魔王

魔王

「魔王」という曲があります。ゲーテ作詞、シューベルト作曲の200年以上も前のクラシックな曲です。僕がこの曲に出会ったのは中学一年の時でした。元々はドイツ語の歌詞が乗ってるらしい「魔王」ですが、それを日本語に翻訳した曲を音楽の時間に聞かされたのです。確か、音楽の教科書の最後の方に載ってた気がする。

この曲は、魔王、子供、お父さんの三人の登場人物からなるハートウォーミングなストーリーで、そのリズミカルな楽曲と衝撃の歌詞に、僕ら中学生は少なからず衝撃を受けたものでした。以下に、その衝撃の歌詞を記載します。

[魔王]

風のように馬を駆り 駆けりゆく者あり
腕に童(わらべ)帯びゆるを しっかとばかり抱きけり

坊や なぜ顔を隠すか

お父さんそこに見えないの
  魔王が居る 怖いよ

坊や それは狭霧じゃ

可愛い坊やおいでよ おもしろい遊びをしよう
川岸に花咲き 綺麗なおべべがたんとある

お父さん お父さん 聞こえないの
魔王が何か言うよ

なあに あれは 枯れ葉のざわめきじゃ

坊や一緒においでよ よういはとうに出来てる
娘と踊って遊ぼうよ 歌っておねんねもさしたげる
いいところじゃよ さあおいで

お父さん お父さん それそこに 魔王の娘が

坊や 坊や ああそれは 枯れた柳の幹じゃ

可愛や いいこじゃのう坊や じたばたしてもさらってくぞ

お父さん お父さん 魔王が今 坊やをつかんで連れてゆく

父も心 おののきつつ
あえぐその子をいだきしめ
辛くも宿に着きしが
子は既に息絶えぬ

やけにキャッチーでダンサブルな、それこそ現代のJ-POPシーンでも十分に通用するご機嫌なナンバーに仕上がっているわけですが、それ以上に注目すべきはその深い歌詞です。

浜崎あゆみなんて目じゃないくらい叙情的な歌詞、それいでいて200年以上前の歌でありながら現代社会が抱える病理を的確に指摘したソウルフルな部分もあるわけです。

歌では、魔王が息子を連れて行こうとあらゆる手段を用いて誘惑しています。面白い遊びをしよう、踊って遊ぼう、いいところだよ、最終的には「さらっていくぞ!」と強硬な手段にも出ています。まあ、小さい男の子を連れていこうだなんて、魔王もショタコンか何かなんでしょう。

その魔王の誘惑に恐れ戦いた息子は、「お父さんお父さん、あそこに魔王がいるよ!」と必死で今まさに危機的状況にあることを父に告げるのですが、魔王の姿が見えない父は取り合おうとしまん。

「あれは枯れた柳の幹じゃ」などと適当に流す始末。もしかしたら、こいつは我が息子ながら頭が狂って幻覚が見えてるのかもしれん、ぐらい思ってるのかもしれません。このへんが現代における親子間のコミュニケーション不足などを揶揄していて面白い。

とまあ、魔王の魅力を語りだすと留まるところを知らないのだけど、当然ながら当時、つまり中学生だった僕らにとっても魔王を聞いた時のインパクトは相当なものだった。

曲のサビ部分だと思われる「お父さん お父さん」は僕らのハートを鷲掴みにし、瞬く間に大ブレイクした。とにかく何かあれば「お父さん お父さん」と叫ぶのが主流となり、一気に我がクラスの流行語のスターダムにのし上がった。これも、そのサビ部分のキャッチーな曲調のおかげだろう。

さらに、この曲が僕らを震撼させた理由はサビ部分だけではなかった。曲のラストの部分、「子は既に息絶えぬ」の部分がとにかく破格に素晴らしかった。この部分の歌い方を実際に文字で表すと「子はすでーにー、いーきー  タエヌ」っていう感じなんだけども、そこまで伸ばして引っ張りくせに「タエヌ」の言い方が妙にアッサリしすぎてて無性に笑えたものだった。

「お父さん お父さん」「タエヌ」の二大ダイナマイトキーワードのおかげで大ブレイクした魔王、我がクラスだけだったら間違いなくオリコン一位を獲得していたのだろうけど、実は僕にとってはそれとは別に深い思い入れのある曲だった。

ある曲に対して深い思い入れを抱く理由の一つに、自己置換が挙げられる。自分もこの歌と同じような経験をした、同じようなことを考えることがある、そういった気持ちがあると歌詞がグッと心に染み込んでくるし曲の世界に陶酔しやすい。ボロボロにKOされる夢を見て君にしがみついた経験がある人はB'zの歌詞に酔いやすい、そういうことだ。

かくいう僕も、初めてこの「魔王」という名チューンを聞いた時、その世界に入り込みやすい部分が少なからずあった。そう、この「魔王」と同じような状況に身を置いたことがあったのだ。必死で呼びかける息子に聞き入れない父親、そんな状況に。

あれは、僕がまだ年端もいかない、小学校に入りたてか入る直前のかわいいキッズだった時のことだと思う。

ちょうどその日、母親と弟が親戚が集う会合に参加するために家を空けていた。まあ、今思うと一族の恥みたいな僕と親父が家に残されていたわけだが、それ以外に半分ボケた爺さんが即身仏みたいになって居間に座っていた。

母さんがいなくて親父がいるってのは実はあまりない経験で、逆なら数え切れないくらいあったのだけど、経験の少ない珍事に僕は戸惑っていた。

「ワシが特性のチャーハンを作ったるわ!」

意味不明に燃え上がっている親父は台所に立つと、ご飯と冷蔵庫にあった食材を片っ端から鍋の中へ。それは料理というよりも何かの作業のようだった。

見る見ると怪しげな物体が出来つつあるのは分かりきっていたが、「美味しい!」とか心にもないことを言いながら全部食べないと殺されるんだろうなあ、と思いながら台所で作業している父親を見つめていると、のっぴきならない異変が。

ガタン!ザッザッザッ!

明らかに怪しい物音が窓の外から聞こえてくるのです。僕は居間で即身仏爺さんと座っていたんですけど、その居間の窓から物音が。それも人間が歩いているような物音が聞こえるのです。

ウチの居間の窓の外は、目の前30センチがブロック塀になっているという訳の分からない構造でして、窓の意味も何もない状態でした。窓を開けてもブロック塀で外なんか見えない状態でしたから。言い換えると、ウチの外壁とブロック塀の隙間は30センチしかなく、そこを人が歩くなんてのは考えられないんですよね。

「お父さん、窓の外を誰かが歩いている」

まさか泥棒では・・・。不審に思った僕は台所にいた父に呼びかけました。しかしながら、親父の返答はそっけないもので、それいつのやつだよ?と言いたくなる様な古めかしい醤油を鍋にぶち込みながら答えました。

「猫でも歩いてるんだろう」

そんなはずはありません。いくら僕がアホであろうと、猫の足音と人間の足音ぐらいは聞き分けることができます。それなのに聞こうとしない親父。

そうこうしていると事態はさらに悪化しました。窓の外を歩く足音が何度も何度も、明らかに窓の外を何往復もしているのです。

「ねえ、誰かウロウロしてる」

「猫が発情してるんだろう」

それでも親父は要領を得ません。そもそも、猫が発情して何で窓の外をウロウロするのか理解不能です。こんな夜中に窓の外を誰かがウロウロしている、それだけでも大パニックなのですが、事態はそんなことでは収まりませんでした。

コンコン!

何者かが!窓を!コンコンと!叩くのです!

これにはもう大パニック。普通、来客といえば玄関からやってきてチャイムを鳴らすものです。それなのに30センチの隙間の居間の窓からやって来て窓を叩くとは、正気の沙汰ではありません。

「お父さん、窓から誰か来た!窓を叩いてる!」

「風だろ、風」

パニックになる僕に、不自然なくらい冷静な親父、そして即身仏みたいな半ボケ爺さん。その横で今まさに居間の窓が叩かれていました。

明らかなる異常事態に、必死になって訴えかける僕に、それを聞き入れない親父、まさに「魔王」な世界なわけですが、さらなる悪夢が。

なんと、窓を叩いていた手が今度は窓を開けにかかるではないですか。カラカラと、物凄く爽やかな物音を立てて窓が開くんです。ウチの窓には障子がかかってて、障子の向こうで何が起こってるのかは分からないんですけど、間違いなく窓を開けられてるんです。

おかしい、ウチの窓はいつだって鍵がかかってるはず。なのにこんなにも簡単に開くなんて。

ちょうどそのちょっと前に、幽霊が怨念か何かで男の人に襲い掛かり、追われた男は必死でドアとか窓に鍵をかけるのですが、そんなの幽霊には無関係、サクッと鍵を開けられてしまう、という話を昼ごろにやってた「あなたの知らない世界」という怪奇番組で見ていたものですから、この現象も人智を超えた何かであると感じた僕は、本当に恐怖に震えたのでした。

「お父さん!幽霊かもしれない!窓開けて入ってきた!」

「あーん、馬鹿なこと言ってるなよ、もうちょっとでスタミナチャーハンできるぞ」

それでも僕の言うことを信じない親父。もう頭の中にチャーハンが詰まってるとしか思えないのですが、幽霊の恐怖に晒されている今、頼れるのはこの人しかいません。すがるような思いで台所へと向かいました。

「お父さん、本当に誰か入ってきてるんだって!」

その瞬間でした。

バチン

何かの物音がして、家中の全ての電気が一瞬にして消えて真っ暗に。もう大パニック。かろうじて月明かりで居間の障子が見えていて、それの陰になって即身仏が座ってるのは見えたのですが、基本的には真っ暗で親父の姿も見えませんでした。

「お父さん、お父さん、どこにいるの」

必死で呼びかけるのですが、親父からの反応はありません。それどころか、居間の障子がガタガタっと揺れたかと思うと、スーッと開くではないですか。先ほどから窓を叩き、窓を開けた何かが家に入って来たに違いありません。

もう恐怖で訳わかんなくなちゃって、台所にあったサランラップを手に持って半狂乱、来るならきやがれ!と覚悟を決めて居間に向かうと、そこには男が立っていました。で、やっとこさ闇に目が慣れてきてその姿を見ると・・・顔がゴリラでした。もう死ぬる。

結局、そこまででゲームセット。恐怖に耐えられなくなった僕が、ギャーという悲鳴と共にオシッコを漏らしたのだろうと思うのですけど、それを見たゴリラの侵入者が見かねて

「ごめんごめん、もう電気つけてあげてよ」

と言った瞬間、パッと電気がつきました。

見ると、そこには親父と、その友人二人がおり、片方の友人がゴリラの面を取りながらはにかんでおりました。

つまりこういうことだと思います。最初から計画的に僕を驚かせようと考えた親父、友人二人と共謀して作戦を練ります。親父は台所で料理をし、友人一人が窓の外をゴリラの面をかぶってウロチョロします。もう一人の友人は玄関脇にあったブレーカーのところでスタンバイ。で、ゴリラが進入してきてタイミングを見てブレーカーを落とす、こういうわけのようです。だから鍵も開いていたし、親父も意図的に僕の訴えを聞かなかった。

「がはははは!驚いたか!ワシの計画通り!ワシの勝ちだ!」

と勝ち名乗りを上げて喜ぶ親父を見て思いましたよ。一体何が勝ちなんだと、何の理由もなく子供を怖がらせてどうするんだと、ここまで手の込んだことしてまで驚かせたかったのかと。

魔王という曲を初めて聞いた時、僕はこの時のゴリラ進入大作戦事件を思い出したものです。いくら呼びかけても聞いてくれない親父、そして人智を超えた何かに襲われる恐怖、それらを思い出して身震いしたものでした。

「これに懲りたらワシに逆らわないことだな!がはははは!」

友人に頼んでまで僕を驚かせた親父。全く持って逆らった覚えなどなかったのですが、とりあえず彼的には大満足だったようです。

魔王がいるよと親父に必死に訴えかけた少年。聞き入れられず魔王に連れて行かれ、息絶えてしまった彼は不憫ですが、その親父が黒幕と言うか魔王だった僕も十分不憫、そう思いました。

オシッコを漏らし、あまりの恐怖にずっと泣きじゃくっていた僕は子供心に思いましたよ。ウチの親父は狂ってる、間違いない、と。そう思いながら泣きじゃくってその場で死んだように眠ったのでした。オシッコを漏らしたまま・・・。

子はすでーにー、いーきー  タエヌ。

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