赤鼻の野牛

赤鼻の野牛

「私はクリスマスをやってはいけません、別の会にしてください」

クラス中が騒然とした。

学級会の席上、クラスの誰もが心弾ませて楽しみにしている「クリスマス会」の予定を話し合ってる時、事件は起こった。クラスの誰もが呆気に取られ、発言した松下さんを凝視する。当の松下さんはそのセリフを言ったきり、まっすぐと前を見るように仁王立ちしていた。

これは受け持つ担任によっても異なるかもしれないが、僕らのクラスでは2,3ヶ月に1回の頻度で「お楽しみ会」なる行事が行われていた。これは、担任のポケットマネーか何かでささやかなジュースとお菓子が振舞われ、放課後の時間を利用してそれに舌鼓を打ちながらクラスメイトの出し物を鑑賞する、そんな会だった。

今となってはその会の目的だとか意義だとかは皆目見当もつかないが、いつもは勉強しなければならない教室において堂々とジュースやお菓子を口にすることができる非日常性やら何やらで楽しみだったのを今でも覚えている。

そんな「お楽しみ会」だが、そのネーミングからも分かるように、それは何の目的もないただ楽しむだけの会という、下手したら変なクスリでも集団でやってるんじゃねえのかと疑われかねない会なのだけど、1年に1度だけ存在意義が明確になる「お楽しみ会」があった。それが「クリスマス会」だった。

12月に執り行われるお楽しみ会だけはクリスマス会に名称変更される。公務員にボーナスが出るためか、いつものしょぼいお菓子もケーキだとかにランクアップされ、教室もクリスマス風に飾り付けられる。時間だって午後が丸々クリスマス会にあてられたりなんかして、とにかく豪華だったし、当然、出し物とかも色々あった。あと、会の最後にプレゼント交換があるのが最高だった。

クリスマス会に向けた最初の学級会で決めたのは、それぞれが担当する役割の分担だった。教室の飾りつけ班やらプレゼント交換の準備をする班、そして出し物を担当する班などに分かれた。

僕はその中でも最も面倒であろう「出し物班」に分類され、その中でもさらに過酷であろうと予想される「劇」の出演者に選ばれた。出し物ってのは手品とか歌を唄ったりとか、クソみたいなクイズを出題したりとか、いくらでも楽なのがあるのだけど、最も面倒な劇に出演することになってしまった。

しかも、そんな誰もがやりたがらない劇に出演するやつなんて、本当にクラスのクズを集めた吹き溜まりみたいな連中が集まっていて、微妙にやる気がない。

「劇?なにやるのよ?クリスマス会だしクリスマスっぽいのでいいんじゃねえの?適当にやろうぜ」

という、至極クズらしい意見を賜り、なんだか知らないけど誰が言い出したか無難に「赤鼻のトナカイ」を演じることに決まっていました。

赤鼻のトナカイとは、鼻が赤くて他のトナカイにバカにされているトナカイがいて、その虐められっぷりが涙なしでは見られないほど悲惨極まりないもので泣けるお話です。しかし、ある年のクリスマス、猛烈な吹雪に襲われたサンタは視界不良に悩まされます。このままではプレゼントを配って回れない、子供たちが悲しんでしまう。サンタは悩みます。

そこで赤鼻のトナカイの登場ですよ。お前の明るい鼻は暗い夜道で役に立つ。吹雪の中も照らしてくれる。どんだけ光り輝いてた鼻やねん、目が眩むぜ、そんなもんが鼻先についてたら、って話なんですけど、それで赤鼻のトナカイは仲間の間でもスターダムにのし上がり、一気に周り見直されたって話です。

まあ、こういう話ってのは別にお話の中だけでなく、現実にも多々あって、結局は価値観をどこに置くのかって話になるんですけど、例えば幼い頃はチンコが馬並みにデカいってだけでイジメの対象になったりして、デカマラーとか不本意なニックネームを授けられて虐げられたりするんですけど、それが大人になると武器に変わるわけです。女どもはそのデカマラーにウットリしヒーヒーよがり狂ったりするわけで、虐められてたネタが武器に早代わり、もう後はヤリチン人生一直線という状態になるわけなんです。

まあ、話が横道にそれまくりましたが、この赤鼻のトナカイってやつもその辺の価値観の変遷によって虐められてたネタが武器に早代わりするという風刺がバリバリに効いてるわけなんですが、別にその辺をクラスメイトに訴えかけようという意図は皆目なく、ただ劇でやれそうなクリスマスの話をこれしか知らないからという理由でした。

「じゃあ、とりあえず配役を決めようぜ!」

やる気のないクズなりに配役だとか演出だとかを話し合った結果、なぜだか知らないけど僕が鼻の赤いトナカイ役に抜擢されてました。赤鼻のトナカイの劇で赤鼻のトナカイを演じる、サンタほどではないにしろかなりオイシイ役所であることは間違いありません。

僕はこういった劇では、目立つ役ってほとんどやったことなくて、泣けてくるくらいの脇役しかやったことなく、ありがちなところでは木とか、橋とかしか演じたことありませんでした。そもそも、それって役ではなくて背景ですから、演じる必要もありませんでした。あと、唯一やった人間の役ってのが、太平洋戦争の沖縄決戦の悲惨さを訴えかける劇で演じた、最初に切腹して死ぬ人の役です。劇が始まって2秒で「無念!」とか言って死ぬ人の役です。

こんな俳優としては終わってるとしか思えない出演歴を持っている僕が、主役級の赤鼻トナカイを演じる。舞台こそはクラスのクリスマス会と小さいものですが、僕は血沸き肉踊り、見事に赤鼻トナカイを演じきってやると燃え滾ってました。

自分のやるべきことが決まるとやる気ない連中でもそれなりに使命感みたいなものに燃えるらしく、僕ら演劇班は張り切ったように準備を進めた。セリフを考えたりシナリオを書いたり、小道具班はトナカイやサンタの衣装を準備をしたり、吹雪の雪の演出まで作り始めていた。

こうして着々と、クリスマス会で演じる赤鼻のトナカイの準備は進んでいたのだけど、まさに本番直前、いよいよクリスマス会の数日前となった最終打ち合わせ的な学級会の場面で事件は起こった。

「私はクリスマスをやってはいけません、別の会にしてください」

冒頭の松下さんのセリフである。皆がそれぞれに打ち合わせをし、会議というよりは喧騒に近い学級会の場で、その喧騒を打ち破るかのように彼女は立ち上がって言った。

「私は、宗教上の理由でクリスマスをできません。別の会にしてもらいたいと思います」

アホなガキにとってその意味は半分も分からなかった。ただ、松下さんの家庭は色々と宗教上の理由があって事情があって、日曜日なんかも遊ばずに家族総出で各家庭を回って布教活動に勤しんでいた姿を見ていた僕は、なんとなく意味が分かった。

「はあ?何言ってんの?」

クラス中にそんな空気が蔓延した。そりゃそうだ。もうここまで準備が完了し、皆がクリスマス会に向けて一丸となって準備している。そんな土壇場で言い出されても困るというもの。

一気に雰囲気は悪くなり、皆が冷酷な眼差しで松下さんを見据える。一気に視線を注がれた松下さんは、僕だったら恥ずかしいやら申し訳ないやらで顔を真っ赤にして泣きながら俯いてしまいそうなのに、何も恥じ入ることなく、真っ直ぐと前を見据えていた。僕は正直、松下さんはブスだけどその姿はカッコイイと思ってしまった。

不穏な空気を感じ取った担任のクソババアは、急に取り繕うかのようにしゃしゃり出てきてこう言った。

「そ、そうね、クリスマス会はやめましょう。クリスマス会は名称をお楽しみ会スペシャルに変えます!」

とまあ、またもや存在目的の分からない名称に変更されてしまった。なんやねん、お楽しみ会スペシャルって。しかも、

「飾り付けもクリスマスっぽいのはやめましょう。あと、出し物もクリスマスっぽいのはやめましょう」

という途方もない通達を出す始末。そりゃ仕方ないのだろうけど、いくらなんでもこの直前にありえなさ過ぎる。

こうして、会の名称はお楽しみ会スペシャルに変更され、クリスマス一切禁止の通達まで出された。これを受けて飾り付け班は雪だとかサンタだとかをテクニカルに折り紙で作った飾りの作り直しを余儀なくされた。

そして、出し物も大幅に変更を余儀なくされるのだけど、よくよく考えたら大変なのは劇をやる僕らだけだった。こう言っちゃなんだけど、他の出し物ってヤツが手品だったり歌唱だったりクイズ大会だったりするのだけど、そんなの最初からクリスマスなんて微塵も関係ない。ちょっとクリスマスに関係した歌とかクイズとかやるつもりだったらしいけど、そんなの簡単に修正可能。しかし、僕らがやる劇はそうも行かなかった。

なんといっても「赤鼻のトナカイ」だ。クリスマス以外の何者でもない。もうトナカイって時点でクリスマスだし、話の内容もクリスマス。この劇の準備をしてきてクリスマス禁止令が出されるのだから、もはやどうしようもない。

「どうすんだよ、今更変更なんてできねえよ」

僕らは真剣に悩みぬいた。今更劇の内容を変更することなど時間的制約から考えてできるはずがない。もうどうしようもないところまで追い込まれた僕らは、必死に頭を使って解決策を考えた。

「そうだ、トナカイだからクリスマスっぽいんだ。トナカイをやめて、赤鼻の野牛にしよう」

誰が言い出したのか忘れたが、何を食って育ったらこんな発想に至るのか理解できない。野牛て。そんなもの柳生博が出てきてハンターチャンスとか言ってるようなものじゃないか。

こうして、劇の内容にあまり変更を加えず、クリスマスっぽさを排除した結果、僕らのオリジナル劇「赤鼻の野牛」は途方もないものになっていったのでした。

舞台はヨーロッパのとある山村。その中で群れを成す野牛の中に、一匹だけ鼻の赤い野牛がいました。

「おい、お前、鼻が赤いんだよ!邪魔だからどっかいけ、んもー」

他の牛に虐められる野牛。乳だって彼だけ搾ってもらえませんでした。しかも、そんな虐めを受けても赤鼻の野牛は

「んもー」

と言うだけ。何故だか知りませんけど、最初の赤鼻のトナカイではセリフも人語を話すトナカイだったのですが、野牛へとプロット変更する際にセリフが一切排除され、「んもー」だけになってました。

主役級の赤鼻トナカイから赤鼻野牛にランクダウンするだけでもテンションが下がりまくるのですが、セリフが「んもー」だけになってさらにテンションダウン。

でもそれ以上にテンションダウンするのがサンタ役で、いつの間にかサンタから牛飼いのオッサンにジョブチェンジされてました。そりゃテンションも下がる下がる。

こうして、クリスマスが禁止になって劇の内容を書き換え、それによって様々な矛盾点を修正をしていった結果、とんでもない劇が出来上がってました。

鼻が赤くて虐められていた野牛だけど、ある時、交際相手の恋人に呼び出されて急に夜道を急いで恋人の下にいかなければいけなくなった牛飼いが、多数の牛を引き連れて夜道を急ぐのですが、そこで衝撃的な大蛇に遭遇。他の牛どもが次々と丸飲みされていく中で、赤鼻の野牛の鼻が光り輝き、恐れをなした大蛇がすごすごと逃げ出してしまい、見事牛飼いは恋人と再会でき「お前の鼻は大蛇対策に役に立つ」と褒められるという、心温まるハートフルストーリー。なんていうか、狂った人が書いた四コマ漫画みたいなストーリーになってました。

いやいや、急いで恋人の下に行くのに大量の牛を引き連れていく意味がありませんし、大蛇に出会うのも変。牛を丸飲みってどんな大蛇ですか。そんな凶悪な大蛇を鼻の赤さだけで退治できるんですか。

結局、クリスマス会、いやお楽しみ会スペシャル当日、僕らは自分らでこの劇はおかしい、支離滅裂すぎると分かっていながらも、演じきるしかなかった。まあ、僕のセリフは「ンモー」だけだったけど、それでも演じきった。客は皆引きつってたけどな。

他の手品とか歌唱とかクイズとかの出し物は素晴らしく、ケーキだったはずの食い物はお菓子に変わっていたけど、それでも美味しかった。当の松下さんもこのクリスマス会ではなくなったお楽しみ会スペシャルを本当に楽しんでいるようで、終始笑顔で良かった、赤鼻の野牛はそう思った。

そして、最後、いよいよ松下さんの出し物が披露される順番になった。仕方ないとはいえ今回のクリスマス会パニックの発端となった松下さん、クラスの誰もが彼女に注目し凝視した。

「今日は私のために気を使ってもらって嬉しかったです。劇も面白かったしとても楽しかった。本当にありがとうございます」

前に出てそう言う松下さんのセリフを聞いて、まだ鼻を赤く塗ったままだった野牛は本当に良かったと思った。

「私は得意のピアニカの演奏をします」

彼女の出し物はピアニカノ演奏。すっとピアニカを構えると彼女は綺麗な音を出して演奏し始めた。本当に澄んだ音で、見事な演奏を。

曲目は、「サンタが街にやってきた」、本当に上手な演奏だった。

っておい、松下ちゃんよー、それって思いっきりクリスマスじゃんかよー、アレだけ俺たちに苦労させておいて、当のアンタはそれかよー、と思った。特に劇に携わった連中、特にテンション下がりまくった赤鼻の野牛とサンタが思ったが、無粋なツッコミはしないでおいた。ホント、あの時は全ての人間が硬直したぜ。

最後にプレゼント交換、各々が持ち寄ったプレゼントを輪になって交換するプレゼント交換会が行われた。さすがにプレゼントにまでクリスマスの要素を排除するのは無理だったらしく、みんなクリスマスっぽいお菓子だとかカワイイ靴下だとかを持ち寄っていた。

交換が終わって、プレゼントを明けた皆が口々に騒ぎ出す。わー、○○ちゃんのだー、カワイイツリーもらっちゃったー、など、実にクリスマスらしい光景。

そんな中、なんと、僕には松下さんが持ち寄ったプレゼントが当たってしまい、箱を開けてみるとそこには小さなハサミが入っていた。いや、ハサミて。プレゼントにハサミって怖すぎるって。何考えてるんだ松下のヤツ。

鼻毛でも切れそうなその小さなハサミを家に持ち帰り、本当に鼻毛を切ってみたところ、失敗したらしく、鼻が真っ赤になった。

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