体操バカ

体操バカ

体操バカ、池谷幸雄大暴れ。

88年ソウル五輪で団体・個人床で銅メダル、92年バルセロナ五輪では団体銅メダル個人床では銀メダルを獲得した体操界のアイドルでした。芸能界に転進後の目覚しい活躍は皆さんの記憶に新しいところだと思いますが、最近ではめっきりメディアでは姿を見なくなりました。

以前から彼のその潔い体操バカっぷりに注目していた僕は、日々彼のことを気にかけ、池谷は今頃どうしてるんだろう、と夕陽を眺めながら物思いに耽ったりするのです。そう、僕にとって池谷はライフワークといえるほど気にかかる存在だった。

ある日、何気なくテレビを見ていたら筋肉番付だかなんだか、キチガイとしか思えない跳び箱を飛ぶ番組をしていて、そこに池谷の弟である池谷直樹が出ていて、そのあまりにモサッとした髪型に大笑いしたりしたのだけど、それでも僕の心は兄である幸雄にゾッコンだった。

しかし、そんな僕の想いとは裏腹に、池谷幸雄はメディアから姿を消し、まるで煙のように消え失せてしまった。もはやほとんどの人の記憶から消え失せ、この日記で名前が出てくるまで存在自体を忘れていた人が多いんじゃないだろうか。

気になる存在であるのに、それに関する情報が全く入ってこない。これはもう悶え苦しむほどの苦痛なのである。気になって仕方ないのに何も分からない。例えていうならばデブ過ぎるお相撲とりさんみたいなもので、自分のチンコが痒くて仕方ないのに、腹が邪魔でチンコが見えない。もしかしたらブツブツとか凄いことになってるかもしれないのに、全く見えない、そんな状態ではないだろうか。

このように、池谷幸雄に飢えていた僕は、日々彼の情報を求めて彷徨い、彼が最も輝いていた時代、とんねるずの番組とかに出て笑顔を振りまいていた時代を思い出していた。過ぎ去りし時代はもう帰ってこない、だからこそ尊くて儚いものだと実感しながら。

「もう池谷は芸能界から消え去ったんだ・・・」

そんな風に諦めかけた時でした。まるで恋に破れた乙女が、あんな人のことを忘れて歩き出さなきゃ!と髪でも切って心機一転、頑張ろうしている時のように池谷を過去の遺物とし、新しい体操バカを探そうと決意したその時でした。

コンビニで何気なく手に取った不動産情報誌「おウチの情報」、これは毎月発行されて無料で配布される冊子で、周辺の物件情報などをまとめたチンケなものなんですけど、これが無料ってこともあってか毎月のように手にとって見ちゃうんですよね。別に引っ越す気もないんですけど。

で、勿論この冊子は物件情報誌ですから、20ページほどの薄っぺらい冊子の内容の9割は物件情報で、「敷金礼金3か月分!南向きで生活便利!」とか書いてあって僕にとって何の情報価値もないんですけど、たった一ページだけ興味を惹くページがあるのです。

それが、表紙をめくって1ページ目にある連載コラム「引越し物語」なるページで、毎月月代わりでB級とも言える芸能人が登場、自分の引越しにまつわるエピソードを面白おかしくコラムにまとめているのです。まあ、大抵はマネージャーが書いてるんでしょうけど、これがなかなかどうして面白い。

僕も一年前にありえない引越しを経験し、その体験をこのNumeriで書いたわけなんですが、それ以上に芸能人の、たとえB級と言えども有名人の引っ越し体験は面白かったりするのです。

そういった事情もあって、僕はこの「引越し物語」1ページのコラムだけを楽しみに、毎月この「おウチの情報」が発行されてるのを楽しみにしているのですが、先月の「おウチの情報2月号」において、途方もない事態が発生したのです。

毎月月代わりでB級芸能人が登場し、コラムを披露する「おウチの情報」、なんとその二月号のコラムゲストは・・・池谷幸雄だったのです。そう、僕が気がかりでしょうがなく、けれども情報が入らずに半ば諦めかけていたあの男が登場していたのです。

これは衝撃でした。思いも寄らぬ場所で気がかりなアイツに出会えてしまった。もう、土曜日の昼下がりに何気なくテレビを見ていたら弟が出演していた時以来の衝撃でした。ハッキリ言って腰が抜けるかと思った。「池谷・・・っ!貴様・・・っ!こんなところでなにやってるんだ・・・!」と呟いてしまったもの。

あまりの衝撃に我を忘れるところでしたが、とにかく気にかかる彼の人が注目のコラムページに登場したのは喜ばしいことです。きっと池谷様のことですからかなり面白い引越しエピソードがあるはず、期待いっぱいで心の臓をバクバクさせながらコラムを読み進めましたよ。

体操で頭がいっぱいの池谷様、きっと引越しもそんなエピソードがてんこ盛りに違いない。「いやー、ダンボールに荷造りしてたらムラムラしちゃって、気付いたらダンボールの上で鞍馬しちゃって・・・」だとか「荷造りのロープ持ってたら急にリボンに見えちゃって、気付いたらクルクル回して演技始めてましたよ、あ、これは新体操か、てへっ」とか「荷物運ぼうとしたらバク転しちゃって、荷物バラバラ」なんていう微笑ましいエピソードが書かれているに違いありません。

さあ、池谷様の面白引越しエピソードを読もう!そう決意して表紙をめくった瞬間、池谷様のコラムのタイトルが目に飛び込んできたのですが、それ見て腰が抜けるほど驚愕したのでした。

「仮面ライダーになりたくて」

いやいや、おかしいじゃない。おかしすぎるじゃない。驚愕のタイトルと共に4段ぐらいぶち抜きで池谷様のグッドスマイル。他の芸能人は引越しっぽいタイトルをつけてコラムを書いているというのに、池谷様は何のためらいもなく「仮面ライダーになりたくて」、その男っぷりや良し。

まさか、いくら池谷様とはいえ引越し情報誌のコラムに仮面ライダーなんてありえない。きっとこれは読者の興味を惹くための伏線で、ああなるほど!と唸るくらい自然でナチュラルに引越しの話に繋がるに違いない。仮面ライダーから引越しへ、ちょっとどう繋がるか想像もつきませんが池谷様なら上手にやってくれるはずです。恐る恐るコラム本文を読み進めました。

「幼い頃はやんちゃで暴れまくっていた・・・」

から始まる衝撃のコラム。そこから延々と生まれた街の話が始まり、4歳の頃から体操を始めた話にシフトします。

「初めて(体操の)練習を見たとき、これは仮面ライダーの学校なんだって(笑)」

などと書き出す始末。(笑)じゃねーよ。

これはこれで池谷君の半生を語る上では重要なコラムかもしれませんが、あくまでもこのコラムのコーナー名は「ひっこし物語」です。そこに仮面ライダーとか臆面もなく書ける勇気、なにか大切なものを学んだ気がします。

22歳で体操を引退し、芸能界入りするまで池谷君の体操人生トークが続くのですが、コラムの終盤、さすがの彼も「これは引越しのコラムだった」ということに気がついたのか、突然何の脈略もなく引越しに関する話を書きだします。

しかしながらその内容がすごくて、まずこれまでの体操人生トークと全く繋がってない脈略のないものという点もありますが、それ以上にすごいのが

部屋探しのポイントはアクセスがいいこと、ユニットバスは嫌、収納が多いほうがいい、という三点のみ。こんなもの、別に池谷じゃなくともその辺のOL、春から新生活を始める大学生だって部屋探しのポイントに挙げるだろうというものばかり。

で、最後は自分は今「池谷幸雄体操倶楽部」なるものを設立して後進の育成に努めているということを書いて終わり。これもまた部屋探しのポイントの話から脈略なく始まります。

このコラム、80行くらい文章量があるんですけど、実質的に引越し部分に触れたのは4行のみという驚愕の内容。後76行は全部何も関係ない自分の体操の話ばかりです。どう好意的に見ても、一通り池谷の体操列伝を書いた後に無理やり「部屋探しのポイント」をねじ込んだとしか思えません。

さすが池谷幸雄、その名に恥じぬ体操バカっぷりだぜ、と感動に近い感覚を覚えつつ僕は冊子のページを閉じるのでした。僕も彼のように何か夢中になれるものが欲しい、勢いあまって引越しコラムに体操の話ばかり、それも関係のない自伝ばかりを書いてしまうほど熱中できる何かが欲しい。いい意味で体操バカ、そんな池谷幸雄になりたい。

とか思ってたら、職場の機関紙が印刷が上がって配布されてきまして、これは毎月発行される社内報みたいなチンケな冊子なのですが、毎年三月はスペシャルバージョン、抽選によって選ばれた社内の精鋭10人がコラムを書くという企画が行われるのです。

テーマは「仕事で感じたこと」だとか「自らのスキルアップのために」だとか、向上心の塊みたいな内容で皆さんかいてるんですけど、そういや僕も抽選で選ばれたみたいで依頼が来て、何か書いたなー、時間ないから30分で急いで書いたんだよなー、何を書いたんだっけ、と配布された社内報をパラパラとめくってみましたところ

「わたしさくらんぼ」

という衝撃のタイトル。そして、「大塚愛は神だ」というラリってるとしか思えない一文で始まる本文。

同期のAさんが仕事後にスキルアップのために英会話スクールに通って、そこで講師と心温まるありとりがあった感動秘話を書いてたり、新入社員のB君が初任給でご両親を温泉旅行に連れて行った話などを書いていたり、中国の台頭をテーマに世界の中の日本の役割というテーマで書いてるやり手がいるというのに、その中で僕だけ「大塚愛」。これを書いた数週間前の僕を激しく拷問にかけたい気分でした。

体操バカ、池谷幸雄。それに負けず僕も大塚愛バカなのかもしれないと思ったのでした。大塚愛バカ、pato大暴れ。

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