恋空が・・・」

小さい子供の頭を撫でながら、少し汚れた金髪をなびかせる日本人青年がいたのでした。何かから解き放たれたような満面の笑みで。

おわり

表面的には恋してレイプされてセックスして相手が死んじゃうエーンって感じのストーリーなんですが、実は裏にはこれだけの事実が隠されている。それが読み取れるかどうか僕らは試されていたんですよ。

とまあこんな感じのことを、恋空の裏に隠された悲恋ストーリーって感じで観終わった後にブスに話してやったんですよ。回転寿司食いながら話してやったんですよ。そしたらブスが大激怒しましてね、アワビ食いながら大激怒しましてね、あんな綺麗な話をそんなムチャクチャにしないで!って寿司代も払わずに帰っちゃいました。アワビみたいな顔しやがってからに。

それだけならまだいいんですけど、休み明けに職場に行ったら、映画の後にしつこく誘われた、恋空に感化されちゃったのかしらとか、私の胸元を見る目がいやらしかった、とか訳の分からないファンタジーが風説の流布されてり、本当に心の底からブス死ねって思ったのでした。すごい悪意のある感じで。

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