あなたの知らない世界

あなたの知らない世界

僕がまだ幼かった頃、「あなたの知らない世界」というとんでもない番組をやっていた。心霊やら怨念やら、そういった類の怖い話がてんこ盛りのホラー番組だ。

やってるだけなら全然構わない、どうぞ勝手にやってくださいって感じなのだけど、それが夏休み時期の昼12時からやるという大暴挙。テレビしか娯楽のない田舎町では嫌でも昼飯を食いながら見なければならないというある種の拷問ですよ。ホント、現代では考えられない。

なんか、視聴者から寄せられた心霊写真みたいなのがデカいパネルにされてましてね、それを見ながら心霊界の権威みたいなオッサンが「これはこの地で事故死した地縛霊ですね。危ないですよ、生きてる人を恨んでます。ほら、恨めしい顔をしている」とか解説しやがるんですよ。真昼間からそんなもん見せ付けられたら誰だってトラウマですよ、トラウマ。

中でも最もトラウマになったのが、視聴者の方の恐怖体験を再現ドラマにしたものなんですけど、若いOLかなんかが新居に移って新生活を始めるんですけど、そこがモロ心霊物件というやつ。最初は奇怪な物音とか聞こえてきたり、消したはずのテレビがついていたりと不穏な空気。もうここで怖すぎてギブアップといきたいのですけど、弟も一緒に見てますから兄として情けない姿を見せるわけにはいきません。

「こここここここんなの怖くねえよ!」

と言いつつ内心ブルってるわけですが、そんなのお構い無しに画面の中の再現VTRは大盛り上がり大会。キャー!とOLの悲鳴が響き渡ると、ベッド脇の真っ白な壁から無数の手が出てくるというクライマックス。なんかマドハンドみたいになってた。この時点で超トラウマ。トラウマっていうか、それを超越してウマシカくらいになってるのだけど、そんなリトルカウボーイの心情など知らん、もっと怯えろと言わんばかりの勢いで再現VTRは更なる盛り上がりを見せる。

なぜかVTR中のOLは壁から手が出てきたばかりの部屋でシャワーを浴びようとバスルームに行くんですけど、これが今考えると格段におかしい。壁からマドハンドですよ、それがウニュッと出てきた部屋で風呂入るとか、心霊出てきてくれと言ってるようにしか見えない。おっぱい丸出しでスラム街歩くようなもんですよ。頭おかしすぎる。

で、案の定、シャワーを浴びるとシャワーからおびただしい鮮血が東北地方の祭りみたいなイナセな勢いで飛び出してきましてね、ついでに湯船から上半分しかない女の人の顔が覗いているというオマケつき。もう、心霊界の役満ですよ、役満。

で、そんな衝撃の鮮血シャワーを、お昼ですからチキンライス食いながら見ていたわけなんですが、そりゃね、誰だってトラウマですよ。トラウマにならないほうがおかしい。

結局、番組タイトルにあったように、まさしく「知らない世界」をお昼時に見せつけられ、本当に知らないでいい世界だったよと嘆くことしか出来なかったのですが、あの鮮血とチキンライスは今でも僕の心の中に大きな十字架として存在し続けているのです。

さて、「あなたの知らない世界」と言えば、ちょうど現代に蘇ったサムライとして有名な僕にとっての「知らない世界」と言えば、間違いなく問答無用に「電気、ガス、水道、電話など全ての公共料金および家賃を支払った心安らぐ状態」のことを指すのですが、まあ、親元を離れて生活するようになって10年以上経ちますけど、一度たりともそういう状態に到達したことがないんですよね。

常に何かしら、特に家賃を筆頭に滞納し、追い出されそうになったら払う、止められたら電気代を払う、そういった生活を繰り返してきましたのでまさに知らない世界。やはり僕も人間ですから、料金滞納してると常に「ああ、ガス代払わなきゃ」と気がかりでどうしようもないんですよね。

でまあ、この間の年末、年の瀬もヒートアップした大晦日にガス、電話、水道を止められるというトリプルクラウンを達成しましてね、さらに電気と県税と家賃も脅迫めいた脅しの手紙が来るというオマケつき。さすがに大晦日にそんな状態になると自分的にもブルーになってきまして、大晦日にライフラインを止めるとかお前らは鬼か、と思う以前に、このままではいけない!と強く決心してしまったのです。

2006年までの僕は死んだ。2007年からは新しい僕を見せなければならない。そう、払うべきものを払って心安らぐ生活を手に入れる。何にも後ろめたさを感じない「知らない世界」を手に入れてやる。そう堅く心に誓い、二度と過ちを繰り返さない、欲しがりません勝つまでは!とちょっと見当違いに決意したのです。

それからはまあ凄かったですよ。よくよく考えたら社会人として当たり前のことなんですけど、全ての料金を支払いましたからね。まるでアラブの石油成金のように金に糸目をつけずバンバン払って払って払いまくり。何も後ろめたさを感じない、止まることを心配しない「僕の知らない世界」を手に入れるため、とにかく払って払って払いまくったんです。払い終わったやはり後に「どんなもんじゃーい」って言いそうな勢いだった。

でまあ、そんあ努力の甲斐もあって、請求書に怯えない生活を手に入れ、まさに「知らない世界」に一歩足を踏み入れたわけなんですが、やはりいいもんですね。キチンと料金を払ってこそ人間らしい文化的な生活を手にすることが出来る、齢30にしてこんな当たり前のことに初めて気がつきました。

なんといっても、風呂に入ろうと思ったらガンガンに温かい、それこそヤケドするんじゃねえかってレベルのお湯に何のためらいもなく入れるんですよ。去年までの僕なら、凍えながら水風呂に入るのが関の山です。

そんなこんなで、少し鼻歌交じり上機嫌になりつつ「今日は血肉も沸騰するような熱い風呂に入ってやろう」と企み、湯船にお湯をためつつネット対戦のファミスタをやって待っていたんです。

僕は風呂に入る時は常に湯船派で、どうしても仕方ない場合にのみシャワーを使うのですが、まあ、これは間違いなくあの再現VTRのトラウマが関係しているってのもあって血のシャワーが怖いのでしょうが、それ以前にウチのアパートはシャワーの勢いがボケ老人が垂れ流すヨダレかってくらいに弱々しいですから、自然と湯船派になっちゃうんですよね。

そんなこんなで湯船にお湯をため、少しファミスタに熱中してしまいましたから、ちょっと長い時間放置しちゃいましてね、お湯が溢れてるんだろうなって思いつつ服を脱いで風呂にいったんです。

やはり、僕の知らない世界は素敵な世界だった。こうして温かい風呂に入れる幸せ。どうしてもっと早くこの世界に到達しなかったのだろう。ええい、今日は新世界記念日だ。体も洗わずそのまま温かい湯船にダイブしてしまえ!

もうね、とにかく湯船にダイブですよ。一気に全身浸からんばかりの勢いで、例えるならば南国の島に行ったら美少女がいて、その子と仲良くなるんですけど、程なくして彼女が不治の病に侵されてると知るんです。それを知った瞬間、僕は彼女に恋心を抱いていることを自分で悟り、儚い彼女の運命と自分の恋が時限的であることを悲しむのです。しかし彼女は、そんな様子を微塵も見せず、天真爛漫にマリンブルーの海へと飛び込むのです。私こんなに元気だよ、病気なんかじゃ死なないよ、そう僕に見せつけるかのように、何も怖れることなく海に飛び込むのです。その様子を岸壁からハラハラと見ていた僕は、まるで人魚のように泳ぐ彼女のその生命がもう少しで消え入ってしまうことを受け入れられず、ただ涙を流すことしか出来ませんでした。波が穏やかなサンゴ礁の海、彼女はポッカリと水面から年上のお姉さんとは思えない幼い顔を覗かせると、ジッと僕を見据えてこういったのです。「大好き」。永遠に時間が止まればいいと思いました。ずっとこの時間が共有できたらと思いました。それは叶わぬ願いだと知りつつ強く強く。あれから数年、いつの間にかお姉さんだったアナタよりお兄さんになってしまったよ。いつか、暇になったらアナタが泳ぐあの青い海を見にいこうと思います。抜けるような青空とサンゴ礁の青い海、きっと、今でもアナタがそこにいると思うから・・・。

とまあ、全然意味わかんないですけど、そんな感じで湯船に飛び込んだんです。ザブーンと飛び込んだんです。

そしたらアンタ、ムチャクチャ冷水じゃないですか。もう南の島とかそんなレベルじゃねーぞ。氷山とか浮いていても何らおかしくない。そんなレベルの冷水なんですよ。心臓止まるかと思った。

いやね、いつだって水風呂に入ったりしますけど、それってば心の準備が出来てる話じゃないですか。温かいお湯だと思って飛び込んだら冷水だった。こりゃあジャックバウアーでも心臓止まりますよ。

おかしいおかしい、確かにガス代払ってるのにお湯が出ていないとかおかしい。確かに、お湯を最初出したときに確認したらグッドなお湯が出ていましたから、最初はガスが出ていたに違いない。それなのにこの冷水はどういった了見か。

普段なら、ガス代を払ってるんだか払ってないんだか、止められるまで自分でも分かりませんので、お湯が出ないのはきっと僕が悪いんだと小さくなって泣きながら寝るくらいのことしかできないのですが、何せ今の僕は「知らない世界」に踏み込んだネオpatoですから、ガス代を払ったという確固たる自負があります。

もう頭にきちゃいましてね、これは一体どういうことかとガス屋を問い詰めて泣かしてやろうと思いましてね、裸に冷水で濡れた状態のまま、死ぬほど寒いんですけど携帯電話を取りにいったんです。

で、真夜中1時なんですけど何のためらいもなくガス屋に電話。さすがに誰も出なかったのですが、おそらくガス屋兼自宅なんでしょうね、しばらくしたら物凄いダルそうな声したオッサンが電話に出ました。

「あのー、ガス代払ったんですけど、なんかガスが出ないんですけど!冷水で死にそうになりました!今も寒いです!どうなってるんですか!」

ちょっと怒りで我を忘れてしまい、キツイ口調になってしまったことは否めないのですが、ここで引いたらこれから僕が送るであろう新世界ライフにケチがついてしまう。とにかく言わなければならない!と決死の思いで伝えました。

「あー、それはエラーかな」

そんな僕の熱い気概は伝わってないようで、ガス屋のオヤジは非常に軽い口調でそんなことをのたまい、

「ちょっとガスメーター見てもらえますか?」

と言うではないですか。そこまで言われたら僕もその刃を収めて彼の言うとおりにするしかないのですが、いかんせん、ガスメーターの場所が分からない。

「あの、ガスメーターってどこにあるんですか?」

「たぶんですね、アパートの場合は大抵は玄関出た横にあります。とりあえず、そこまでいってガスメーターを見てください」

とにかくそうまで言われたら従うしかないわけで、素直にガスメーターに向かっていくんですけど、もう怒りと焦りでどうかしてたんでしょうね、濡れて裸のままでドア開けて外に出てましたからね。ドア開けた瞬間、冷たい北風がビューと吹きつけて、確実に体温を奪い去ってるのが感じ取れた。

しかしまあ、ここでガス屋さんに「ちょっと待てください。服を着ますので」って言おうものなら、今まで裸だったのかよ!この変態!と思われます。彼も「ありましたか?ガスメーター」と早く問題解決して眠りたい様子。なあに、外といっても玄関から一歩出ただけです、裸でええわい。ここはまだウチの家の領域だ!自分の家で裸にだろうと何だろうと自由だ!と、びしょ濡れに裸、靴だけ革靴を履いているという、世界中どこを探してもこんなファッションありえない、といったピーコもビックリの状態でガスメーターを探しました。

玄関ドア横に怪しげな開き戸があり、そこを開けてみるとビンゴ!どう見てもガスメーターとしか思えない物体が威風堂々と鎮座しておられました。

「ありました、ガスメーター」

裸に革靴で、しかも中腰姿。見る人が見たら露出狂の変態がびしょ濡れでウンコしてるように見えるかもしれません。あまりの寒さに唇がガチガチするのですが、負けていられません。

「メーターはどうなってますか?」

おそらく暖かい暖房の効いた場所にいるんでしょう、ガス屋は余裕の口調で言います。そんなもんどうなってるかなんて聞かれても

「大人しくついてます」

としか言えないのですが

「いやいや、上部にランプがあると思いますが、それがどうなてますか?」

だったら最初からそう言いやがれ。

「えーっと、なにやら点滅しています」

「あ、やっぱりエラーですね。その下に表示が出る場所があると思いますが、なんて出てますか?」

「「C」と表示されてます」

「あーガス管外れですね。まあ、たまに外れてなくてもそのエラーが出るんですけど。とにかく、その横にある黒いボタンを押してください。それリセットボタンですから、ガス管が外れてなかったらそれで直ってガス出るようになると思いますから。押す時は1分くらいずっと押し続けてください」

あのですね、簡単に1分押せとかいいますけど、裸でびしょ濡れの僕は死活問題ですからね。それでも仕方ないので黒いボタンを押し続けてるのですが

「もしそれで直らなかったら諦めてください。明日朝一番で修理に行きますので」

と、ガス屋さんはガチャリと電話を切ってしまいました。これでもう、精神的にも僕一人です。あれだけ待望していた僕の知らない世界。それがこんな裸でびしょ濡れヌルヌル秋山、死ぬほど寒くてウンコスタイルのまま1分間もボタンを押し続ける状態になるとは。いくらなんでもこれはない。自分に課せられた運命の重さに泣きそうになるのですが、事態はそれだけでは終わらなかった。

「マジでー、それって変じゃない?」

「よーし、今日は飲んじゃうぞー」

「あー!このワインは私のだからね!」

どう考えても数人は女がいるぞっていう感じのワイワイキャッキャッした話し声がアパートの階段を駆け上がってくるんですよ。ヤバイ!と思ったときにはもう時既に遅く、完全にその声の主たちが階段を上がりきってました。

ウチのアパートの通路は階段を上がりきったところからまっすぐな直線になってますから、どう考えても登りきってすぐに僕の姿が目に留まる、どんなにド近眼なオタク女でも気付かないわけがないのですが、ここでコソコソと逃げ隠れようものなら間違いなく露出狂とかそういった懲役物の生物になってしまいますので、ここはもう石像になるしかない。まるでそういったオブジェのように、ここにあったそういう石像として振舞うしかない!石像なら裸でも許される!と微動だにしない状態で嵐が過ぎるのをジッと待ってました。びしょ濡れで、裸に革靴だけで、ウンコするときみたいなスタイルで。

僕は神を呪います。おまけに寒さで少し堅くなっている自分の乳首を呪います。それよりなにより、寒さで小さくなっている自分のブツを呪います。どうしてこういう時に限って縮こまってるんだ。同じ露出狂でも「すごい馬並みだったね」って言われるのと「超小さかったね、ポークビッツみたい。芳江の彼氏より小さいじゃん」と言われるのでは訳が違います。クソッ!今から出いいから大国ソビエトのように勃起しろ!ダメだ!勃起したら興奮した露出狂そのものじゃないか!これは不慮の事故なんだ!でも小さいとか思われたらしゃくだ!ビックコックと思われたい!

かつてないほど葛藤する石像。まあ、女の子たちはまるで見てはならないものを見てしまった、それこそ心霊でも見たかのように押し黙り、誰が悲鳴を上げるでもなく、誰が騒ぎ立てるでもなく、まるで流れ作業のように粛々と部屋の中に吸い込まれていきました。おそらく、4つ隣の部屋に住む男性の部屋なのですが、おそらく大学の仲間かなんかで部屋で飲み会するんじゃないですかね、あんな巻き髪の小綺麗な女性を5人も部屋に呼んでハーレム状態で飲み会とかマジで僕の知らない世界なのですが、おそらく彼女達にとっても僕のことは「知らない世界」だったのでしょう。そんな表情をしておりました。もう死にたい。地縛霊になりたい。

ただ一つ、その女を5人も連れ込んでいた4つ隣の部屋のブサイク男子大学生が、彼女らから「ガブリエル」と呼ばれていたのが気になりましたが、僕はガブリエルといえば「アイワズゲイ」くらいしか思いつかず、さすがに今この裸の状態でそのセリフを言ったらシャレにならんな、と思うしかありませんでした。

幼い頃、僕にトラウマを植え付けてくれたあの「あなたの知らない世界」は、そういう意図なのかどうなのかしりませんけど、よく出来たタイトルなのだと今になって思います。誰だって、自分の知らない世界に踏み出すことは怖いことです。恐ろしいことです。それはなにも心霊だけでなく、就職、進学、転勤、受験、引越し、イメージチェンジ、人間とは知の生物ですから、知らないことはそれ即ち恐ろしいことなのです。それを見事にホラーと結びつけた秀逸なタイトルは、知らないことを怖がってはいけない、それでは何も変わらない、一歩踏み出さねばならない、だから怖くても昼飯食いながらこの番組を見なさい!と幼い僕らに語りかけているかのようです。

季節柄、もうしばらくすれば新しい知らない世界に踏み出す人もいるでしょう。沢山の不安や怖さもあるでしょう。けれども怖れず一歩踏み出すべきだ。あの心霊番組はそう語りかけていたのかもしれません。そして、僕のように新しい世界に踏みだして、裸で屋外露出プレイを演じる羽目になったとしても、その失敗に怯えることなく、新しい世界を怖れてはいけない。そういってるのかもしれません。その一歩はきっと大きな糧になるのだから。

石像と化してリセットボタンを1分押したかいがあり、ガスが出るようになった僕も暖かいお湯に使って芯から冷えた体を癒し、失敗はしたけどやはり新しい世界に踏み出してよかった、と初めて手に入れた公共料金に怯えない文化的な生活を満喫したのでした。

それにしても、裸をあんな今風の娘さんたちに集団で視姦されて興奮した。温まったら今頃ビンラディッてきやがった。見られるのも悪くないな、と将来有望な露出狂としての新たな「知らない世界」に一歩踏みだしたのでした。

久々にシャワーを出したら、シャワーの中の水が腐ってたのか錆びていたのか、赤茶色い水が噴出し、ひいいいいいいいと一人で怯え、別の意味での寒気がしたのでした。

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