千の風になって

千の風になって

夕暮れの墓場はオレンジ色の恐怖だった。

小学生だった頃、ウチは校区のギリギリ端っこで、かなり遠距離とも言える通学路だった。仲の良かった友達と一緒に帰ったとしても確実に途中から一人で帰らなければならなかった。

完全なる孤独の通学路になってからすぐに目の前には広大な墓場がありました。この地区一帯の墓を全て引き受ける一大墓アミューズメントパークが威風堂々と存在していた。

どうしてもその中心を突っ切る道路を通って帰らねばならず、両側にそびえ立つ墓石や卒塔婆に恐れ戦きながら身をかがめて帰宅したものだった。だいたい家路に着くのは夕暮れ時が多く、夕陽でオレンジ色に染まった墓石がなんとも不気味だったのを今でも覚えている。

ある日の帰り道、相変わらず夕暮れ時で、大きくなった太陽が西に沈みかけている頃合だった。学校で「怖い話」が大ブームとなっており、あまりの恐怖に堀辺君がオシッコを漏らすという大惨事が起きたその日、やはり僕も恐怖に震えていた。

どうしよう、今日は墓場を通りたくない。今日はいつもの倍怖い。頭の中で昼間に聞いた怖い話、堀辺君の泣きじゃくる顔、縦横無尽に床を走る黄色い液体、様々なものがリフレインする。

けれども、本気でシャレにならないくらいの広大な敷地を誇る墓場なので遠回りして避けても日が暮れてしまう。容赦なく田舎なので夜になれば真っ暗だ。闇の中を帰るのも墓場と同等に怖い。

勇気を出して一歩踏み出した。この墓場を突っ切る。なあに、いつも通ってる道だ、怖くない。けれども、両脇の墓石や卒塔婆を眺めながら通過する勇気なんてなさそうだったので、その辺に落ちていた小石を蹴りながら歩き始めた。

この石を家まで蹴れたら幸せになれる。お金持ちになってアイドルと結婚できたりする!

漠然とそう信じ、コロコロと転がる石ばかりを見つめて墓場ロードを歩き始めた。こうすれば墓石も卒塔婆も見なくて済む。ただただ一心不乱に小石を蹴り続けた。

墓場も中盤に差し掛かった頃だろうか、もう360度全方位が墓場で、明らかに一番怖い場所。その忌々しい場所に差し掛かった瞬間、僕はその顔を上げた。いや、上げざるを得なかった。

「うおおーん」

遠くの方で奇っ怪な声が聞こえた。あまりの恐怖にビクンとなる。堀辺君のようにお漏らししてもおかしくなかった。ついつい顔を上げてしまうと、徹底的に磨かれた「山田家ノ墓」とか書かれた墓石と目が合ってしまう。墓石は夕陽を反射してオレンジ色に輝いていて、なんだかそれが死を象徴してるかのようで無性に怖かった。まさしくオレンジが死の色だった。

「うおおーん」

さらに奇っ怪な声がかすかに聞こえる。

今度は空耳なんかじゃない。かなり鮮明に耳に届いた。あまりにもブルってしまった僕は、さらに小石を蹴り続けた。早くこの墓場ロードを通り抜けたい、それより何より、正体不明の謎のうめき声が怖すぎる。

コツコツと小刻みに蹴っていた小石、今やあまりの恐怖から大胆に力を込めて蹴るようになった。早く抜けたい、この墓場ロードを抜ければ親父の資材置き場がある、そこまでいけばなんとかなるはずだ。

当時、この墓場の横辺りには広大な空き地があって、そこの持ち主に了解を取って親父が資材置き場に使っていた。水道も電気も来てるし大通りにも近い、資材置き場として最高だと言っていた。いつも学校帰りに資材置き場に行っては親父の仕事を眺め、一緒に家まで帰っていた。

「うおおーん」

またうめき声が聞こえる。どうやら等間隔で発せられてるようだ。心なしかだんだんと距離が近づいている。怖い、怖すぎる、もうあまりの恐怖に駆け足になっていた。石を蹴りつつ駆け足の僕、まさに夕方は墓場で運動会。

「うおおーん」

「うおおーん」

どんどんと近くなってくる叫び声、耳を塞ぎ聞こえないふりをして駆け抜けた。怖い、お父さん助けて!一気に墓場を駆け抜けた僕は、夢中で資材置き場に飛び込んだ。

「うおおーん」

叫んでたのはウチの親父だった。

いやね、何をトチ狂ったか知りませんけど、モモヒキみたいなのはいて一心不乱に水をかぶってんですよ。青いバケツにガンガン冷水をためて、ザバッと頭からかぶって「うおおーん」と身悶えてやがるんですよ。その光景が衝撃的過ぎて衝撃的過ぎて、蹴ってた小石なんて忘れるくらいにポカーンと眺めてました。

しかも、その横にはウチの従業員だった峰岸君がいましてね、切腹の介錯人みたいな潔さで「はい!」とか冷水がはいったバケツ渡してんの。意味がわからない。あまりに不気味なうめき声に近所のおばちゃんとか何事かと様子を見に出てきてましたからね。

あそこで水をかぶってる生物が、自分と色濃く血が繋がってるとは考えたくないのですが、親子の繋がりってやつだけはどうしようもないので恐る恐る近づいていきます。

「なんで水かぶってるの?」

至極純粋、少年らしいピュアな心で正直に疑問をぶつけてみました。いくら親父がキチガイだといっても理由もなく冷水をかぶるわけがない。きっと何か理由があるはずだ。何か納得のいく理由があるはずだ。親父の中に眠ってるであろうひとかけらの良心を探すように問いかけます。しかしながら、キチガイ親父の返答は散々たるもので、

「風邪ひいたからだ」

と何故か妙に偉そうで誇らしげ、意味がわかりません。

どうにもこうにも理解の範疇を超えてしまってるのですが、落ち着いて話をきいてみるとこういうことらしいのです。

朝から体調が悪かった親父、頭も痛いし寒気がする、何より喉が痛くてどうしようもない。仕事をしつつ昼ぐらいに「これは風邪だ!」と認識したようです。遅すぎる。風邪と認識するとさらに体調が悪化し、仕事をしながらフラフラ。そこで風邪にしてやられている自分に無性に腹が立ったそうです。風邪如きでフラフラするとは何たる不覚、このままではいかん!

親父は決断しました。自分は風邪などに負けん、風邪など迎え撃ってやるわ!やったるで!断固たる決意のもと、従業員の峰岸君と冷水をかぶりはじめたというわけです。どういう迎え撃ちなのかサッパリです。

いやー、バカは風邪ひかないっていうけど、キチガイが風邪ひくとこんな大変なことになるのか。「はい」と神妙な面持ちで冷水を渡す峰岸君に紫色の唇しながらかぶる親父と、大人になるのはかくも大変なことなのかと痛感するのでした。

それから我が家では、「風邪をひいた」という言葉がタブーとなり、主に僕と弟は心底怯えていた。風邪ひいたなんて言ったら冷水かけられる。死ぬまでかけられる。あのキチガイならまだしも、僕らのようなか弱い子供が受けたら間違いなく死ぬ。だから、どんなに風邪っぽい症状でも「風邪ひいた」なんて気軽に口にできなかった。

だから風邪ひいても気軽に病院なんていけなかったし、風邪薬なんて飲んだこともほとんどなく、アフリカ奥地の原住民みたいに体調不良を自分の治癒力で治していた。そうなってくるとね、自分の中で病院神話みたいなのが生まれてくるんですよ。

どんなに大変な症状でも病院にいけば絶対に治してくれる。病院でもらった薬を飲めば絶対に治る。そう信じて疑わない部分があったんですよね。どんなにヤブ医者にかかろうとも、やっぱりそう信じて疑わない部分があったんですよ。

で、ちょうど1ヶ月ほど前でしょうか、なにをどう間違ったのか知りませんけど、24時間オナニーをしまくるという、戦後間もない頃だったら憲兵に首をはねられても文句言えないような企画に挑戦したことがあったんですよ。

24時間もの間、下半身丸出し状態で体力を消耗しましてね、風邪ひかないほうがおかしいだろって状態で狂ったようにオナニーしてたんですよ。でまあ、見事に風邪ひいちゃいましてね、熱はガンガンでるわ喉は痛いわ気持ち悪いわで大騒ぎ。もう完全にフラフラになっちゃってゾンビみたいになりながら仕事に行ったんですよ。

いやね、体調悪いんだから仕事くらい休んでも良かったんですよね。別に僕が休んだところで業務に支障がでるわけじゃないですから、サクッと休んでも良かったんですよね。でもね、風邪をおして仕事行ったら職場の人なんかが優しくしてくれるかなってほのかな期待を抱いたんですよ。

「あら、patoさん、なんか体調悪そうですよ?」

「うん、ちょっと風邪ひいたみたいでさ」

「大丈夫ですか?なんだか心配…」

「仕事たまってるし休んでられないしさ」

「でも本当にきつそうですよ…私にできることあればいってください」

「うん…でも大丈夫だから…」(フラつく僕)

「だ、大丈夫ですか!?」

「だ、大丈夫…ありがとね、マミちゃん…」

「本当に私にできることなら何でも言ってくださいね」

「うむ、じゃあしゃぶってくれい」

ジュボジュボ

とまあ、女子社員の母性本能的な部分を刺激して美味しい思いができるんじゃないか、ちょっとそういうのを期待した部分は否めません。

しかしですね、現実ってのは思いのほかリアルで残酷なんですよね。職場に行った瞬間にですね、「うわっ!風邪!」みたいな非国民みたいな扱いを受けてですね、「うつさないでよ!」と毛嫌いされる始末、終いには「やーい、ロボット超人」などと石を投げられそうな勢いですよ。

ほのかな夢すら破れておまけに総スカン食らっちゃってね、体調も悪いけどそれ以上に心が痛い状態になっちゃいましてね、もうどうでもいいんで早退することにしたんですよ。

「今日、体調悪いんで帰ります」

一応、職場のみんなにそう告げて帰宅準備をしていたんですけど、返事も何ももらえず完全なるアローン。B'zが出てきそうなくらいアローン。独りさびしくトボトボと帰りました。

さて、思いもよらず昼過ぎに帰れることになったのですが、いかんせん体調が悪い。本来ならウヒョーと街に繰り出して欲望の限りを尽くすのですが、もう視界が歪むくらい酷いことになってて、ハンドルを握りながら意識が遠のきそうな状態。

途中何度か意識が飛びながら車すらフラフラさせて家へと向かい、なんとか家に近くまで達したのですが、そこでもう限界。これ以上は生命に関わると感じてしまい、車を停めました。

もうこれ以上の運転は無理だ。景色が歪みすぎている。病院にいかないと死んでしまう。色々なものが限界値に達していることに気がつき、家まであと1キロといった地点で病院に行こうと決意したのです。病院ならきっとなんとかしてくれる。自分の中の病院神話を信じて決意したのです。

この近くに病院があるのか良くわからないので、カーナビを駆使してなんとか検索。するとかなり近くに○○医院とかいう個人経営くさい病院があるのを発見、もうここに行って完膚なきまでに治療してもらうしかない、そう信じ最後の力を振り絞ってカーナビに指示されるまま進みました。

到着してみると、どう見ても胡散臭いというか、朽ち果てそうというか、レンガ造りでボロボロの医院がそびえ立ってるんですよ。営業してるかどうかすら怪しい佇まい、病院に行くと常にヤブ医者を引いてしまう僕としてはかなり危険が危ないのですが、既にフラフラで一歩も歩けない状態。背に腹は変えられないとは正にこのことで、その重苦しい医院の扉を開いたのでした。

入ってみると、ドアをくぐったはずなのにもう一個目の前に木の扉があって、なんだか安っぽいトラップみたいな雰囲気がムンムン。さらにその木扉をくぐってみると、なんとか営業してるみたいで医院の体裁を保った待合室が広がってました。

そこでいきなり度肝を抜かれたんですけど、入ってすぐの場所に優雅さを演出するためか水槽がドデーンと置いてあったんですよね。40匹ぐらいの金魚が綺麗に、スイミーみたいに泳いでいたんですよね。おお、綺麗だなと眺めてたんですけど、普通に4匹くらい死んでプカプカ浮いてましたからね。見事に4匹死んでましたからね。まさか病院に行っていきなり死に直面するとは思わなかった。

で、よほど患者が来ないのか、待合室の電気は消されてましてね、日も差さない部屋なので微妙に暗くて冷たい。受付みたいな場所もあったんですけど、見事に人っ子一人いませんでしたからね。

「すいませーんー」

もう声を出す気力もなく、それどころか喉がガラガラで大きい声だせないんですけど、必死の思いで呼びかけます。すると、奥のほうからバタバタとオバハンが出てきましてね、その雰囲気から、ああ、ここの医者の嫁ハンなんだろうなって感じがしました。

「すいません、なんだか風邪ひいちゃったみたいで」

と事情を説明して、保険証がないので後から持ってくる感じで交渉、なんとか診察してもらえることになって椅子に座って待つように言われました。

こんな誰一人患者いないのに待たされる理由がわからない、もう意識が遠のきそう、なんてボヤーッと待っていると、なんか夢の向こうで誰かが喋ってるみたいな感じで声が聞こえるんですよ。

「…患者さんが…」

ハッキリとは聞き取れないんですけど、どうやらさっきのオバハンが医者に説明してるような声が聞こえてくるんです。ああ、診察室で説明してるんだなーとか思ったんですけど、なにやら様子がおかしい。

「わかっとるわ!」

「うるさい!」

医者と思わしきオッサンの声がむちゃくちゃ怒鳴ってるんですよ。えー、何も怒鳴らなくてもいいじゃん、とテンションだだ下がりですよ。それからもこっちは意識が遠のきそうなのに

「…はどこやったんだ!」

みたいにドメスティックバイオレンスも辞さない感じで怒鳴ってるんですよ。何が起こってるのかサッパリ分からない。普段よほど患者が来ないのか何のか、とにかくドタバタと怒鳴りながら準備してる感じなんですよ。

「○○さん、診察室へどうぞ」

やっとこさ呼ばれてフラフラになりながら診察室へ。布の衝立で複雑に仕切られてて迷路みたいになっている通路を抜けていきました。

見ると、これがさっき怒鳴っていた人とは思えないほど仏像みたいなにこやかな顔をした医師が、ものすごく健やかで穏やかな顔をして座ってました。結構年配の方なんですけど、それはそれは穏やかな顔でした。

「今日はどうしましたかな」

僕の中ではさっきの怒鳴り声の印象が強いので、下手なこと言ったらコイツが修羅に変わるかもしれない、とビクビクしながら症状を説明します。

「なんか熱っぽくて、喉も痛いですし、熱も…」

「インフルエンザですね」

まだ僕が症状を説明している途中なのに言い切るんですよ。そりゃちょうどインフルエンザが流行している時期でしたけど、さすがにもうちょっと診察とかしようや。

「それで頭痛もすごくして…」

「インフルエンザですね」

もう症状の説明をさせない!っていう強い意志を感じましたよ。何がそこまで彼をインフルエンザに駆り立てるのか知りませんけど、目をランランと輝かせてインフルエンザですよ。

「車の運転もできない状態で、命からがらここまできました」

「インフルエンザですね」

とにかく、インフルエンザにしたいみたいでどうしようもないんですけど、熱がどれくらいあるか測ってみようってことになったんです。

体温計をぶっさしてしばらく待つんですけど、その間もずっと

「いやー、インフルエンザは大変だよー」とか「今ニュースで盛んにやってるタミフルが…」とか、インフルエンザありきの話題をふってくるんですよ。僕も「はい、はい」としか答えることができず、どうしようもない手持ちぶさたな時間を過ごしていると

ピピピピピピピ

と、測定終了を告げる電子音が。こんなに死にそうなんだ、きっと40℃くらいあるに違いない!と数値を見てみると、詳しい数値は忘れましたがたいした高熱じゃない。確かに熱はあるんだけど、インフルエンザにしてはそう高くない数値。もうインフルエンザと決めてかかってるオッサンは

「おかしいな、もう一度やってみよう」

とまたもや体温測定ですよ。そんなにインフルエンザにしたいのか。

「いやー、インフルエンザじゃないかもですよ。普通に下半身裸で24時間過ごしましたから、汗もかきましたし。ただの風邪かも…」

と、再度訪れた亜空間みたいな待ち時間に話を振ったのですが、オッサンは頑として受け入れない。絶対にインフルエンザと信じて真っ直ぐに僕の瞳を見つめていた。そこまで言われるとインフルエンザでもいいかなって気持ちになってくるか不思議だ。

しかしながら、現実ってのはリアルで残酷なもので、再度測定しなおしても普通にやや高熱程度のもの、このままじゃあインフルエンザとはいえない。

「ま、インフルエンザでも熱が出ないのかも、別の検査をしましょう」

と、まだインフルエンザへの希望を捨てない医師。奥さん兼看護師のオバハンに指示してインフルエンザ検査キットみたいなものを持ってこさせました。

これがまあ、チャチなもんでしてね、なにやら棒みたいなものに紙がついたもので、妊娠検査薬みたいになってんですけど、どうやらこれを鼻の中に突っ込んで検査するらしい。

「はーい、鼻にいれますよー」

とオッサンが検査薬を入れようとするんですけど、どう見てもその手がプルプル震えてる。おいおい大丈夫かよと思うんですけど、やっぱり大丈夫じゃなくて、ズボッと信じられない奥まで挿入されてしまったんです。

いやいや、僕なんて医学素人じゃないですか。普通に奥まで突っ込みすぎ、なんて分かるわけないじゃないですか。正確な検査するためにはこれくらい入れなきゃいけないものかもしれない、そう考えるとおいそれと「突っ込みすぎ!」なんて言えないでしょ。でもね、そんな僕でも明らかにおかしいと分かるんですよ。

だって、入れすぎて取れないんだもん。その棒状の検査キットがですね、その全身を全て鼻の中に収めるほどに突っ込まれてるんですよ。むちゃくちゃ痛いの何の。取り出すときに取れなくって、オッサン焦っちゃってピンセットで取ってましたからね。おかしいおかしい、よく考えると何かがおかしい。例えるなら堂本剛君の髪型くらい、ふと立ち止まって考えてみるとおかしい。

「じゃあ、逆の鼻もいきますよ」

ズボッ!

今度はさっきよりも奥深くに侵入してきやがりましてね、もう痛いの何の。涙出てくるわ、風邪でフラフラだわで大変な騒ぎ。しかもオッサン的に位置的収まりが悪くて不快だったのか、検査棒をグリグリやってくるんですよ。

もう脳みそ掻き回されてるみたいな激痛が鼻を中心に走りましてね、我慢できずに

「うおおーん」

とか叫んでました。それくらい痛かった。なんか鼻をレイプされてる気分だった。

やっとこさ地獄の検査も終わり、地獄のレイプツールと化した検査棒をキットにセット、その結果をしんみりと見守っていたのですが、僕の両鼻は蛇口が壊れたみたいに鼻水ダラダラ。全然そんな症状なかったのですが、鼻レイプによって鼻水まで追加される事態に。

「インフルエンザならここが青に変わりますんで」

そう説明されて二人でジッと検査キットを見つめていたのですが、これがまたビタイチ青にならない。1ミリもインフルエンザの匂いすら残さないほどに無色。

「あれ、おかしいな。インフルエンザじゃない」

「じゃないみたいっすね」

二人でまんじりとしていたのですが、そこでオッサンがまた

「もう一度検査しましょうか?」

とか、あんたどんだけ僕をインフルエンザにしたいんだよと言わずにいられない提案をしてくるじゃないですか。さすがにさっきの激痛アゲインだけは勘弁なので

「それだけは許してください。きっとインフルエンザじゃないですよ」

と懇願。

「インフルエンザじゃないかなあ」

「検査結果もそうでてますし、ただの風邪ですよ」

「そうかもしれんな」

と、どっちが医者なんだかわからない状態に。で、インフルエンザじゃない僕になど興味ないと言わんばかりにそっけなくなりましてね。

「もう帰っていいですよ、十分休んでください」

と、セックスした後の男みたいな冷たさで言うんですよ。男なんてみんなそう、抱くまでは優しいのに抱いたら手のひら返して、釣った魚に餌はやらないってわけ?と言いたくなるような冷たさですよ。

「あ、でもフラフラしてるみたいだから車の運転はしないで、タクシーで帰りなさい」

みたいなことを言われました。

またもや待合室の椅子に座り、あーしんどい、でもインフルエンザじゃなかったんだー、じゃあ薬もらって飲んで休んでたら治るなー、とっとと薬もらって帰ろう、やはり医者神話、薬神話を信じて疑わない僕は、薬さえ飲めば治ると一縷の望みを託していたのでした。

「○○さーん」

と、オバハンに呼ばれるじゃないですか。僕しか患者いないんで名前呼ばなくてもいいのにとか思いながら受付みたいな場所に行くと、薬みたいな包みがドデンと置いてありました。診察は散々で鼻水も止まらなくなっちゃったけど、薬さえあれば大丈夫、これのめばシャッキリ治っちゃうんだからー、と包みを開けました。

「うがい薬」

いやね、ドデンと袋の中にうがい薬が鎮座しておられるんですよ。あーあ、ビンに「イソジン」とか書いちゃってるしよ、オレンジ色の液体がドーンと入ってるだけなんですよ。

「あの、他に薬とかは…?」

「それだけです」

いやいや、こんなうがい薬、病院でもらう必要ないじゃないですか。そういう店行ったらプレイ前に渡されたりするじゃないですか。もっとこう、僕が求めるのはメディカルな錠剤とか苦い薬じゃないですか。

だいたい、こういうのって無駄かってくらいに薬出して病院側も儲けようと画策してくるにちがいないんですけど、勇ましいほどにイソジンだけ。掛け値なしにイソジンだけ。おかしい、何かおかしい、堂本剛の髪型だ。

「あのもっとこう、薬とか…」

「それだけです」

もっとこう栄養のつく薬とか、頭痛を抑える薬とかあるじゃない、こんなイソジンだけでガラガラうがいしてて治りそうにない。

「もっとあると思うんですよ、聞いてきてくれませんか?」

もうヘロヘロですので、なんとか懇願して薬を出してくれと志願。それを受けてオバハンは明らかに嫌そうな顔しながら診察室へと消えていきました。で、またもや診察室から声が漏れ聞こえてくるんですけど

「いらん!」

「でも…」

「いらんといったらいらん!」

とか、あの朗らかな医師は二重人格なんじゃないだろうかってくらいに怒鳴り声が聞こえてくるんですよ。どうもインフルエンザじゃない僕には全く興味がないらしく、薬を出す気もおきないのか。

これ以上要求してオバハンが怒鳴られるのも心が痛いのですが、なんとか懇願して取ってつけたような薬を貰ったのですが、そんなシチュエーションで頂いた薬が効くとは到底思えず、フラフラと病院を後にするのでした。

「そういや、車は置いておいていいからタクシーで帰れ言ってたな」

タクシーを呼ぶ気力も財力もありませんでしたので、車の中で少し寝て体力回復を図り、フラフラと歩いて家に帰るのでした。

この医院から家まで約1キロ、車の中で数時間寝たのに体力回復できなかったどころかさらに悪化し、ものすごく死にそうになりながらフラフラ歩いて家路に着くのでした。普通に歩いても倒れそうなので、小石を蹴って「家まで蹴れたら生きれる」そう信じて。

時間はもう夕暮れ時、途中、墓場の横を通ると墓石がオレンジ色に輝いており、また恐怖を感じずにはいられなかった。幼い頃に感じたオレンジ色の恐怖。あの頃は単純に幽霊とか物の怪の類が怖かったけど、今は生命の危機が怖い。このまま墓場で死ぬんじゃなかろうか。これもまたオレンジ色の恐怖だ。そして手元には病院で貰ったオレンジ色のイソジンが。これもまたオレンジ色の恐怖だ。やっぱあいつヤブ医者だよなあ。

墓場の石垣に腰を下ろし、頼みの綱の医者もダメだった、こうなったら冷水をかぶって風邪を迎え撃とう、家に帰ったらそうしよう。そう堅く決意するのでした(本当にやると大きい病院に担ぎ込まれます)。

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