モンゴル放浪記Vol.7 最終回

モンゴル放浪記
Vol.7 最終回

前回までのあらすじ
自費出版した本を売りにモンゴルオフを開催したら、大変なことに参加人数が0人だった。しかたないので現地人に売ったり、借金して持ってきた金で現地人ドライバーを雇ったりして、ゴビ砂漠の奥地まで本を売りにいった。

途中、全く本が売れず、死ぬほどの大雨や強風、砂嵐に死にそうになる。減った本はウランバートルの古本屋に1冊と夜の砂漠の極寒に耐えかねて2冊の本を燃やしたのみ。残りの本は7冊。といったところで、砂漠の中の小さな集落で村の横綱と相撲をとることになったのでした。よく分からないと思うので詳しくは放浪記1-6を読むべし。過去日記にあります。


「アサショーリュー!アサショーリュー!」

村の人々の満場の朝青龍コールの中、村の横綱と思わしき恰幅の良い青年と対峙する僕。冷静に考えてみると、日本では夏場所の真っ最中。自宅で「クーラーが効かずに熱い、暑いじゃなくて熱い」と文句の一つでも言いながらスイカでも食ってコーラを飲んで、暑苦しいデブを見て涼しい気分になろうと相撲中継を観ることはあるのかもしれませんが、まさか遠きモンゴルのゴビ砂漠のど真ん中で相撲を取るハメになろうとは。

組み合ってみて改めて分かるのですが、この村の横綱、絶望的に強い。先ほどは小学校低学年程度のガキだったので楽勝だったのですが、さすが横綱、足腰がしっかりしていて微動だにしない。というか、組み合った瞬間に戦闘モードになってるのか、ハフーハフーと野畑を荒らす野生のイノシシみたいに鼻息が荒い。

どう考えても勝てる要素が見当たらないのですが、僕も相撲の国ジャパンから来た刺客という自信があります。こんなゴビ砂漠僻地の村で負けるわけには行かないのです。っていうか、勝ったら感動した群集に本が売れるかもしれない。飛ぶように売れるかもしれない。

そんな想いとは裏腹に、まるで紙でできた人形みたいに軽々と投げられるわけなんですが、横綱がどうにもこうにも止まらない。投げては立たせて、また組ませて投げる、で、また投げる、とまあ、そういった振り付けのダンスみたいな状態になってるんですわ。見紛う事なき死の輪舞曲。

ああ、僕はこんな遠いモンゴルの地で訳の分からない小太りな男に投げられまくってる。もしかしたら本を売るのが目的じゃなくて、最初から投げられるのが目的だったのかもしれない、そう思うほどに投げられまくってました。最後の方は投げられると痛いから自分でジャンプして宙に舞ってた。

あまりの僕の弱さを目の当たりにした群集は、熱烈な「アサショーリュー」コールから徐々にトーンダウン。なんか、一方的な虐殺を見る観衆のような、残酷ショー特有の「うわー」的な薄ら寒い空気が蔓延してました。灼熱の砂漠なのにすごい寒い。

僕が20回くらい投げられた頃でしょうか、そろそろ止めないと車椅子で帰国することになってしまうと思い始めた頃、やっとこさ横綱も満足してくれたらしく

「オツカレサマ」

みたいなことを日本語で言ってくれ手を差し伸べてくれました。相撲が好きなだけあって、けっこう日本語を喋れるみたいです。輪になって集った群集は残酷ショーに満足したのか散り散りに帰っていきました。

こりゃあ、あまりに不甲斐なくて本が売れねえな、と思った僕は、建物の木陰で非常食の韓国製カップラーメンをそのままチキンラーメンみたいにして食ってるサムソンに「次の街へいこうぜ!」と促し、車に戻って出発の準備をするのでした。

「ホン ウレタノカ?」(多分こんなニュアンスのこと)

「売れるわけねえだろ!神風吹かすぞ!」

といった心温まる会話を交わしつつ、次の街に向けて出発の準備を整えていると、ダンダンダン!と車に篭城した犯人を引っ張り出さん勢いで窓ガラスを叩く輩がいるじゃないですか。

おお、まさか先ほどの一番に感動した村人が本を買いに来たのでは!とドアを開けると、そこには先ほど僕を完膚なきまでに投げまくって傷物にした横綱が満面のグッドスマイルでいるじゃないですか。

「サッキハ ゴメナサイ」

とか

「キヲツケテ タビシテキテネ」

とか、僕を気づかって結構流暢な日本語で言ってくるんですよ。さすが横綱だと思ったね。横綱ってのは心技体揃ってないとダメなんですけど、技と体は勿論のこと、彼には心も備わっている。対戦相手を、遠い異国から来た戦友を思いやる気持ちを持っている。なんだか感動してしまったよ、僕は。

「コレ ノンデ クダサイ」

横綱は餞別のつもりなのか、2本の缶ビールを差し出してくれました。こんな砂漠の奥地でも缶ビールを売ってる店があるのかと感心したのですが、さすがに冷蔵とかはされた形跡がなく、缶を触った時点でムワンという暖かい感触が伝わってきました。ホットビール。

遠い異国での横綱との触れ合い。そして、例え冷えていなくてもこの奥地では高級品であろう缶ビールを餞別にくれる気遣い。あれ、ちょっと僕も歳になっちゃったのかな、こんなのでウルウルきちゃって。サムソン、早く車を出してくれよ、別れるのが辛くなりそうだ。

「この本、あげるよ」

本当は売りに来たのですけど、そんなのはもうどうでもいい話で、この遠い地で出会った戦友に僕のぬめり本をプレゼントしようと差し出しました。これが僕にできる最大限のお返しだと思う。この本で日本語を勉強して日本にやってきて是非とも横綱になってくれ、という思いを込めて渡しました。なんたる感動的シーン。この旅で始めての感動のシーン。全モンゴルが泣く感動のシーン。

すると横綱は、

「イヤ イラナイ」

とキッパリと拒否。完全否定。断固拒否。いくら誘ってもアフターファイブの遊びに付き合わない新人類新入社員の如く完全に拒否。おいおい、いくらいらなくてもこの感動の場面では受け取っておいて後でコッソリ捨てるものだろ。コイツには心が備わってない。いらないもので気を使って受け取っておくという心が備わってない。技があって体が大きくてもダメなんだ、それじゃあ。

もういい、とっとと車を出してくれ、といった気分でサムソンに促しましたところ、意味不明にご機嫌なサムソンはバビューンと車を発進させまして、いよいよ次の街を目指して突き進みます。

最後はちょっとムッとしたけど、気づかいありがとうな、横綱。オマエ結構強かったぜ。お前がくれたこのヌルいというか温かい缶ビール、飲まずに大切に取っておくからな。日本に持って帰って皆に自慢するんだ。戦友にもらったビールなんだって。と感傷に浸りながら運転席の方を見ると

プシュ!イヤッホー!ゴキュゴキュ!

とか、もらった缶ビールをサムソンがご機嫌に飲んでました。なんかもう、サバイバル系の映画で謎の怪物によって最初に殺される人みたいに不自然なハイテンションで飲んでました。俺の思い出の品を勝手に飲むな、と怒りたいところですが、それよりなによりいい加減、飲酒運転はやめてください。

ここまで何日間も車による砂漠横断の旅をしてきたのですが、いくらなんでもずっと運転していたわけではありません。疲労だとか集中力とかを考慮すると2時間ぐらいごとに休憩を挟むのが最も適格らしく、本当は僕が運転を変わってあげたら良かったのでしょうが、国際免許を持ってなかったので無免許運転はまずい、となるべくサムソンの連続運転時間が2時間を超えないよう休憩を挟んでいたのです。まあ、そんな配慮どうこうじゃなくて、2時間くらい経過したら酒に酔ったサムソンが見るからに寝そうな状態、俗に言う舟を漕いだ状態になるため無理やり休憩していたのですけど、そんな休憩時の1コマ。

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車を降りて、外で体を伸ばしながら死ぬほど見飽きた雄大な砂漠の風景を眺める。砂漠と言ってもこの辺は山に近い地域で、遠くの方には草木が茂ってるが見える。そんなスケールのでかい景色を見ながらタバコをプカーと吸っていると、サムソンが近寄ってきて「俺にもタバコくれ」というジェスチャー。コイツは初日から何本僕のタバコを奪ったら気が済むんだ。

そんなこんなで二人でタバコを吸っていたのですが、どうにもこうにも様子がおかしいのです。何か雨が近づいてきているような、雨と晴れの境界線が近づいてきているような、そんな音が不気味な感じで迫ってくるのですが、なんかその音がおかしい。

最初は、ザザザザザみたいな音が近づいてきて、数日前に体験した、限度を超えた激しい雨によって見える景色全てが河に変わるという悪夢の再来を予感したのですが、その音が近づくにつれて雨にしては暴力的。分かりやすく言うと普通の雨が農民的サウンドならば、今近づいてきているソレは武士的なサウンド。全然分かりやすくない。

「おい、サムソン、また雨が来るんじゃないか」

と口にしたその瞬間ですよ。

ダダダダダダダダダダダ

米軍の爆撃みたいな勢いで空から何か降ってくるんです。その音が間違いなく雨じゃない。それどころか、何者かに鈍器で殴られたような激痛が何度何度も襲い掛かってくるんですよ。

やばい、コレは死ぬと思った僕は急いで車に逃げ込みました。もちろんサムソンも車に逃げ込もうとしたのですが、あまりに慌てたのか滑って転んで半分尻が出てました。

なんとか二人で車に避難し、フロントガラスに打ち付ける謎の物体を眺めていたのですが、これがまた直径5センチはあるんじゃないかというヒョウですよ。こんなもんが凄い勢いで降ってくるんですから、マトモに直撃したら死にますよ。

灼熱の砂漠の暑さや、夜の拷問並みの暑さ、途方もない勢いの雨、そして生水を飲んで激しい下痢、これらにはもう慣れたと言えば慣れたのですが、さすがにヒョウだけは予測してなかった。ウヒョウ!とか言ってる場合ではないですよ、これは。

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ヒョウってやつは雨や雪に比べて硬い物ですから地面に当たった瞬間にもう一度跳ねるんですよね。雨なら地面に吸収されたり、雪ならその場に積もったりするんでしょうけど、ヒョウは見事に跳ねる。ふと見た山の斜面が物凄くて、飛来したヒョウがスーパーボールみたいにピョンピョン跳ねながら斜面を駆け下りてくるんですわ。結果、30分くらい降っただけで山のふもとは1メートルくらいヒョウが積み重なる状態に。なんか色々と超越してるとしか思えない。

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「たまにこんなのが降ることがある。前はもっと北の方で大きいヒョウが降ってヤギが100頭くらい死んだ」

みたいなことをサムソンが言ってました。

そんなこんなで、桁外れの大自然の驚異に驚きつつ、全く本が売れないまま長すぎるので次回へ続く。

と、いきたいところですが、前回のハリーポッターの日記が死ぬほど長かったらしく、読者様から「長すぎる」「長すぎて途中で断念しました」「死んでください」といったメールが多数寄せられてきましたので、ここは奮起してもうちょっと長く書いてみます。

ヒョウのせいでウヒョウとか言いながら30分くらい足止めされたのですが、なんとかヒョウも止み再出発。次ぎに目指す街はアルタイと呼ばれる若干の都会のようです。地図がある方は調べてもらうと助かるのですが、このアルタイという街、かなりの奥地でデッドライン。何のデッドラインかというと、これ以上行ったら国境まで行ってしまうというギリギリな状態。ここで引き返して首都ウランバートルに戻らないと日数的に帰れなくなるぞというギリギリの所でした。サムソンとは最初から日数で契約していたからね。

そんなこんなで、アルタイで本を売り切ってしまわないとヤバイわけで、もういざとなったら民家に押し入って売るしかないといった状況。なんとかしなきゃならないと堅く決意をしてアルタイを目指すのでした。

ちなみに、ここまでで2台持ってきたデジカメの片方の記憶容量がマックスになった状態。これ以上撮影ができないので2台目のデジカメに切り替えました。で、この2台目のデジカメなのですが、後述するトラブルによって撮影画像を日本に持ち帰ることができず、ここからは画像が全くないまま日記を記述することになります。

途中、何度か休憩を挟みつつ数時間かけてアルタイに到着。早速本を売ろうと奮起します。アルタイは結構な都会、といってもCoccoが出てきそうな焼け野が原でバラックな街には変わりないのですが、人通りは結構あるほう。その辺の人を捕まえては「本を買ってください」とモロに日本語でセールスしてました。

当然、そんなので売れるはずもなく、全ての人がウンコ踏んだ時みたいなしかめっ面して脱兎の如く逃げていくのです。なんか「くだらねえ」と呟いて醒めた面して歩いてそうな雰囲気なんですよ。エレカシか。

しかしながら、僕だって売らないわけにはいきません。売らなければ何しにこんなモンゴルの奥地まで来たのか意味が分かりません。ここは死んでも売り切るしかないのです。

そこで考えましたよ。分別ある大人がこんな得体の知れない本を買うだろうか、と。答えは否。買うわけありません。例えば日本で、怪しいザビエルみたいな外人が何の言語かも分からない本を「カッテクダサーイ」とか言ってたって誰も買わない。それどころか地回りのヤクザが出てきて皿を割られるのがオチです。

でもね、逆に子供なら売れるんじゃないか、そう思ったのです。僕の時代で言えばビックリマンシールに始まり、ガムラツイスト、ドキドキ学園、現代で言うとムシキングでしょうか。ホント、何であんな物に貴重な小遣いを賭して夢中になっていたのか分からないんですけど、子供ってけっこうそういうものなんです。その思いは万国共通で、意味分からない本でも興味を持って買ってくれるかもしれない。そう思ったのです。いや、こんなゴチャゴチャした説明いらない。早い話、大人には売れないから子供を騙して売ろうと思った。

それで今度は手当たり次第に子供に声かけですよ。僕のようなオッサンが純粋な子供たちに声をかける。日本だったら間違いなく通報されて逮捕、自白、起訴、実刑判決でしょうが、モンゴルではあまり警戒されない。

そんなこんなで子供たちに話しかけてはお菓子をあげ、誘拐犯みたいな状態になっていたのですが、コイツら、お菓子を奪うだけ奪って全く本を買わない。それどころかまたも相撲をとらされる始末。そんなことしてるとまた横綱が出てくるので勘弁してください。

子供に声をかけては逃げ、子供に声をかけて逃げ、間違いなく変質者に近いのですが、そうこうしているといつの間にか街の外れに出ていました。

売れ残った7冊の本を持ち、こんな奥地に来て本が売れるはずもない、そもそもモンゴルに来て売れるはずがない、という根本的な部分に初めてここで気が付いてしまい、自分の愚かさを呪ったり憎んだりちょっとはにかんだり、このまま本を捨てて帰って売れたことにしようと考えたのですが、そこに一人の少女が現れたのです。

少女は、工事現場の人が使うような荷車を小さな手で持ち、その上にでっかい壷みたいな容器を載せてガラガラと歩いていました。僕が話しかけると、異人さんに妙に怯えた様子でビクビクとしていたのですが、僕が百面相とかモノマネしたりして打ち解けようとすると安心した様子。ドラマ「略奪愛」の赤井英和と鈴木紗理奈マネというコアなモノマネが少女に通じたのかどうか知りませんが、というか通じていたら逆に怖いですが、少女は笑顔でニッコリと笑ってました。

もちろん言葉なんて全然通じませんので、地面に絵を書いて意思の疎通を図ったのですが、どうも少女は町外れの井戸まで水を汲みに行くみたいでした。この辺りは水道なんてもちろん整備されていませんから、各家庭で井戸まで水を汲みに行くわけなんですね。

で、モンゴルの奥地の子供たちってのは本当に家の手伝いをよくする子供たちでして、あちこちで土を練って家の壁塗ってたりとか、家畜の世話してたりとか、もちろん水汲みなんかも積極的にやってるんですよ。子供たちはすげー遊んでるしすげー働いてる。自分がこれくらいの年齢の頃なんて家の手伝いもせずに野原でバッタとか取ってましたからね。

「水汲みにいくんだー、偉いねー」

と言いながら飴玉をあげて手懐ける僕。どう好意的に解釈しても未成年を略取しようとしているオッサンにしか思えないのですが、そこはモンゴルですよ、たいていのことは飴玉で解決できます。

そんなこんなで言葉が通じないながらも飴玉を機になんとか打ち解けた僕と少女。「おうちはどこなの?」「お兄ちゃんは日本から来たんだぜ」だとかを地面に絵を描いて説明していたのです。で、最終的には「この本を売るためにはるばるやってきたんだよ」と説明しつつぬめり本を取り出します。

すると、先程まで物凄いスマイルだった彼女の表情が一変。ものすごいウンコを踏んだ時みたいなしかめっ面になるんですよ。なんでこうも拒絶されるのか。もしかしたらこの本の表紙にはモンゴル人が忌み嫌う何かがあるのかもしれない、そう思うほどにみんな表情を強張らせるんですよね。

こりゃうれねえなあ、もうこうなったらその辺のゴミ捨て場に捨てて売れちまったことにしてしまおう。と思ったその瞬間ですよ。はるばるこんな奥地まで来て良かったと思える衝撃の光景が。

なんかですね、そのしかめっ面が逆に心地良く思えるくらい極度のしかめっ面だった彼女なんですが、相変わらずしかめっ面でグッと手に持っていたお札を僕に手渡してくるんですよ。

まさか、買ってくれるのか・・・?

あまりにも僕が哀れに見えたのか、それとも紙飛行機でも作る紙を探していたのか、女神レベルで優しいのか、男を喜ばせるために生まれてきた天性の娼婦なのか知らないですけど、何故か買ってくれるという意思表示。っこまで連敗続きだったものですから、「いいの?ほんとにいいの?」と連呼してました。日本でこんなことを幼女にのたまってる29歳の無精髭のボサボサ頭がいると想像してください。貴方は間違いなく通報するはずですよ。地域の防犯は地域から。大人たちの手で子供を守らないといけないのです。

とりあえず、幼女から金を受け取り、「プリンタもつけちゃう」「デジカメもキャノンのつけちゃう」「金利手数料はジャパネット負担」と言わんばかりの勢いでぬめり本7冊全てを幼女に渡しました。で、幼女から受け取った金を守銭奴ヨロシクで数えてみると。

40トゥグルク(4円)。

7冊を4円で売るという、昨今のデフレ経済を象徴した奇跡の販売劇。1冊あたりに直すと0.57円ですからね。57銭ですからね。

ということで、1冊57銭で7冊を幼女に売りつけ、彼女にソレを持ってもらって記念撮影。一緒に水汲みを手伝ってあげました。

井戸まで行くと、なんかこの街の水は有料らしく、1リットル1トゥグルク(0.1円)程度かかる旨が張り紙してありました。金額しか読めなかったけど、憲兵みたいな見張りのオッサンもいるし間違いなく有料。

彼女が持っていた容器が40リットルと書いてありましたから40トゥグルク(4円)で購入するつもりだったみたいです。そこで始めた気が付いたのですが、もしかしたら彼女が本を買ってくれた40トゥグルクは水を買うお金だったんじゃないかと。どおりで僕が元気よく荷車を押して井戸に向かってるのに彼女は少し戸惑った様子だったはずだ。

水を買うはずだったお金で正体不明の異国の本を買って帰ったとなれば、彼女が家に帰って親から折檻を受けるのは至極当たり前。もうこりゃ仕方ないってんで僕が水を買ったのですが、日本人と見て見張りのオッサンがボッタクリの血を遺憾なく発揮し、150トゥグルク(15円)くらい取られました。

そんなこんなで微妙に商売をした気が、それどころか儲かった気が全くしないのですが、無事に本を全て捌くことができ、ホクホク顔で荷台に水の入ったタンクと幼女を乗せてガラガラと幼女の家まで帰るのでした。

ぬめり本(定価1000円)販売結果 in モンゴル
1冊目 ウランバートル 古本屋 2000トゥグルク(200円)
2冊目 ゴビ砂漠 焼失
3冊目 ゴビ砂漠 焼失
4冊目 アルタイ 幼女 5.7トゥグルク(57銭)
5冊目 アルタイ 幼女 5.7トゥグルク(57銭)
6冊目 アルタイ 幼女 5.7トゥグルク(57銭)
7冊目 アルタイ 幼女 5.7トゥグルク(57銭)
8冊目 アルタイ 幼女 5.7トゥグルク(57銭)
9冊目 アルタイ 幼女 5.7トゥグルク(57銭)
10冊目 アルタイ 幼女 5.7トゥグルク(57銭)

合計 2040トゥグルク(204円)

街に戻るとサムソンが朝青龍みたいな顔した街の女性を肉屋の前で口説いてましたが、全部売れたことを告げると「やっと帰れる!」と大喜び。こうして長かった砂漠横断販売の旅は終わったのでした。約5日間かけて砂漠を横断してここまできて、また5日間かけてウランバートルまで帰らなければならない事実にウンザリしながら。

帰りの道中、ゲルと呼ばれる遊牧民の家に立ち寄った際に、謎のモンゴル人のカラオケを延々聞かされたりとか、立ち寄った湖でサムソンが溺れたりとか、暴れ馬に乗せられたりとか盛り沢山のハプニングがあったのですが、これらはモンゴル放浪記外伝として機会があればお伝えすることにして一先ずモンゴル放浪記は終了。次回はインド・ニューデリーで本を売りに放浪してきます。

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