好奇心焼肉

好奇心焼肉

「好奇心は猫をも殺す」なんて言葉が御座います。言うまでもなく、好奇心旺盛に何でも首突っ込んでるといつか危機が訪れるぞ、という痛烈な戒めなわけですが、実はこれ、結構過激な言葉なんですよね。

猫を殺す、というと愛猫家などは感情剥き出しで怒り狂うかもしれませんが軽いものと受け取りがちです。田舎の国道を通ってますとそこかしこに轢かれた猫の死骸が転がってますが、さすがに人間の死体が転がってるなんてことはそうそうありません。一般的に考えて人間の死より猫の死のほうが軽く考えられるはずです。

そこで冒頭の「好奇心は猫をも殺す」ですよ。僕なんかは好奇心では猫が死ぬくらいで人間は死なないんだ、と軽く考えてしまうのですが、ところがどっこい、これが大きな誤りなのです。

別の諺で「猫に九生あり」なんて言葉がありまして、猫は9個の命があるだとか、しぶとくてなかなか死なないなどと考えられているのです。つまり、「好奇心は猫をも殺す」ってのは、それほどしぶとい猫ですら好奇心で死んでしまうということを表しており、9個の命の猫ですらお陀仏なのですから人間なんてイチコロですよ、と言ってるわけです。なんと過激な。

命を落としてしまってはかなわん、と好奇心を封じ込め、無味乾燥な日々を送ることも可能ですが、それではいささか人生というものが退屈すぎます。やはり好奇心とは何事も面白いものに変えてくれる絶妙のスパイスですから、アクティブに、好奇心を前面に出して太く短く生きたほうがいいじゃないか、そう思うのです。好奇心を押し殺して長生きしたってつまらない。

僕の通勤経路は片道1時間の極上の山道で、恐ろしいほどのワインディングロードを駆け抜けて毎朝通勤してるのですが、やはりというかなんというか、悲しいことに毎日1体は道路のシミと化した猫を目撃します。

こいつらはきっと好奇心で道路の向こうへと歩き出して不運にも轢かれてしまったんだ、平穏に長生きするより好奇心に身を任せて太く短く生きる道を選んだ勇者。志半ばで倒れた勇者。とその生き方に敬意を払って通勤しているのです。

少し前のことですが、そんな勇者が後を絶たない通勤経路に変化が生じました。もう掛け値なしの田舎の山道、ほとんど民家なんかも存在しない場所で、あったとしても悪魔崇拝とかがはびこってそうな小さな集落が関の山、そんな閑散とした通勤経路のど真ん中に何をトチ狂ったのかドデーンと焼肉屋がオープンしたのです。

いやいや、おかしいじゃないですか。何かが大幅に間違ってるじゃないですか。普通、店屋を作る場所っていえば商売ですから、人通りの多い街中などに作るのが普通です。町外れに作るとしても、死ぬほど交通量の多い国道沿いですとか、人が集まる観光地などに作るのが当たり前です。

しかし、そんなビジネス理論を一蹴するかのように、まるでせせら笑うかのように、何もない山道のど真ん中に焼肉屋はオープンですよ。好奇心に身を任せ、あたら若い命を散らしていく勇者という名の猫たちの他にここにも勇者がおった。この通勤経路を勇者ロードと名付けよう、と思うほどです。ホント、こんな車通りも民家もない場所に焼肉屋なんて、勇者としか言いようがない。

開店したのはいいものの、ここからザ・勇者・焼肉屋の迷走が始まります。毎日朝夕に店の前を通るのですが、1ヶ月経っても客が入ってるのを見たことがない。車しか交通手段のない山道にある焼肉屋です、駐車場を見れば客が入ってるかどうか一目瞭然なのですが、ただの一度も車が停まってる光景を目にしないのです。1ヶ月間で0ですよ、ゼロ、僕が店主だったらB'zがいきがってゼロがいいゼロになろうとか言い出そうものなら迷うことなく射殺する、そんな状況ですよ。

まあ、どう考えても、こんな山中で焼肉を食おうなんて気分になるはずもなく、コンビニならともかく焼肉屋を作った時点で結果は見えていたのですが、それでも勇者の挑戦は止まらない。1ヶ月後には何をトチ狂ったのかランチタイムサービスを始めてました。

いやいや、方向性がおかしいじゃない。客が到底来ないような山中に焼肉屋を作ってしまった、客が来ない、じゃあランチサービスを始めようって何かが決定的にズレてる。だってランチタイムにこの辺に人がいるなんて、ましてや昼飯に焼肉を食おうって考える人がそうそういるはずないもの。

で、このランチ作戦も空振りに終わったのか、今度は店の駐車場の道路に面した所に客を煽るのぼりが立てられました。そののぼりがまた凄くて「まいう〜!」と書かれたのぼりが16本、威風堂々と風になびいてそびえ立ってるんです。「まいう〜!」ですからね、「まいう〜!」。伝えたいことは分からんでもないけど、それはちょっとどうなんかなって思う次第ですよ。

そうなってくるとですね、僕も気になるじゃないですか。辺境の地に無謀にも立てられた焼肉屋。客が全く入ってなくてランチサービスとか「まいう〜!」とか迷走を続ける焼肉屋。もう気になって気になって仕方がないじゃないですか。内部がどうなってるのか好奇心が駆り立てられるじゃないですか。

そりゃね、行ったら酷い目にあうのは目に見えてますよ。何せ好奇心は猫すらも殺すんですから。でもね、やはり僕も好奇心に身を任せ、道路でシミになる猫のようになりたい。毎日、この焼肉屋の前を通り過ぎて悶々とするより、一度突入してしかとこの目で確かめてみたい。そう思うのが人情じゃないですか。ですからね、行きましたよ。仕事帰りにその店に行ってみましたよ。

仕事帰りですから、もう遅い時間になっていて辺りは真っ暗。もちろん、田舎道ですので民家も街灯もなくて恐ろしいまでの闇が広がっているわけなんですが、そんな中、問題の焼肉屋の明かりだけがポツリと瞬いていました。

日本昔話とかだったら間違いなく山姥とか出てくるシチュエーションで恐ろしいですが、勇気を振り絞って駐車場に突入。暗闇の中、不気味にはためく「まいう〜!」ののぼりがなんとも不気味だった。

もちろん、駐車場の中には客と思しき車は一台もなく、区切るように敷かれた白線だけが悲しそうに横たわっていました。こんなの無視してドボッと斜めに駐車しても何も問題ないくらいの閑散っぷり。

車を降り、いよいよ謎の焼肉屋の正体を暴くべく店舗へと向かうのですが、店の入り口のマットみたいな場所に何のためらいもなくバッタの死骸が7個くらい転がってました。7個ですよ、7個。バッタの死骸が7個。1個ならまだしも7個ですからね、尋常じゃありませんよ、これは。

そんなバッタの死骸に怯えつつ、「営業中」と物凄い勇ましいフォントで書かれた札が立てかけられたドアを開きます。すると、ピンポンパンポンみたいな来客を告げる小気味良いメロディが流れるのですが、店舗内はなんら反応なし。

いやいや、まさかね、まいったね、これは。客がいないのは当たり前だと思ってたけど、まさか店の人すらいないとはね。もう、完全に無人。一瞬、無人のセルフ焼肉屋かと思ったくらい見事に人がいなかった。

店内を見渡すと、誰も使ってないのかやけに綺麗なテーブルが8つ置かれ、その奥は厨房みたいになってました。その脇にはマンガが置かれた本棚があったのですが、「女帝」だとか「男樹」など、やけに濃いマンガしか置いてありませんでした。

「すいませーん」

僕の記憶が確かなら、こういった食事を提供する店舗というのは店に入るや否や「いらっしゃいませー」とか言われて席に案内され、同時にキンキンに冷えたお冷が出されたりしてメニューを見るはずなのですが、そういうのが全くない。奥の厨房に向かって何度も呼びかけるのですけど、人のいる気配すらしない。

もう商業主義を根底から覆されたような気分なのですが、さすがこんな場所に焼肉屋を建立するだけあって豪胆な店主のようですな!と勝手にテーブルに座って「男樹」を読んでました。

30分くらい待ったでしょうか。もうこの時点で一般の客なら頭にきて帰ってる、もしくは腹いせに「男樹」の2巻あたりを盗んで帰ってるのでしょうが、僕は待ち続けましたよ。そしたら、なんか僕が入ってきたドアがガラガラとか開きましてね、そこからポリバケツ持ったモモヒキ姿の葉加瀬太郎みたいなオッサンが入ってくるんですよ。

お、もしかしたら客かな、とか思ったんですけど、その葉加瀬太郎は僕と目が合うや否や、すげえビックリした顔して「お、いらっしゃい」とか言ってるんです。おいおい、あんた店主かよ。てっきり厨房サイドから出てくると思っていたのですが、まさか正面入り口からとはね。

店主はボッサボサの頭でヘロヘロのシャツにモモヒキ姿。衛生面とかそういった単語を遠くに置き忘れてきたような、おおよそ食品関係に従事してはいけない人のようないでたちだったんですけど、そんなのは無関係とばかりに厨房の方へ歩いていきます。

「ご注文は?」

とか言うもんですから、僕もメニューを見て無難そうな「焼肉セット」を注文したんですよね。そしたら葉加瀬太郎のヤツ厨房の中へ行ったんですけど、この店の構造、客の席から厨房が半分くらい覗けるようになってるんです。

で、「男樹」を読みつつ横目でチラチラと調理の様子を覗いていたんですけど、どうみてもスーパーで売ってる398円の肉パックみたいなのをビリビリ破ってるんですよ。

もっとこうさ、独自に入手した肉の塊をスライスして出したりするんじゃないの、普通の焼肉屋は。それがスーパーの肉ですからね。そんなんなら自分でスーパー行って家で焼いて食うわ。

そんなこんなで、出された焼肉セットは、飯と肉と漬物という、お金持ちの家の犬だったらもっといいもの食ってるぞって感じのセットで、肉なんか7キレくらいがヘトヘロと皿に乗せられているだけの状態でした。これで950円は逆に凄い。その度胸が凄い。

料理を終えた葉加瀬太郎はそのまま僕の隣のテーブルに座りまして、タバコをブンスカ吸いながら新聞を読んでおりまして、その横でモソモソと肉を食べる僕という、かなりシュールな絵図が展開されており、なんだか無性に気まずい気分に、もちろん肉もまずかったのですが、それ以上に無音の世界すぎて死ぬほど気まずかったんですよね。

静か過ぎて耳がキーンとなってくるんですけど、その静寂を突き破るかのように異変が起きました。またも入り口ドアに動きがあったらしく、今度は何者かがドアをガリガリと引っ掻いてる音がするんです。

もう何がきても驚かない、今僕が食ってる肉が先日亡くなったお爺さんの肉だって言われても僕は驚かない。それくらい豪胆になってたはずなんですけど、そのガリガリという音を聞いた葉加瀬太郎の反応に死ぬほど驚いた。

どうやら、音の主はこの辺に生息しているノラ猫だったらしく、いつも食材を盗まれたり荒らされたりしているのか、葉加瀬太郎のヤツが

「またノラのヤツがきやがった!」

とか烈火の如く激しく怒り狂ってるんです。そのあまりの怒りっぷりに驚いちゃって、肉が喉に詰まるかと思った。

で、葉加瀬太郎、新聞をテーブルに叩きつけて厨房の奥に消えると、何故だか知らないけどエアガンを装備して戻ってくるんですよ。エアガンて。

で、グルァ!と入り口ドアを開けてですね、猫に向かってエアガン乱射ですよ。まるでランボーの如く乱射。完全にノラ猫を殺る気で乱射してました。

ガガガガガガガガガガガ、と乱射されるエアガンの音に狂喜乱舞する葉加瀬太郎、死ぬほどまずい肉とまあ、どう考えても950円をどぶに捨てたとしか考えられないのですけど僕は早く食いきって家に帰りたい気持ちでいっぱいでした。

「ノラのヤツ逃げやがった!」

とエアガンを携えたまま暗闇の中へ消えていった葉加瀬太郎はそのまま戻らず、僕もどうしていいのか分からずに仕方なくテーブルの上に1000円札を置いて帰ったのでした。

「好奇心は猫をも殺す」というのはまさにその通りで、僕は好奇心で謎の焼肉屋に接近してしまったばっかりに、エアガンで本気で猫を殺そうとする葉加瀬太郎を目撃してしまうという、ものすごい後味の悪い肉の味も悪い思いをしたのでした。比喩でもなくて本当に猫が殺されそうになるとは。

葉加瀬太郎氏には商売をする気概が微塵も感じられず、ここで焼肉屋を開いたらどうなるだろう?という一種のマゾのような好奇心が働き、ここでの開店に踏み切ったのだと思うのですが、この接近遭遇から1ヵ月後、見事に店舗は「貸店舗」へと変わっていました。

好奇心、焼肉屋をも殺す

夜逃げしたのか、「まいう〜!」ののぼりだけが残され、悲しく風になびいていました。

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