アポストロフィー

アポストロフィー

「’」

この摩訶不思議な記号に出会った時、僕は少なからず戸惑いを覚えた。

もはやこの記号は知らない人はいないと思うし、誰もが英語の時間か何かに習ったものだと思う。知らないほうがおかしい。

この記号は「アポストロフィー」と呼ばれ、単語中に用いられて省略を表す記号だ。「I am →I'm 」や「can not →can't」など、文字を省略した時に主に用いられる。おいおい、amのaくらい省略しないで書けよ、と思うのだが、なんでも合理化したがる欧米人らしいといえばらしいのかもしれない。そういえば、「'05」とかのも「2005」の省略形なのか。

この摩訶不思議な記号、アポストロフィーに出会ったのは中学生の時だった。クソのような英語の授業、今思うとアホとしか思えないレベルの英文を習っている時、突如としてこの記号が現れた。

記憶が薄れすぎててよく覚えていないのだけど、確かナンシーとかいう欧米の金髪ギャルが日本に来たとかで、森健夫さんの家にホームステイする。で、突如ナンシーが「それは健夫の本です」とか言い出すワンシーンで「Takeo's book」という形で出てきたと思う。

まあ、日本に来たばかりの金髪ナンシーが「それは健夫の本です」とか、何の脈略も伏線もなしにその青い目で言い出したらそれはそれで怖いものがあるのだけど、とにかくココで初めて所有を表すアポストロフィーが登場した。

「この記号はアポストロフィーって言います、みんなも覚えておいてね」

英語教師が英文を説明しつつ、アポストロフィーに関する説明を始める。で、この読み方が異常に面白くて、「この記号はアポストロフィーって言います」ではなくて、無理やり文字で表すと「この記号はアポストロフィーって言います」っていう、何でそこだけ早口やねん!と突っ込まずにはいられないものだった。

さすがにその言い方が面白かったのか、クラス中は爆笑の渦、ゲラゲラと笑いながら「アポストロフィー!アポストロフィー!」と早口を真似て言っていた。クラスの大半のバカ男子がゲラゲラ笑いながら連呼する、冷静に一歩下がってみてみると、なんとも狂気の沙汰としか思えない光景だった。

さすがに自分が言った「アポストロフィー」が揶揄されたと感じたのだろうか、英語教師は少しだけムッとするとカッと居直り、突如として黒板を叩いてこう言った。

「何がおかしい!」

ちょっと瞳孔が開いていたと思う。で、この恫喝と共にあれほど騒がしかった教室はしんと静まり返った。

「いいか、このアポストロフィーはな、英語ではとても大切なんだ!これを使って所有を表したりするし、省略形を表したりするんだ!それをお前ら!」

何で怒られるのか分からないのだけど、英語教師の説教タイムの始まり。このお説教の中にも「アポストロフィー」っていう、何でそこだけ早口やねんって突っ込まずにはいられないセリフが入っていて、何人かの男子が「グフッ!」と拳銃で撃たれた人みたいに笑いを堪えるシーンが見られたのだけど、それでも英語教師の説教節は止まらない。

「大体、お前ら笑ってるけどな、ちゃんとこれが発音できるのか!おい、吉田、ちょっとお前、読んでみろ」

もうぶち切れちゃってて見境のなくなってる英語教師、次々に生徒を指差しては「アポストロフィー」を発音させていった。

「アポストロフィー」

「ちがう!アポストロフィーだ!もう一回!」

「アポストロフィー」

「ちがう!アポストロフィーだ!」

「アポストロフィー」

「チガウ!」

この年代の中学生ってのはちょっと照れ臭くて英語っぽい発音ができない習性があるのだけど、それ以上にアポストロフィーだけは恥ずかしくて先生風に言えない、そんな暗黙の了解がクラス中を覆いつくしていた。

しかしまあ、色々な生徒にあてるのだけど、ほとんど、特に男子生徒は照れが強いらしく、先生が満足する発音がなかなかできない。基本的に真面目な女子と、一部の真面目なガリ勉男子だけが難なく「アポストロフィー」と発音するだけだった。

残された僕ら不真面目男子も、そりゃあ普通に発音して仁王と化しかけている先生の怒りを鎮めたいのだけど、どうにもこうにもうまくいかない。だって、先生が「アポストロフィー」って発音しているだけで笑えるのに、それがクラスの女子やガリ勉が発音してるっていうんだから、笑いのレベルはもはや致命傷。発音云々以前に、笑いを堪えることができなかった。

「もういい!発音できなかった連中は放課後に補習!今日の授業はこれまで!」

ついに愛想が尽きたというか、諦めにかかったというか、これ以上相手にしてたら生徒相手にちぎっては投げちぎっては投げど大立ち回りを演じてしまうと感じたのか、先生は急に切り上げるとさっさと職員室に戻ってしまった。

かくして僕ら不真面目な男子は、ただ闇雲に「アポストロフィー」の発音を練習するという、良く意味の分からない、別名アポストロフィー補習に参加させられるのだった。

放課後。クラスの中でもより抜きで不真面目っぽい男子生徒数人が教室に居残りさせられている。もちろん、最後まで「アポストロフィー」の発音ができなかった連中だ。

もしかしたら、あの補習通告は怒りに狂った先生の狂言だったのではないか。じゃなきゃ、バカバカしすぎる。だって「'」だよ、ただの点だよ。こんなものの発音のためだけに放課後に残るなんてバカバカしすぎる。もしかしたら、先生は来なくて補習はないんじゃないか。

そんな期待虚しく、普通に先生は教室にやって来て、「さて、はじめるか!」なんて青春大好きラグビー部顧問みたいなノリで言ってやがりまして、あえなくアポストロフィー補習の始まり。傾いた陽の光が教室に差し込む中、僕らは「’」の発音を徹底的にやらされるのでした。なにやってんだ、ホント。

でもまあ、補習では本当に数人しかいなくて、授業中とは違ってオーディエンスの数が桁違いに少ない。だから、ネックであった「照れ」がない。あとは、無性に笑えるというポイントだけを耐え忍べばいいわけだから比較的楽だった。まあ、その笑い自体にも飽きがきていて、耐えるのは楽だった。

そんなこんなで、僕らはなんとか「アポストロフィー」の発音をクリアしていき、家に帰る権利を手に入れたのだけど、ただ一人だけ、この発音が素でできないヤツがいた。

彼は僕らグループの友人だったのだけど、どういう仕組みになってるのか本気で「アポストロフィー」が言えない。早口状態で英語っぽいキザ喋りの「アポストロフィー」が言えないのではなく、普通に発声ができない。

「アポトロフィ」

「違う、アポストロフィーだ」

「アポストフィリー」

「ゆっくり言ってみろ、ア、ポ、ス、ト、ロ、フィー」

「アポッ!ストロッ!・・・」

「何で言えないんだ・・・馬鹿にしてるのか?」

いよいよ英語教師のイライラが頂点まで高まり、一対一で対峙する彼と先生、それを見守るという一触即発の尋常ならざる緊張感が夕暮れの教室を包んだ。まさに空気が張り詰めてるような緊張感。けれども、やってることは「’」の発音。ただの点の発音。

「先生、もういいよ。おれ、これから省略せずに英語書いていくから・・・読めなくていい・・・」

あまりに発音できず、苦し紛れにそう言った彼の発言は名言だと思った。省略なんてしなくて良い。だからアポストロフィーなんて使わない。だから発音なんてできなくていい。なんでも省略すれば良いってものじゃないんだ。

しかしまあ、よくよく考えてみると、「’」なんて英文を読んでて声に出して発音する機会なんてなくて、発音できなくてもバリバリに使えば良いじゃん、と思うのだけど、雰囲気に酔いしれている僕らは誰もそのことに気がつかなかった。そして、その彼の名言を受けての先生の発言はさらに名言だった。

「高崎よ、お前は省略をせずに英語を書いていくっていってるけどな、確かに省略をするってのは言い方を変えれば手抜きだ。やらない方がいいのかもしれない。でもな、今まさに、お前は努力するという過程を省略しようとしているんじゃないか?発音できないからと投げ出して、努力の過程を省略しているんじゃないか?」

もうこれには、彼も僕らも目から鱗がバリバリ剥がれる勢いで感動。まあ、よくよく考えると意味わかんねーし、もちろん発音できなくてもそう大して困らないんでしょうけど、それでもやっぱ感動した。

そっからはもう、涙涙の補習劇ですよ。「先生、俺やるよ」「がんばろうな」とかなんとか言っちゃって、二人して「アポストロフィー」だとか言い合っちゃってんの。

でまあ、最終的には彼も言えるようになっちゃって、涙の補習は感動のうちに幕。なんか触発されちゃった僕らも「やったな!」「これで省略できるな!」とか言っちゃって、彼を囲んで胴上げしそうな勢い。なんだろう、友情ってそういうことだよね。うん、本気で感動した。彼の「アポストロフィー」に本気で感動した。

結局、この涙の補習劇も、別に発音できなくたっていいや、とかで省略してしまう、つまりアポストロフィーの中に入れてしまうのは簡単なのです。しかしながら、それで括ってしまっては味わえない感動だとか成果がそこにはあるわけなのです。

日常生活において、言葉だけでなく行動においても色々と省略しがちな昨今。それは合理的といってしまえばそれまでなのですが、そうやってアポストロフィーに括ってしまった中には、括ってしまっては味わえない醍醐味のようなものがあるのかもしれません。何事も省略してしまってはいけないのかもしれません。

ちなみに、家に帰ってから、常日頃から英語ペラペラだと自負して止まないウチの親父に「’」を見せ、

「これの読み方知ってる?」

と、得意気に尋ねましたところ

「なんだ、平安時代の麻呂の眉毛みたいだな」

と言った挙句、

「違うよ、アポストロフィーって言うんだぜ。発音できるー?」

と、何でそこだけ早口やねんっていう言い方で言いましたところ、物凄い親父の癇に障ったらしく

「アポロ!」

と言いながら、ボクシング映画の「ロッキー」に出てくる主人公ロッキーの敵役であり、良き親友である元チャンピオン、アポロを連想したらしく、ボクシングシャドーから右フックでノックアウトされました。なんでやねん。

薄れ行く意識の中で、僕の人生、親父に関連する部分だけは「’」で省略したい、そう思ったのでした。

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