アニムス

アニムス

自信のない言葉をさも自信ありげに言い放った。

グリコマイルドカフェオレを飲みたい。500mlの紙パックで99円は破格にお得だ、お得すぎる。気が狂ってるとしか思えない。100円としないところがニクいニクすぎる。これは迷わず猫まっしぐらで購入するしかない。しかしながら、弁当コーナーに鎮座する牛焼肉弁当も見逃せない。こちらの値段は520円とかなり強気、さすが牛肉と言うしかない。

さて、現在の所持金は550円。もちろん、牛焼肉弁当を買おうものならカフェオレは買えない。一気に経済破綻してしまう。もちろん、逆説的にカフェオレを買おうものならば牛焼肉弁当は買えない。カフェオレは飲みたい、けれどもカフェオレだけじゃあお腹は膨れない。もちろん弁当だって食べたい、けれども飲み物なしで牛焼肉なんてヘビーなもの食べられない。食べれれないことはないだろうけど、心に余裕がある優雅な食事とは程遠いだろう。

カフェオレで喉を潤し、空腹はカップラーメンか何かで誤魔化すか。それとも乾きに耐えて豪快に牛焼肉を食らうか。このチョイスに全く自信が持てない。どっちを選んだとしても後悔する未来が見えすぎるほどに見えている。どっちを選べばいいんだ。どっちを選べば幸せになれるんだ。後悔しないチョイスをする自信が全くない。

とまあ、コンビニの牛乳コーナーの前で苦悶していると、死ぬほど悩みぬいている僕とは別次元といった和気藹々さでキャピキャピと女性二人がやってきましてね、なにやら、シャブでもやってんじゃねえのというハイテンションで会話しつつ、ゼリーだとかプリンだとかをチョイスしとるんですわ。

「あーん、これ好きなんだけど太っちゃうしなー!」

「いいじゃん、トモ子は痩せすぎだよー」

「そんなことないよ、あちこちにお肉ついちゃって」

見ると、顔面ペレストロイカみたいな女性と、顔面天安門事件みたいな女性がそこにおわしてですね、キャイキャイとゼリーとか選びながら僕とは別次元の平和な苦悩を募らせてたわけなんですよ。

僕もまあ歴史的事件と言えるほどのブサイクフェイスを誇っていますから、あまり人のことをとやかく言えない、泥棒が泥棒を揶揄してるようなもんなんですけど、そのペレストロイカみたいな女性が、太ろうが痩せようがそう大差ないよな、それどころかゼリーがモロンと顔の上に搭載さていても違和感ないよ的なことを考えていたんです。

「茂男君って絶対にトモ子のこと好きだよー」

「そんなことないよー」

「ぜったいだって!アタックしちゃいなよ!」

いつのまにかゼリーの話題からペレストロイカの恋話に発展していたわけですが、やけに天安門事件の方がペレストロイカに茂男君を熱烈セールスしてるんですよ。ビリーズブートキャンプかってくらいに強烈セールスですよ。

しかしながら、ペレストロイカの方もまんざらでもないご様子で、やだーうふふ、みたいな途方もない状態になっておったんですけど、そこで衝撃の一言が飛び出したんですよ。

「でもー、ワタシ見た目自信ないしー」

まず初めにですね、僕はこの会話を横で盗み聞きしていたわけなんですが、心のなかで「うむ、その意気や良し!」と褒め称えましたよ。世の中にはとんでもアニマルな人がいましてね、その、見てくれがノーサンキューな人ほど自意識がビンビンに、教師ビンビンかってほどに達者な人なんかおられましてね、例えばダルシムみたいな見てくれなのに「patoさんがセクハラしてくるんです!」と会議の席で発言するような、まあ、そういう人がいるんです。

しかし、このペレストロイカはちゃんと自分を分かっている。自分がペレっちゃってること理解してる。同じブサイクとしてこういう気の良いブサイクは大変好感が持てるんですよ。もう心の中で「こりゃアッパレだな」とか言ってた。

しかしですね、その発言の内容は良いのですが、そのニュアンスというか発言の仕方というか、彼女自信が身に纏っている禍々しきオーラというか、そういうのがちょっとひっかかる。確かに彼女は「見た目に自信がない」とさも弱気なことを言っているのに、盗み聞きしている僕はそう感じない。口では弱々しいこと言ってるのになんとも自信満々な口ぶりだったんですよ。

そういや、遠い昔、こんな言葉の内容とその言い方がマッチングしない奇妙なセリフを体験した事がある。あれは確か高校時代だったか。

高校時代の僕らはそれはもうエロに夢中だった。エロのことしか考えてなくて寝ても覚めてもエロばかり。全ての行動がエロに帰結すると言っても過言ではなかった。そうなると、当然価値観が全く違うわけで、お金や食べ物、学校の成績なんてものよりもエロ本やエロビデオが最高の宝物だった。

こんな逸話がある。今現在で30歳にもなるいい年した男性が高校生の頃、優しい伯父さんに「これで参考書を買え」と1万円貰ったそうだ。何をトチ狂ったのかその高校生は、かねてから保存してあった「エロビデオ通販」のチラシを取り出し1万円分のエロビデオを注文したそうだ。後日、郵便によって送られてきたエロビデオを父親が受け取ってしまい、家族会議の席で正座させられながらお茶の間のワイドスクリーンで延々と再生され、「こんなのが観たかったんか?ん?ほれ?」「あら、この人お母さんより胸がきれいだわ」などと2時間に渡って辱めを受けたそうだ。徹底的に怒られ、徹底的に辱められたにも関わらず、その後、青年はこう言い放った。

「それ、俺のだから観終わったら返してよね」

それほど青年にとってエロビデオはお宝だった。さらに怒られようとも、エロビデオ大帝などと親戚の集まる法事などで不本意なニックネームで呼ばれることになろうとも、青年はエロビデオを手放したくなかった。というか、エロビデオ大帝ならまだ良いほうで「灼熱、おもらしでちゃう!」とビデオのタイトルで呼ばれた、しかも8歳のかわいいイトコに呼ばれた時は自殺すら考えた。

青少年に対する保護が今より緩かった時代といえども、やはりエロ本やエロビデオを入手するのは困難だった。エロスはいつだって必要なところに分配されない。本当に必要としているところに到達しない。最も需要が高いのは中高生だって分かりきってるはずなのに、世間はそれを躍起になって規制する。これは全て戦後まもなくに起こった悪書追放運動に起因するもので、その後、青少年条例が全国で強化された暗黒の1970年代を経て1989年にあの事件が起こる。これによって悪書を悪とする風潮が極めてスムーズにPTA主導で巻き起こってきたのだ。けれども、大切なことは「ルナ先生」から教わったし、遊人先生を敬愛して止まなかった。これらは全て後に「有害コミック」として回収されたものだ。子供たち不在の場で大人たちのエゴが展開され・・・

とまあ、この辺を書くと脱線どころの騒ぎじゃなく、自信に満ち溢れて雄弁に4時間くらい語ってしまいますのでこのくらいにして、とにかく、僕らにとってエロビデオは宝だったし、とても手に入りにくいものだった。

ある放課後、体育の授業に体操服を忘れてしまい、柔道部から借りた柔道着でサッカーに馳せ参じた罰として校庭の石拾いを命じられた僕は、2時間も拾わされて腰が痛いと苦悶の表情を浮かべながら教室に戻った。

今でも覚えている。窓から入ってくる夕日が凄く綺麗で、町内会の5時を告げるサイレンが遠くの方で鳴っていた。もうみんな帰ってしまって誰もいないだろうとサイレンに合わせて歌を歌いながら教室に入ると、そこには1人の男が立っていた。

「あれ?まだ帰らないの?」

「うん、まあ、ちょっと数学で分からないところを先生に質問してたから」

「へえー、俺は校庭の石拾いだよ。なにも全面やらせなくてもいいのにな!」

「そりゃ柔道着で来たら先生も怒るよ。おまけに下はいてないし。巴投げとかするし」

「ハハハハハハ」

彼の名前は柳田君。クラスでも比較的おとなしめでガリ勉タイプ、いつも休憩時間に教科書なんかを読んでるタイプだった。今の今までほとんど会話したことないってんだから同じクラスにあっても住む世界が違う感じだった。

「今日こそは近所のビデオ屋でエロビデオを借りねばならん!」

当時、未成年には貸せませんと冷酷に言い放つ店員と熱きバトルを連日展開していた僕は、何故だか知らないけど柳田君にそう宣言して教室を後にした。今日こそは借りてやると熱く心に誓って。

「おーいまってよー、よかったらウチに遊びに来ない?」

階段を下りて校門のほうに向かって歩いていた僕を追いかけてきた柳田君。まるで何かの使命でも背負ってるかのように息を弾ませて追いかけてきた。

「いや、今日こそはエロビデオ借りないといけないし」

ハッキリ言って柳田君とはあまり親しくなかったし、それよりなにより6時を超えるとガードの緩いバイト店員から店長にレジ交代が行われるため焦っていた。

「まあまあ、知ってるでしょ、ウチすぐそこだから寄っていってよ」

そんなの全然知らなかったんですけど、大人しい柳田君からは考えられない強引さ。こりゃ何かあるなと感じつつ、引っ張られるように彼の家へと赴くことに。

柳田君の家は学校近くの閑静な住宅街に佇む新しい感じの一戸建てで、なんか庭に芝とか生えてました。その傍らにはゴルフセットみたいなのが転がっていて、どっからどう見ても完全無欠に裕福な家庭でした。

「部屋上がって待っててよ、飲み物持ってくるから」

部屋に上がってみると、もうマンガ本は本棚にギッシリだわ、よく分からないプロ野球選手のサインは飾ってあるわ、部屋にテレビデオがあるわで大騒ぎ。運ばれてきたカルピスも、飲んだことないような濃さで、何回か家で飲んだ爺さんのションベンみたいな薄さのカルピスが偽物であると痛感させられました。

「じつはさ、見せたいものがあるんだけど」

ズズズと原液なみのカルピスを飲み干すと柳田君はそう言った。で、ガラリとベッドの下の引き出しみたいになってる収納スペースを開いた。

ビデオ、ビデオ、ビデオ。

そこにはギッシリとおびただしい数のビデオテープが。何でか知らないけど横向きに陳列されたそれらは板チョコのようにすら見えた。

「もしかして・・・これ全部・・・?」

「そう、エロビデオ」

「すげええええええええ」

あれだけ求めていたエロビデオが山のようにある。このビデオ1本に1人のAV女優が収録されてるとして、おっぱいの数は2個。数百本あるわけだからその数の2倍のオッパイが。もう天文学的過ぎて想像もつかない。

「こんなので驚いてもらっちゃ困るよ」ガラリ

もう一方の収納スペースを開けると、そこにはまた同じだけの数のビデオテープがギッシリと。

「こっちもまさか・・・?」

「そう、エロビデオ」

もう負けた、完全に負けた。圧倒的敗北、歴史的惨敗。勉強も出来て家も裕福でカルピスも濃厚、そのうえこれだけの数のエロビデオを所持されちゃあ勝てる気がしない。

「よかったら何本か貸してあげるよ。好きに持って帰って」

僕は迷わず沢山のライブラリーの中から「浩二ベスト1、2、3」と、なんかこっちまで頼もしくて誇らしい気持ちになってくるラベルがついた3本を借りた。言うまでもなく浩二ってのは柳田君の下の名前で。彼がベストと銘打つなら間違いという判断だった。

「これらからもちょくちょく借りにきていいよ。でもクラスのみんなには内緒な」

確かに、クラスには僕と同じようにエロに飢えたハイエナどもが蠢いている。こんなお宝ライブラリが知れわたった日にゃペンペン草一本生えない程に荒らされるに決まってる。

「わかった。内緒にしとく。あと、これらから師匠って呼んでもいいかな・・・?」

満面のグッドスマイルでそう告げると、どうやら「師匠」という言葉が柳田君のエロビデオを司る部分をいたく刺激したらしく、

「つまり90年代のエロビデオは精神世界の具現化なわけ。それまで脱げば良い、絡んでれば良いとされていた風潮を大きく崩す必要があるという考えが台頭してきたわけだ。つまり、我々ユーザー層の細分化された好みを満足すべく・・・」

ちょっと何言ってんだか良く分からないエロビデオレクチャー延々と聴かされる羽目になったのでした。早く帰ってエロビデオ見たいのに。

「ただ、そこで製作側に勘違いして欲しくないのは、より過激にすれば良いわけじゃないんだよね。女優の質が向上する一方で、質の低さを過激さで誤魔化そうという動きが出てくるわけ。いや、もちろん、制作費の少なさをアイデアでフォローするってのは好きだよ。でもね、より過激にってのは違うんだ。それは芸術としてのエロスではなくて、女性を虐めて自分の欲求を満足させるはけ口としてのエロスしか存在しない。それではこの業界も長くはないと思う。つまり、僕が危惧してるのは女性を道具として・・・」

「あの、ちょっと!そろそろ帰らないとお母さんに怒られる・・・」

もう高校生にもなって怒られるもクソもないんですけど、それどころか濃厚なエロビデオを3本も持って帰るくせに怒られるもクソもないんですけど、柳田君がカルピスに入ってた氷をガリガリと噛み砕くほどにヒートアップ、いつ帰れるか分かったもんじゃないので「師匠、そろそろ勘弁してください」って感じで開放してもらったのでした。

でまあ、家に帰ってビデオを見てみると、さすがにあれだけのライブラリを誇る柳田のベスト版というだけ大変頼もしい作品達がズラリ。あんなに大人しくて真面目だった柳田君がエロビデオフリークだったなんて、と頼もしいやら怖いやら訳の分からない興奮が身を包んだのでした。

さて、それからはもうめくるめくエロビデオライフでしてね、なにせ新しいのが見たくなったら柳田君の家に行く。それどころか「いい作品入ったよ、今日おいでよ」などと師匠直々に誘われることもしばしば。相変わらず借りに行くと長ったらしいエロビデオ漫談みたいなのを聞かされてウンザリなのですが、それさえ我慢すれば大変素晴らしいものでした。

しかし、事件は起こります。

僕と柳田君は、学校ではそれまでと変わらず、真面目で物静かな優等生と、体育のサッカーに柔道着で参加するキチガイという具合に適切な距離感を保ち、放課後になると秘密裏にエロビデオパートナーとして手を組む、という、なんか内緒で付き合ってる28歳OLと係長みたいな関係だったのです。

そしてある日、まあ、クラスのワルって言うんでしょうか、少しアウトローなグループに属する面々が、朝っぱらかなにやら教室で盛り上がっていたんです。

「やべー、マジでエロいよ!」

何がそんなにヤバいのかしりませんけど、ワルたちを見てみると、どうやら1本のエロビデオで盛り上がってる様子。どうもグループの誰かが万引きしたんだか買って来たんだか知りませんけど、飯島愛のエロビデオを入手してきたみたいなんです。

前述したとおり、当時はネットでエロが手に入るような時代ではありません。ましてや高校生である僕らが簡単にエロビデオを入手できるような時代ではありませんでした。当然、一本一本のエロビデオが眩いばかりに光り輝くお宝でした。

「ちょっとそれ貸してくれ!1日!1日でいいから!」

「俺は夜見たら返しに行くから!」

「ウチのアニキ、ダビングできる機械持ってるぞ!だから貸してくれ!」

とワルどもの間で大盛り上がり大会。それにしても「見たら返しに行く」ってどれだけ本能に忠実なんだよ。オナニーしたら返しに行くって言ってるようなもんじゃないか。

当然、普段なら僕も「400円までなら出す!1泊2日で頼む!」「はい、400円!400円!他にない!?」とセリに参加する魚屋の親父みたいになるところですが、僕は柳田君という強い味方を得ています。いまさらエロビデオの1本や2本で狼狽するほどガキじゃない。いいよな、ガキどもは、エロビデオ1本であんなに盛り上がれて。僕なんか昨日借りたヤツが濃厚すぎてお疲れ気味だっていうのに。

そんな騒ぎを少し遠目で見ていたところ、ろくでなしブルース数人がエロビデオ片手に柳田君の席に向かうじゃないですか。で、衝撃の一言を放ったのです。

「おい、柳田、お前エロビデオとかみたことあんのかよ?」

まあ、あれですね、ワルどもが真面目な柳田君にエロビデオをアッピールし、俺はこんなエロビデオをとか見ちゃうんだぜと周囲に印象付ける、早い話、少し悪ぶりたかったんだと思います。で、ウブな反応してくれる真面目系の男子を対象に選ぶ、それには柳田君がうってつけだったんでしょう。彼の机の上に飯島愛のエロビデオを置き、ん?ほれ?こんなにエロいんだぜ?ウブなお前はこんなの見たことないだろ?って感じでマジマジと見せつけます。周囲も、おいおい柳田にそれはちょっと過激だろ〜って好奇の目で見守ります。

でもまあ、僕から一つ言えることは、そいつは他の誰よりもエロビデオを持っとる。そして誰よりも詳しい。その1本のエロビデオなどカスと思えるほどの、大英帝国みたいなエロビデオライブラリーを持ってる男だということです。事情を知ってる僕からしたらワルどもがピエロにしか見えない。

「柳田よ〜、お前こういうエロいのとか興味あるんだろ?よかったら貸してやるよ〜」

ろくでなしブルースはさらに柳田をからかいます。よせ!やめろ!眠れる獅子を起こすな!そいつはエロビデオ大王だぞ。そんな彼にたかが1本のエロビデオを貸してやるとか、八百屋にトマト売ってやるよって言ってるようなもんだぞ。そろそろ止めるんだ、彼が覚醒したらお前なんかひとたまりもないほどのエロビデオ漫談が始まるぞ!

しかし、そこで柳田君が放った言葉が衝撃でした。

「いやーやめてよー、僕そういうの見たことないんだからー」

彼は弱々しく、それでいて自信たっぷりに言い放った。その弱気な内容とは裏腹に、彼は自信に満ち満ちていた。強者の余裕とはこうだ、と見せつけるほど頼もしいほどに彼は自信に満ち溢れていた。

「なんだよ、やっぱ柳田だな!」

「だっせー」

しかしながら、そんな言葉の裏にある自信なんてのは、事情を知ってる僕だから気付くのであって、普通はそこまで鋭敏に感じ取れない。文面どおり弱気な言葉をそのまま受け取ってしまうのだ。

ウブな優等生という皮を身に纏ったエロビデオサムライ。僕はその圧倒的な自信と確固たる信念をまざまざと見せつけられたのだった。

人は時に、弱々しい言葉を口にする。自信がない、自分ではダメだ、上手く行く気がしない。しかしながら多くの場合、その言葉とは裏腹に、内面では自信に満ち溢れている。人は、本当に不安な時、本当に劣っていると感じる時、その事実を口に出すことができないのだ。口に出せる不安や劣等感なんてものは、その内面で自信に満ち溢れている。

最も分かりやすい例を挙げると、テスト前に前の席の女子が

「やばーい、昨日ドラマ見ちゃってさ、全然やってこなかった。マジやばいよー」

「私もぜんぜんできなかったー」

「うっそ!芳江も!?よかったー。もう仕方ないから一緒に追試受けよ〜」

こういった場合、どちらの女性もテストに対してあまり勉強できなかたと自信がない言葉を口にしていますが、こういう人ほどゴリゴリに勉強しており、ものすごい自信に満ち溢れています。本気で1ミリも勉強していなく、不安でどうしようもないカスは、机の木目を見ながら青い顔をしているはずです。とてもじゃないが軽口叩けない。

人は自信のなさや劣等感を口に出す時、その裏側では自信に満ち溢れている。そこまでいかなくとも「そうはいわなくても、そこそこいけてるんじゃないか」そう思ってるはずです。じゃないと口になんてできるはずがない。

冒頭の、ペレストロイカさんのセリフはまさにそうで、彼女は

「でもー、ワタシ見た目自信ないしー」

と言いつつも、その内面では「でもそこそこいけてると思う」と思ってるはず。あの日の柳田君のような隠れた自信を感じ取ることができたのだ。ペレストロイカみたいな顔しやがってからに。

かくいう僕も、こういった内面とは違う言葉というのを往々にして口にする事がある。賢明な読者さんならご存知とは思うが、僕は靴下の左右の色がいつも違う。右足に黒い靴下をはいて、左足に白をはくなんてザラ、酷い時は赤と白で足元が色々な意味でお目出度いことになってる日もある。

「ちょっと、patoさん、靴下の色違いますよ!」

職場で、どう見ても彼氏にフェラ頼まれても「アゴ疲れた」とかいって2分くらいでやめてしまう、やる気も根気もなさそうな女子社員が指摘してきます。そういった場合、僕は

「メンゴメンゴ、ホントずぼらだからさあ。自分で自分が嫌になっちゃうよ」

と弱気な言葉を放つのですが、その実、心の中では自信に満ち溢れている。靴下の色が違うくらい自分が一番良く分かってるよ、バカ。これはズボラだからこうなってるんじゃない。これは僕流のナウいファッションなんだ。分かっててやってるんだ。僕は言うほどズボラでもおっちょこちょいでもないよ。ちゃんとやろうと思えばできるもん。そんな僕もあの日の柳田君のように自信に満ち溢れているんだと思う。

僕は確固たる自信を胸に持っている。現に、その女子社員から「明日はお客さんが来るので恥ずかしい格好は止めてくださいよ。ちゃんとスーツ着て靴下の色もと揃えて来てください!」

とか強く言われると、レイプしたろか思うけど、「うーん、ちゃんとしてくる自信ないなー」と言いつつスーツを着て靴下の色も揃えることができる。そしてこうして余裕の表情でコンビニに寄り、ペレストロイカの会話を見守ることができるんだ。

きっと僕もペレストロイカも一緒。自信がない言葉が一番自信あるのだ。
ペレストロイカちゃん、あんたは自信がないって言うけど、実は自信があるってことは良く分かってるぜ。その分じゃあ、この先大変苦労するだろうし茂男君も大変な騒ぎだ。でもな、人間が自信を失ったらおしまいだ。口では謙遜しつつ、心の中で確固たる自信を持て。自信とは自分を信じることだ。誰も信じてくれなくたって自分だけが自分を信じてやればいい、それでいいんだよ。

心の中でもう一度「こりゃアッパレだな」とアッパレマークをあげ。ひっそりとエールを贈り、いよいよカフェオレとカップラーメンを購入しようとレジに向かうのでした。

クスクス

すると、ペレストロイカと天安門事件がこちらをみてなにやら楽しそうに笑ってるじゃないですか。しかも談笑というレベルではなく、ちょっとあの人かっこよくなーい?というレベルではなく、明らかに嘲笑といったレベルの笑い。

おいおい、社会主義の残骸どもよ、僕を見て何がそんなにおかしいんだい?今日はスーツだって着てるし靴下の色も左右同じなはず、笑われる場所なんて1ミリもないぜ!と自信満々に自らの足元を見ると

画像

意味が、わから、ない。

おいおい、僕は頭おかしいんじゃないか。これ、靴下の色が左右違うってレベルじゃねえよ。そりゃ確かに出かける時に今日はスーツだから革靴はかないとって思ったよ。普段はかないから玄関に放置してあるんですけど、確かに革靴をはく気ではいたよ。玄関が暗くて良く分からなくて、わーって急いできちゃったからアレだけど、さすがにコレはないと思うんだよ。左側なんて穴が開いちゃったから捨てようと置いてあった靴だからね。右側なんてサンダルだよ。

いやね、間違えてこんな惨状になった事実よりも、それにここまで気づかず、カフェオレにするか焼肉にするかって迷ってた事実が恥ずかしい。なんだよこれ、「俺はちゃんとしてるぞ」って自信持ってる場合じゃねーよ。コレ、間違いなく大きい病院に入る人だよ。

顔から火が出るほど恥ずかしい想いをしつつ、そっとカフェオレとカップラーメンを戻し、525円するチンケなスリッパを購入するのでした。

「ちょっと!昨日あれほど言ったのになんでスーツにスリッパなんですか!」

会社に到着するとキンキン声で言われましてね、すっかり意気消沈していた僕は、

「僕はクルクルパーだから」

と、自信のない言葉を、本当に自信なく言うのでした。もういっそのこと大切な来客にも柔道着で会ってやろうか。

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