ダディクール

ダディクール

汚さも情けなさすらも、全てが誇りだった。

小学生の頃だったか、クラスで親父をバカにするという他愛もない遊びが大ブレイクしたことがあった。当時、僕らのクラスで一世を風靡した2大遊びというのがあって、その一つが通称「キンタマ」と呼ばれる遊びで、もう一つが「親父をバカにする」というもの。この二つが僕らのクラスの遊びの二大巨頭として君臨し、不動なる地位を確立していた。

「キンタマ」の方は、多人数で校庭でやったりする、どちらかといえば肉体派の遊びだった。アメフト並みに肉弾戦を要する遊びで、あまりの面白さに骨折するヤツとか出てくるスリリングさが魅力だったのだけど本編とは関係ないのでこの話は別の機会に。

で、本題の遊びである「親父をバカにする」の方は、「キンタマ」とは対極にある頭脳派な遊びで、雨の日などで外に出れなくて「キンタマ」をやれない時に行われるインドアなものだった。

読んで字のごとく皆で親父をバカにするだけで面白くもなんともなさそうなのだけど、なかなかどうして、やってみるとこれが死ぬほど面白い。ちょうど、反抗期の走りというか、反体制、親や学校や社会に反抗することがカッコイイな、なんて思い始めている年代だったこともあり、僕らはこの禁断の遊びに酔いしれ、没頭していくのだった。

なんてことはない、友人数人と輪になって自分の親父の悪口を言う、それだけのことだった。けれども、「親の悪口を言ってはいけない」という世間体という名の不文律を逸脱することは何よりの快感で、幼い僕らはその快感と背徳感の挟間で身悶える感覚を知ってしまったのだった。

「ウチの親父なんてさ、普段は偉そうにしてるのに、小遣いが少なくて弟の貯金箱から小銭を盗んでるんだぜ」

友人が、彼の親父の決定的失態を暴露する。すると、輪の中からドッと笑いが巻き起こり、今度は別の友人が負けじと親父をバカにする。

「ウチの父さん、この間お母さんに怒られて泣いてた」

皆が競うようにして親父の情けない所だとか、カッコ悪いところ、馬鹿なところを暴露していく。別に勝ち負けとか競ってるわけじゃないけど、より親父を貶したエピソードが重宝され、勇者と崇められるほどだった。

そうなってくるともはや僕の独壇場で、なにせウチはどう考えても狂ってるとしか思えないクレイジーな親父を擁しているものですから、そこらのひよっこ親父では太刀打ちできないエピソードてんこ盛りですよ。

「ウチの親父は、テレビでやってたナマハゲのニュースに触発されちゃって、家にあったゴリラのお面をかぶって僕や弟を追い掛け回す。でもゴリラのお面って微妙に前が見えないから、回覧板持ってきた隣の家のオバさん追い掛け回してた。警察呼ばれそうになってた。死ねばいい」

ですとか、

「ウチの親父が歯痛で苦しんでいた時、死んでも歯医者に行きたくないとか言って何を狂ったのかペンチで痛い歯を抜いてた。あまりの激痛によほど頭にきたのか、上の歯が抜けた時は軒下に歯を投げるんだ!と半ば切れ気味にいいながら、仕事で使うパワーショベルで庭に10メートルくらい穴掘って歯を埋めていた。わけわからん。アホすぎる。」

とか、他の児童のお父さんエピソードがサラリーマン川柳のような悲しき悲哀を唄ったものだったのに対して、ウチの親父だけが真性というか神聖なマジモンのキチガイエピソードだったんです。

さすがにこれには、親父の悪口でいきがっちゃってる児童どもも「それはちょっとね・・」とさすがにドン引き気味。けれども僕自身はしてやったりと言わんばかりの表情で、自分の親父のキチガイぶり、そしてそれを暴露して悪口を言う自分に酔いしれていた。

しかしながら、そんな悪口に身を委ね、楽しいひと時を過ごしつつも、どこか心の中に引っかかるわだかまりと言うかモヤモヤした想いというか、そういった類の感情が少しずつ僕の中で大きくなり始めていた。

楽しいことをしている最中に、何か心に引っかかるものがあるってのは厄介なもので、例えて言うならば、信じられない日数延滞に延滞を重ねたAVを鑑賞している時のような、楽しいんだけど何か違う、何かが不安だ的な感情が、それこそ楽しさが大きければ大きいほど心の中で大きくなる。楽しいんだけどこれでいいのだろうか。早く返却した方がいいんじゃないか。いやいや、もう3日はいける。

当時の僕も、悪辣に親父の恥部というかキチガイ沙汰を暴露して罵り、級友と楽しい笑いを交わしたりしたのだけど、何かが決定的に違う、違いすぎる。なんだろうこのわだかまりは。幼かった僕はそのモヤモヤの正体に気付けずにいた。

ある日の下校時。僕は家が学校から死ぬほど遠かったので一人で下校していた。鼻水たらしてランドセル背負って、子供には長すぎる距離を、「この石を家まで蹴って帰れたら俺の勝ち」などと訳の分からない暇潰しをしながら帰っていた。

ふと見ると、いつも通っている道が工事中で通れなくなっている。なんだよ、遠回りしないと帰れないじゃないか、と思いつつ来た道を引き返そうと踵を返したその瞬間だった。

「すいませんでした」

聴きなれた声。いつも嫌というほど聴いた声。そう、他でもない親父の声が工事現場の立て看板の奥から聞こえてきたのだ。

恐る恐る工事現場を覗いてみると、そこにはやはり作業服を着た親父の姿があった。ウチの親父は小さいながら建設系の会社を経営している一国一城の主。何度か街中の工事現場で働く親父の姿を目撃したことはあったが、こんな声が聞こえるほどの間近で目撃したのは始めてだった。

親父は汚い泥だらけの作業服に身を包み、真っ黒な顔をして誰かに頭を下げている。相手はスーツにヘルメットというアンバランスな格好をした若造だ。親父はしきりにしきりに、その若造に頭を下げている。

親父が怒られてる。それも若造に怒られている。

当時は分からなかったけど、今思うと下請け業者として弱い部分があったのだろう。仕事を貰っている立場としては、相手が何も知らない背広組の若造でも頭を下げなければいけない場面もあるんじゃなかろうか。

今にして思えば普通に理解できるのだけど、その時、その光景は衝撃以外の何物でもなかった。普段は家で威張りくさってる親父が、俺が法律といわんばかりの確固たる治外法権を樹立している親父が、誰かに頭を下げるなんて考えれないほど強く、そして気が狂った親父が、あんな若造に頭を下げている。信じられない光景だった。

「本当にすいませんでした」

「困るよ、ちゃんとやってくれないと」

そんな会話を背中で聞きつつ、まるで見なかったことにするかのように遠回りをして家に帰った。ずっと蹴ってきた小石をその場に置き去りにして。

次の日の休憩時間。また数名の男子が輪になって集まり、親父をバカにするゲームが始まった。何名かが父親の他愛もない醜態を暴露し笑いが巻き起こる。正直、昨日の一件以来、心の中にあったわだかまりが大きくなっていた僕は乗り気でなかったのだけど、そこはやはり子供。周りに流されるかのように参加し、親父の失態を暴露した。

「ウチの親父さ、家ではすげー威張ってんだけど、外では弱くてさ。昨日、たまたま学校帰りに工事現場で親父を見たんだけど、汚ねえ格好して若造にペコペコ謝ってんの。すげー格好悪くて情けなかったよ、アハハハハハ」

違う、全然違う。何を言ってるんだ、僕は。こんなこと言いたいはずじゃなかった。言って良い事じゃなかった。言って良い訳がないんだ。違う、全然違う。周りに合わせて笑いつつも、心の中に何か重苦しいものがあった。

学校帰り、いつもと同じ一人の帰り道、いつもと同じように小石を蹴りながら下校していると、また昨日と同じ工事現場にさしかかった。いや、正確に言うと工事は終わっていて普通に通れるようになっていたし、親父の姿もそこにはなかった。汚く情けない姿で親父が工事していた場所を通りながら、今日の遊びで自分の言葉を後悔していた。そして、あの遊びをしながらずっと自分の心の中にあったモヤモヤの正体に気がついてしまった。

僕らは親父をバカにし、カッコ悪いだとか情けないだとか言って喜んでいたけれど、それは大間違いじゃないだろうか。確かにいつもの親父の奇行は迷惑だし、昨日の親父は情けなかった。それにいつも汚い作業着を着ていて、運動会にその姿で来られた時は死ぬほど恥ずかしかった。汚くて情けなくて狂っていて、それでいてカッコ悪いウチの親父。だけどそれが誇りなんだと。

僕は今、親父が作った道路の上に立っている。親父は若造に怒られながら、汚く泥だらけになりながら、こうやって道路を作っている。そうやって僕ら家族の生活を守ってるんじゃないか。誰だって若造に怒られたくない。誰だって泥だらけになんかなりたくない。でも、そうやって僕らを守ってるんじゃないか。情けなくなんかない。カッコ悪くなんかない。親父、ムチャクチャカッコイイよ。

僕らがバカにしていた皆のお父さん。それぞれに違いはあるかもしれないけど、皆、情けないながらも、カッコ悪いながらも家族を守ってるんです。ムチャクチャカッコイイじゃないか。それをバカにしていた僕らの方がバカだ。

心の中のモヤモヤが晴れた僕は小石を蹴るのを止め、小走りに家に向かう。その顔はたぶん晴れ晴れとしていて、こんなにカッコイイ親父をバカにしたことを謝ろう。でもいきなり謝るのは照れくさいから心の中で謝ろう。とにかくウチの親父はカッコイイ。世界のお父さんはみんなカッコイイ。そう唱えながら走ったのでした。

「ただいま!」

家に帰ると、仕事が早く終わったのか、家には親父がいるようで泥だらけの作業靴が玄関に置いてありました。僕らを守ってくれている親父はカッコイイ、そうルンルン気分で居間のドアを開けると、そこには、

裸で四つんばいの体勢の親父がいました。

どうも、親父は秘密裏に痔を患っていたらしく、薬を患部に塗ろうとしたが上手くいかない。で母さんに薬を塗ってもらおうと四つんばいの体勢でスタンバっていたみたいです。いやいや、全裸になる必要、あまりないじゃない。

「ホント、情けないわ!」

と、しかめっ面で親父の極めてデリケートな部分に薬を塗りたくる母に、

「ひやっ!冷たい!」

と、何故か恍惚の表情で言う親父。この光景は僕の人生の中で1,2を争うほど情けない親父の姿でした。バックの体勢から患部がモロに見える角度で見ていたものですから、ブラブラと揺れる親父のキンタマだけが妙に印象的でした。

親父、むちゃくちゃカッコ悪いよ。

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