ムシルダ

ムシルダ

逆に考えるんだ。

僕らが生きるこの世界、その中には数々の不幸があるだろう。僕らはその不幸に悲観してはいけない。絶望してもいけない。辛い時、苦しい時ほど逆に考えるしかないのだ。多くの不幸は逆に考えることで概ね解決する。言い換えれば逆に考えずに解決しない不幸なんて存在しないのだ。

例えばこうだ。38歳童貞、友達もいなくてもちろん彼女もいない、それどころか仕事もなくて絶賛無職、そうなってくると金もない。そんなこの世の不幸を一身に背負ったような男性であっても、そこで悲観して樹海へGO!とやってはいけないのだ。

童貞なんて立派で確固たる不幸ファクターなのだけど、それを女性に相手にされないだとか、自分が良くないからお相手してくれる女性がいないとか考えてはいけない、ここで逆に考える必要が出てくるのだ。「童貞を捨てられない」ではなく、「童貞を守っている」と考えるのだ。そう安易に童貞を捨てない、ふさわしい相手が現れるまでこの童貞を守っているのだ。ちちち、そこら辺の女相手じゃあおいそれと捨てるわけに行かないぜ。そう考えるとなんと心強いことか。一騎当千とは正にこのこと。

友達がいないのは自分が孤高の存在だと考えればいいし、無職なのは、自分ほどの大物に見合った仕事がない。この世界は腐ってやがると考えればいい。金がないのも、金では変えない大切な何かはあるんだ、と心の底で信じればいい。全てを逆に考えることで、そんなにも捨てたもんじゃないなってきっと思えるはずだ。

この世は何かと辛すぎる。テレビから流れる日々のニュースは誰かの不幸話と不安な将来だけだし、何でも出来ると無条件に信じていたあの頃の自信と何も出来なかった自身が交錯する毎日で、僕らはいつも心を削りながら生きている。それだったら、少しくらい防衛したって損はしない。だからこそ「逆に考える」が重要なウェイトを占めてくるのだ。

先日、アバンギャルドでセクシー、それでいて頭も尻も軽いヘリウムのような女性を我が秘書に据え、それこそ酒池肉林の秘書ライフを満喫しようとした僕の企みが脆くも崩れ去ったことは前回の日記で報じたはずだ。

完全に顔と体、もしくはセックステクニックのみで選考しようと企てていたが、なんと採用面接の日にズル休みをしてしまうという、小学校のの国語の授業で「句読点の使い方」をやる日に「飼ってた猫が死んだ」という理由でズル休みをかましてしまい、いまだに句読点の使い方が良く分からない体たらくに近い状態になってしまい、とんでもない秘書が採用されてしまったという未曾有の大災害。前回はあまりにショックなため詳しく述べられなかったが、今一度立ち返ってその酷さを検証していこう。

まずこの秘書、掛け値なしにデブで、しかもダルシムに似ているという点は既にお伝えしたとおりだ。しかし、問題はそれだけじゃなかった。この秘書とは僕と同じ個室オフィスで仕事をすることになっているのだけど、書類の整理などをやってもらっていると

ひゅるるるるるるる

と訳の分からない、やけに軽快なサウンドが聞こえてきやがるんですよ。最初こそは換気扇か何かが故障して異音を発しているのかとも思ったが、どんなに調べてみても原因が分からない。知らず知らずのうちに軽快なオナラでもしてるのかしら、ダルシムとはいえレディーの前で失礼だわ、と心配もしたのですが、どうもダルシムが部屋にる時だけ異音が聞こえることに気がついてしまったのです。

で、よくよく観察してみると、この異音、ダルシムの呼吸音ですからね。喉に縦笛を仕込んで正に喉笛ですな!と言わんばかりの異音がするんですよ。彼女が呼吸するたびに。ひゅるるるるるるる。蝶野か。

それだけならまだいいんですけど、彼女、全くコミュニケーションが取れませんからね。ニンテンドーDSとか、良く出来たコンピュータープログラムとかの方がまだコミュニケーション取れるかも、と思うほどに全く意思の疎通を図れない。

この間、コンビニで買い物したらオツリが444円だった時がありましてね。何をトチ狂ったのかレジのオッサンが「おや、444円だ、これは縁起が良い、宝くじでも買ったらいかがですかな」と、物凄い僕の心のコアな領域にズカズカと土足で上がりこんできやがりまして、急に話しかけられちゃったもんですから僕もどう返答していいのか分からず、「ならん!買ってはならん!4が並ぶとは何と縁起が悪い!死が近い!」と何故か武士っぽく返答してしまい、コンビニ経営の老夫婦を凍りつかせた事件があったのですけど、このことの顛末を面白おかしく身振り手振りでダルシムに聞かせてあげたんですよ。

さすがに理想とは違う秘書と言えども打ち解けて楽しい感じで仕事をしなきゃならないって思いましてね、コミカルに僕の面白エピソードを話したんです。で、「どう思う?僕は444円は揃い数字だけど決して縁起が良いわけじゃないと思うんだ。だって4だよ」と意見を求めたんです。これで「ですよねー」とか言ってくれればそこから話が盛りあって打ち解けられるはず、そう思ったんです。しかしながら、ダルシムの返答が物凄くて

「私、コンビニで買い物しませんから」

とか俯き加減で言いやがるんですよ。おいおい、そういうこと言ってんじゃないだろうが。僕はね、オツリ金額がフィーバーしてると縁起良さそうだけど、4はないよねって言ってんの。そこがコンビニである必要も何にもない。早い話、スーパーとか本屋とか葬儀屋でもいいわけですよ。それなのになんだその返答は、コミュニケーションとる気ないだろ、お前。

さすがにそんな返答をされると

「あ、そうだね。コンビニって意外と割高だしね・・・」

くらいしか言えませんでした。で、あとは二人ともずっと無言。もう嫌だよ、こんな秘書。

おまけに、あれはダルシムがこのオフィスに来るようになって3日目のことだったでしょうか。昼飯を食った僕がルンルン気分でオフィスに戻り「北海道はデッカイどー」と意味不明な鼻歌交じりにオフィスのドアを開けたその瞬間でした。

いやね、泣いてるんですよ。

ダルシムはドア開けたとこすぐ横の場所にデスクを置いて仕事してるんですけど、その入ってすぐの場所でサメザメと泣いてるんですよ。なんか、お弁当食ってる時に涙がこみ上げてきたみたいで、誰がどう見てもテメーの体型でその弁当箱のはずがないっていうちっちゃこい弁当箱にモロンと鯖の切り身が残った状態でサメザメと泣いてました。

何があったのか知りませんけど、よくもまあそんなに泣けることって感じで大粒の涙を流してですね、オウオウとか海生生物みたいな音出して泣いてました。その際も呼吸してますから

オウオウ、ひゅるるるるる、オウオウ、ひゅるるるるるる

とかなんとか、村一番の勇敢な若者を決める東北地方の祭事みたいな音出して泣いてました。

さすがの僕も、いや、さすがにダルシムといえども女性が泣いてるわけですから、僕もあまり気がかりではないですけど気がかりなフリをするじゃないですか。

「どうしたの?」

「なんでもないです・・・オウオウ、ひゅるるるるる」

テメー、そんなサウンド出しておいてなんでもないわけねえじゃねえかって思うんですけど、本人がそう言うんですから仕方ありません。異音発するオフィスで淡々と仕事をするんですけど、ダルシムは午後の間ずっと、正確には1時から彼女の仕事が終わる5時45分までずっと泣いてましたからね。泣きすぎて目が腫れてさらにダルシムになっとった。なんか、傍目には僕が熱烈なセクハラで泣かしたみたいになってるじゃないか。

さすがにね、こうなってくると僕も負けた気がしてきましてね、超絶にネクラで意思の疎通が図れないダルシム、おまけに5時間コースで意味不明に泣き出しやがる、こんなある種終わってる彼女と絶対に打ち解けてやろうと思いましてね、一計を案じたわけなんですよ。

まず、ダルシムの仕事が終わり、彼女が帰宅してから作戦が始まります。隣の部屋の同僚にドライバーを借りに行き、そのドライバーで椅子のネジを思いっきり緩めます。誰の椅子に細工するかは言わずと知れたことですが、もちろん僕の椅子に細工です。彼女の椅子に細工とかそんな陰険なことはしない。

でまあ、僕の椅子は、なぜか椅子だけは立派で県知事が座るような背もたれのついたラバー性のものでして、その背もたれ部分の根元あたりのネジを、もう取れちゃうよ!ってくらいに緩めるのです。

そして勝負は翌朝です。毎朝、一番最初にダルシムが僕のデスクにやってきて書類などを見せてくれるのですが、僕はいつもその際に、あまり考えてないくせに「フウー」と書類を見ながら溜息をついたりしてカッコつけてるのですが、その際に、彼女の目の前で思いっきり背もたれに寄りかかって伸びをしてやるのです。

するとどうなるか。もちろん、背もたれのネジは爺さんの入れ歯みたいになってますから、寄りかかればガゴッと後ろに倒れます。そこで僕がうわー!とコミカルに倒れて見せれば、どんなに凍てついた心の持ち主でも笑うに決まってる。笑わずにいられるか。だって、すげえ真面目に仕事してるのに、いきなり背もたれが外れて転ぶんですよ。そりゃあ赤子でも笑いますよ。

「やだあ、笑っちゃいけないんだろうけど・・クスクス」

「ははは、まいったな」

「よかったー、楽しい人の秘書になれて」

「まあ、いろいろあるけど仲良くやっていこうよ」

「そうですね、仲良くしましょう!」

「やっぱさ、444は縁起悪いと思うよ、きっと背もたれが外れたのは444の呪いだよ、ハハハ」

「私もそう思いますー」

きっとこうなるはずです。笑いの耐えないオフィス。気さくな僕と秘書。愉快な仲間達。そのうちヨガフレイムと彼女に言わせるのも可能なくらい打ち解けるでしょう。

そんなこんなで用意周到、完全にネジを緩め、決戦は明日早朝、コミュニケーションを遮断したダルシムの心をほぐしてやる。そう決意していたのはその日の夜まででした。翌朝には椅子に細工していたことをケロッと忘れてましてね。普通に何食わぬ顔で出社してました。

「すいません、この種類できました。チェックしてください」

いつもどおりネクラにやってくるダルシム。その種類を受け取ってチェックしつつ、

「うん、これでいいと思うよ」

そう言いながら僕が伸びをした瞬間でした。

ガコッ!

「ぐおっ!」

思いっきり背もたれが外れましてね、これが演技なら適度に転げてコミカルな笑いを提供できるんですが、コロッと忘れていた僕は本気転びしましてね。もうゴロンゴロンと椅子の後ろに転げて3回転はしてましたからね。豪快に。で、その先には観葉植物があるんですけど、それに激突してポッキリ折れてしまうという本気転び。ハッキリ言ってすげえ無様だったと思う。人生でベスト3にはいるくらい無様だったと思う。

あまりの痛さに身悶えながら、それでも、こんなマジ転びしたらダルシムは笑っているに違いない。きっと笑っているに違いない、薄れ行く意識の中でチラッとダルシムを見ました。

いやね、微動だにしてないの。

僕が物凄い体を張って、それこそ観葉植物を1本ダメにしたというのに、数秒前と変わらずデスク横で仁王立ち。圧倒的に禍々しきオーラを放ちながらそこに鎮座しておられました。ダメだコイツ。

もう、当初の期待通りの素敵な秘書ライフ、具体的に言うと容姿的な面で良好、おまけにエロティカルな夢は捨て去りました。しかしながら最低限のラインであるコミュニケーションも取れないとは、もうこんな秘書、嫌だよ、と思うのですが、さすがにそこで悲観的になってはいけないのです。

ちょうど、同時期に秘書を採用した2人の同僚の秘書が、すげえ美人でモデルか女優かと思った、なんて可哀想なエピソードもありますが、そこで悲観的になってはいけないのです。こんな秘書で嫌だ、そう考える前に逆に考える必要があるのです。この秘書でよかった、ダルシムでよかった、ダルシムなら多い日も安心と。

無理矢理考えると、もし、美人な秘書だったらどうなってしまうのか、きっと僕は仕事をしないでしょう。それこそセクシーな秘書だった場合、僕はセックスに明け暮れますよ。そこまでいかなくとも、きっと朝から夕方までセクハラに奔走するに違いありません。そいでもってそのうち訴えられて訴訟沙汰になるのは目に見えてます。美人秘書でなくて良かった!ダルシムでよかった!

きっと、秘書とコミュニケーションを取れる場合、僕は遊んでばかりいますよ。基本的にそういうの好きですから、とにかくコミュニケーション取りまくって仕事なんてしない。で、そのうちクビになるに決まってます。コミュニケーション不全のネクラダルシムでよかった!

ほらね、こうやって考えるとダルシムもそうそう捨てたモンじゃないでしょ。さっきまではこんな秘書嫌すぎると悲観的になっていましたが、こうやって逆に考えるとダルシムで良かったと思えることばかり。

現状を嘆いて不満を漏らすことなんて、もう大部分が終わってて後は棺桶に入るくらいしかない年寄りに任せておけばいいのです。僕らはもっと期待に満ち満ちた先を見つめて元気にハッスルしていかねばならない。だったらもう、嫌なことは全部逆に考えて良いことにしてしまわないといけない。444だったら4が不吉って思うよりも、数字が揃ったことを喜ばなければならない、きっとそういうことなのだ。

「どうよ、新しく来た秘書」

仲の良い同僚が、少しニヤニヤしながら僕に訊ねてきます。そりゃあハタ目に見てもダルシムはアレですから、僕が不満を漏らし、悪口の限りを言いまくることを期待して訊ねてきてるのでしょうが、

「うん、俺にはあってるよ。良い秘書だよ。これからも期待してる」

と、真っすぐ前を見据えて言うのでした。嘆いたって始まらない。少し何かから解脱した清々しい気持ちを感じながら。

「そうかあ、なんか噂で聞いたんだけど、お前の秘書、お前のこと嫌がってるらしいぜ。もっとバリバリにできる人の秘書になれるかと思って期待してたら、すげえ三枚目キャラでガッカリ、もう辞めたいとか秘書の間で話してるらしいぜ」

おいおい、なんてこったい。逆に考えるってそっちかよ。「僕が秘書ダルシムのこと嫌だと思う」の逆は「秘書ダルシムが僕のことを嫌だと思ってる」だったのかよ。それって結構傷つくわー。

コミュニケーション不全も、ネクラなのも、もしかしたら泣いていたのも全て僕のことが嫌いだったからなのか、こいつは困ったな、と思いつつも、まあ、やっぱり僕もダルシムのこと嫌だし、お互い不本意だろうけどお互いに好き合うよりはマシだよな、嫌われてて良かった!と逆説的考えで喜ぶのでした。

これからはもっともっと嫌われてやるぞー!

と決意しつつ背もたれに寄りかかったら、またも椅子がぶっ壊れ、豪快に転げて首を痛めたのでした。折れたのが椅子の背もたれで良かった。首が折れなくて良かった。とにかく幸運だ。

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