親殺し子殺し

親殺し子殺し

親が子供を殺した。子供が親を殺した。なんて痛ましいニュースを耳にする事があります。

親が自分が生んだ子を殺す。子供が自分を生んでくれた親を殺す。そこに至るまでには様々な理由やら運命のいたずらがあるのかもしれませんが、一体どんな気持ちで殺してしまうのでしょうか。

また、愛でるように育ててきた子供に殺される親の気持ちとはどんなものなのでしょうか。腹を痛めて生んだ自分の子供を殺す気持ちとはどんなものなのでしょうか。

自分から見た子供や孫を「卑属」と呼びます。また、自分から見た親や祖父母を「尊属」と呼びます。一昔前までは殺人罪(刑法199条)の規定とは別に尊属殺重罰規定(刑法200条)というものがありました。つまり、尊属関係の人間を殺すと普通の殺人罪より重罪で量刑も重い、というもでした。それだけ自分の親殺しなどは悪いことだという認識だったようです。子殺しはどうだったのか知りませんが。

この尊属殺重罰規定は、昭和48年に「法の下の平等」という観点から違憲とする判決が出てしまい、以後、同条は検察の方針により適用されず、平成7年の刑法改正に伴い削除されており、法律上では「親殺しは罪が重い」ということはなくなってるようですが、それでもやっぱり感覚的に親殺しは良くないことのような気がします。ヤクザの世界でも自分の親(親分)殺しだけはご法度みたいですしね。

じゃあ、逆に子殺しはどうなのよって話になると思いますが、実はこれ、特段に特別視された事がないのです。虐待死とか色々とクローズアップされることはあるのですが、法律的には何ら定められた事がありません。

言葉からも分かるように、親殺しは尊属だから重罪、子殺しは卑属だから重罪では無いってことなのです。まあ、日本人的に「子供は自分の所有物」みたいな忌々しい思想が多くありますから、何をやってもいい的に考えてるのかもしれませんね。

「親殺しは特別けしからん、でも、子殺しはまあ仕方ないよね」的な風潮が、法的に見てもあるわけで、非常に気に食わないのですが、残念ながら世間ってそういうものなのかもしれません。

小学校低学年の頃でした。その頃学校ではジャージ下ろしなる珍妙なる遊びが大ブレイクしていました。

この遊びは読んで字の如く、ジャージのズボンをずり下ろすという何の生産性も意義もない遊びだったわけですが、完全無防備なる人物の背後に忍び寄り、そのジャージをバサッとずり下ろす。その狼狽ぶりや滑稽な姿を笑うことを極上の喜びとしている悪趣味なものでした。

田舎の小学校、それも低学年で貧乏なガキが集まってましたから、男子も女子も小奇麗なオシャレファッションなどしておらず、ほとんどのガキがジャージ姿、それもプーナとかアデダスとか微妙な偽物ジャージばかり着ていました。ですから、男子も女子も関係なく、ほとんど全てのガキが被害者でした。

例えば、誰かが輪になって話をしていたとします。その中の誰かに狙いを定め、背後からそっと忍び寄ります。気配を殺し、物音を立てぬよう、忍びの如き慎重さで獲物に近づきます。ターゲットの背後に到着したら勝負は一瞬です。ポケットの部分の布に指を引っ掛け、一気にずり下ろすだけ。後は情熱的な驚きと混沌の世界が待ち受けてるというわけです。普通に立って話をしてるだけなのに、何故か下半身はブリーフ。すげえ間抜けでシュールな光景が面白いのです。

僕はこのジャージずり下ろしのプロで、そこら辺のアマチュアがブルってしまって膝くらいまでしか下ろせないところを何のためらいもなく足首までずり下ろすスキルを持っていました。もう、何が僕をここまでジャージ下ろしに駆り立てるのかと不思議になるくらいジャージ下ろしに命を賭けてた。

本来は隠さねばならないブリーフやパンティエやらが一瞬にして公衆の面前に露出される非日常性、相手をねじ伏せてやったという優越感、そして、普段味わうことのできない極上のスリル。布袋のアニキがスーリールと唸る以上にスリリングな時間がそこにあった。

どうも、このジャージ下ろしはやられると耐え切れないほどの屈辱があるらしく、被害者は復讐を固く誓う傾向にあった。被害者が加害者となり、また別の誰かのジャージを下ろす。悲劇の連鎖は食い止める事ができず、瞬く間にジャージ下ろしは一大ムーブメントとして大ブレイクした。

この年代のガキってのは限度を知らないもんだから、とにかくブームになると止まらない。休憩時間になるとそこかしこで「おりゃー!」というずり下ろす掛け声と「きゃー!」とかいう悲鳴が聞こえたもんだった。

このムーブメントは、ジャージをずり下ろされちゃってパンティエがあらわになって泣いちゃったA子ちゃんだとか、間違えてお母さんのパンティエをはいてきてたのが発覚したB君とか、調子に乗りすぎて担任の先生のジャージまでずり下ろしちゃって鉄拳制裁を食らったバカとか、数々の悲劇を生み出した。

それらの事件をキッカケに「ジャージずり下ろし」は担任のおふれにより固く禁止され、それと同時に「ジャージの紐を固く縛る」という根本的な解決策に皆が気づいてしまい、この遊びは衰退の一途を辿ってしまった。

例えば、ファミコン名人で有名だった高橋名人だったが、彼の絶頂期にファミコンの存在自体がなくなってしまったらどうだろう。YAWARAちゃんこと谷亮子から柔道を奪ってしまったらどうなるだろう。前者はただのハゲのオッサンに成り下がるし、後者は言うまでもない。

プロフェッショナル、第一人者として君臨していた僕がジャージ下ろしを禁じられるとはそういうことで、行き場のない情熱やら何やらが僕の中で抑え切れないほど蠢いていた。ジャージ下ろしがしたい、とにかくテクニカルに下ろしきりたい、僕の捻じ曲がった思いはそういうところまで来ていて、もはや誰にも止められない状態だった。そして、悲劇は起こった。

この当時の僕の楽しみと言えば、そのジャージ下ろしともう一つ、母と一緒に行く買い物だった。学校が終わった夕方頃に母と近所のスーパーに買い物に行き、お菓子を買う買わないで激しい攻防戦を繰り広げるのが至福の楽しみだった。

二つの楽しみのうちの一つを奪われた僕、当然ながらこの母との買い物を心の拠り所にしていた節があるのだけど、母もまた同じように買い物を心の拠り所にしている風潮があった。

やはり主婦ってのは家に閉じこもりがちで、自分から積極的に動かない限り極度に社交性が低くなってしまうもので、下手したら家庭という鳥篭の中に自ら閉じ込められてしまうことになりかねない。母が外界と繋がりを持つことができる唯一の手段、それが買い物だった。

近所のスーパーに行って、そこで同じように外界との繋がりを求めている主婦仲間に会い、井戸端会議に華を咲かせる。どこそこの旦那さんが浮気してるだとか、あそこの御主人はインポだとか、ゴシップ話で大興奮。

僕はお菓子を買う買わないの攻防戦が楽しみだったし、母は井戸端会議が楽しみだった。目的は違えど、僕ら親子は買い物が楽しみだったし、それが心の拠り所だった。ジャージずり下ろしを失った後の僕はいっそうその傾向が強かった。

もう、ここまで書いたらオチまで書かなくても分かると思うんだけど、それでもあえて書かせてもらうと、事件はとある日、そのスーパーで起こった。

その日、ジャージずり下げを失った失意の僕は、母と一緒に連れ添って問題のスーパーに行った。今日こそは母との攻防戦を制し、絶対にお菓子を買ってみせる、意気込みながら僕は楽しみだった。

近所のスーパーに行くと、母は一直線に奥様仲間が井戸端会議を展開する精肉コーナーの前へ。そこでは、奥様と精肉コーナーのマネージャー男性が輪になって談笑しており、「○○のところの奥さん、夫の暴力に悩んでるらしい」とかゴシップ話に大車輪。まさにゴシップ井戸端会議。

そんな奥様たちを横目に、僕はお菓子コーナーへ一直線。そこで真剣に頭を悩ませながら、必死になって買ってもらえそうなお菓子をチョイスする。あまり量が多いお菓子は買ってもらえない。あまり高価なお菓子は買ってもらえない、あまりに体に悪そうなお菓子は買ってもらえない。「ねるねるねる」なんて死んでも買ってもらえなかったからな、魔女みたいに食べたかったのに。

結局、弟と一緒に食えそうな安価なお菓子ってのがポイントが高くて、さんざんっぱら頭を悩ませた挙句、買ってもらえそうな無難なお菓子をチョイス。それを手に持って母が井戸端会議を展開する精肉コーナーに向かう。

ここからが勝負だ。自然かつナチュラルに母さんの買い物カゴにお菓子を放り込まなければならない。ここで母親のレーダーに引っかかってしまうと、ガシッと腕をつかまれ「返してきなさい」と言われる。ここだけはなんとか気づかれぬように通過しなければならない。

逆を言うと、ここさえ通過してしまえば、あとはなし崩し的に買わせることが可能。例えば、井戸端会議を終えた後にレジあたりお菓子の存在に気づけば、いくら鬼母でもレジで返して来いとは言わない。

忍びのように気配を殺し、完全に空気と同化して神々の如き素早さで買い物カゴにお菓子を放り込む。このタイミングがカギだ。母はお喋りに夢中で気づく様子がない。よし、成功だろう。

と、思ったのだが、母はまるで貴婦人の如き優雅さでお菓子をカゴから掴み出すと、話に夢中になりながら僕にお菓子をノールックパス。つまり、これは購入できないということらしい。

投げ返されたお菓子を元の場所に戻しに行きつつ、何が悪くて購入に至らなかったのだろう、と必死に考えるのだけど、何をどう考えても納得がいかない。明らかに完璧なチョイスだったはず。非の打ち所のないチョイスだったはず。なのになんで買ってくれないのか。

考えても考えても納得がいかず、次第に沸々とした怒りの感情が芽生えてきた僕。なんでこんなクソみたいなお菓子の一つも買うことができないのか。自分は好き勝手に買ってやがるくせに、なんでこんな物も買えないのか。

怒りの鬼と化した僕は決心します。母をギャフンと言わせよう。少しばかり痛い目にあってもらおう。そうすればもう少し僕の気持ちってものを考えるようになり、お菓子の一つでも買ってやろうという気になるんじゃないだろうか。

こうして、僕は学校で「地獄のジャージずり下ろし魔」として名を馳せたスキルを活かし、母のジャージを下ろしてやろうと決心したのでした。近所のスーパーってことで母は恐ろしいほど気を抜いて紫色の悪趣味なジャージ姿でしたから、ずり下ろすには最適だったんですよね。

輪になって立ち話している母の背後から音もなく忍び寄り、気配を押し殺してそっとジャージズボンに手をかける。この主婦仲間と精肉売り場のマネージャーの前で母をパンティエ姿にしてやる。徹底的に辱めてやる。

何度もやったジャージずり下ろし、もうお手の物でした。僕はプロフェッショナルですから、例え相手が肉親であろうとも容赦はしません。もう、なんんのためらいもなく足首までジャージをずり下ろしてやりましたわ。もう、ズルッと、もうモロンと。

してやったり!これで母のパンティエ姿は白日の下に晒され大変恥をかくだろう。しかしそれは自らが撒いた種。じっくり反省し、今度からは僕にお菓子を買い与えるようになるだろう。意気揚々と、得意気に視線を母のジャージから上方に向けた僕に、途方もない光景が飛び込んできました。

いやな、母さんの汚い生尻が目の前にあるんだわ。

「女尻」っていうエロビデオシリーズは誰もが知ってることと思いますけど、あれでは女性の尻は気高く美しいものと位置付けられています。しかし、その時目の前にあったのは汚くたるみきった実の母の尻。ビロビロと地層のように展開する尻肉のみ。もう、何が起こったのか一瞬理解できませんでした。何で母の生尻が。

結局、あれなんですよね。僕が学校でガキ相手にやってたジャージ下ろしってのは、相手のジャージがガキ故に大きめのサイズでブカブカで、ズリ下ろした時に綺麗にジャージだけ下ろせたんですけど、母は古いくたびれたジャージを着ててサイズも合ってなくてピチピチでしたから、その、なんていうか、ジャージをずり下ろした時にパンティエまで一緒にずり落ちちゃったんですよね。

肉親の、それも母の生尻を目の前数センチで鑑賞するってのはそれだけで十二分にトラウマになりかねないのですけど、それは僕サイドから見てると尻だけなのでまだマシなお話しで、逆サイドから向き合うようにして井戸端会議していた奥様方や精肉コーナーのマネージャーはもう大変。

そのなんていうんですか、僕を構成する原料を親父が汗だくになって注入した穴とか、僕が元気良く飛び出してきた穴とか、まあ、簡単に言うとマンコ丸出しなわけでして、実の母がスーパーで下半身丸出し状態。

それには僕も「母さん、いくらなんでもスーパーでマンコ丸出しは良くないと思うんだ」と言うしかないんですけど、よくよく考えたら丸出しにさせたのは僕で、なんていうか、井戸端会議のメンツどころか、その周囲50メートルぐらいまで凍りついたように時が止まってた。

「あらあら、この子ったらイタズラで、おほほほ」

と母も必死に取り繕って笑いながらジャージとパンティエを上げてたんですけど、後姿だけで怒り狂ってるのが分かるような禍々しきオーラを身に纏っていて、少しばかりシャレになってない雰囲気みたいなのを子供心に感じ取りました。

もうお菓子買ってもらうとか別次元のお話で、買い物を終えて家に帰った瞬間に母は仁王のように怒り狂い徹底的に怒りのアフガン。もうなんていうんだろ、比喩とかジョークとか、オーバーに言ってとか言葉のあやとか、そういうのじゃなくて本気で殺されかけた。竹刀とか包丁振り回して大立ち回りしてたからな。

結局、僕は自分が原因とはいえ、本気で自分の親に殺されかけた経験があるわけで、しかもそれは「炎天下の車に放置してパチンコしてたら死んじゃった」とかじゃなくて明確な殺意を持った経験。

それがどんなに恐ろしいものかは良く知ってるし、自分を生み出した人間に殺されかけるという矛盾というか無情というか、そういうものもよく分かるのです。本当にあれはどうしようもないし、すごい悲しい気持ちになる。

だから、虐待死とか親が子供を殺したってニュースを聞くと、あの日の包丁持って本気で襲い来る母親を思い出して怖くなるし、虐待死なんて言葉で誤魔化さずに明確に殺人と呼ぶべきだと憤ったりするのです。

親殺しは尊属殺人重罰規定として法律的に普通の殺人より重罪と見られていた時期がありました。しかしながら、本当に憎むべきは力なく、親を信じきっている子供を殺すことだと思います。だから、卑属殺人こそ重罰規定してもいいじゃないかと思うのです。法の下に平等の精神に反しますが。

とか考えてたのですけど、一通り怒った後に落ち着きを取り戻し、ワーッと泣き出した後に「お母さんはあんな生き恥をかかされて死んだも同然だ。もうあのスーパーにいけない。死んだも同然だ!」という彼女の言葉を聞き、母さんのマンコを丸出しにして彼女を事実上殺したのは僕なんだ、と深く反省したのでした。やっぱ親殺しも良くないよ。

結局、親殺しも子殺しも殺人には変わりなく、良くないことだ、と今まで何を長々と書いてきたんだと言いたくなるほど根本的な部分に気がついてしまったのでした。僕は子供いないから、せめて親を殺すことないよう、気をつけていこうと、そんな感じ。

そうそう、この間、ウチのクサレ親父から、何をトチ狂ったのかそういう嫌がらせなのか知りませんけど、腐ったカニが3ケース届きました。北海の味覚どころの騒ぎじゃない。マジ殺そうと思った。

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