気まずいベイビー

気まずいベイビー

人間関係ってのは例えるならば化学反応のような物なのかもしれない。

仕事上の交わりだったり友人、恋人、なんでもいいのだが、ある人間とある人間が交わる時、それが良好な関係であるのならばきっと、両人とは別の有益な何かが生まれるはずだ。つまり、AとBが交じり合うことによってCが生まれる。水素と酸素で水ができるのと同じだ。

しかし、それが良好な関係でない場合、簡単にはいかない。人と人が交わっているのに、何も生まれない。ただAとBが混ざってるだけの状態。全くの無反応状態。これは片方だけが意見を押し付けようとしたり、片方が意見を聞こうとしなかったり、反応しようとしない状態を指すのかもしれない。水と油を混ぜても何も起こらず、ただ二層に分かれるのと同じ事だ。

何も反応しないならまだ良くて、反応して有害な物質を発生するようになると困る。有毒なガスだとか有毒な液体だとか、そういうのが生成してしまうと大変困ることになる。爽健美茶に色々なものを反応させて殺傷能力の高い爽健美茶ブルーを作ったバカがどっかにいたけど、それみたいなもの。これは言うなれば会うたびに喧嘩になる関係だとかストレスが溜まる関係だとか、根本的に合わない二人だとか、そういうのに相当するのかもしれない。

無反応、悪いものが生成ってのはもちろん避けたくて、誰とでも良好な反応が遂行できるのが理想なのだろうけど、そういうのじゃない別の反応結果もある。

無反応というわけではなくて何かは反応する。できるものは有害でもなく有益でもない。なんだか得体の知れないモニョモニョした物ができる事がある。まあ、よく分からないものを勘で「混ぜてみるか!」とか適当にやるとそういった得体の知れないものができる事が多くて、時にはヘドロみたいだったり時には見てるだけで気分が悪くなったり、そういったどっちとも言えないものができることがある。

これはまあ、人間関係に例えると、おそらく「気まずい」という関係にあたるのではないだろうか。良好な関係ではないけど、悪い関係でもない。でも、なんだか釈然としない気持ち悪さが残る。果たしてこれでいいのだろうか。なんていう不安すら付きまとう。やはり、こういった良く分からない反応ってのは「気まずい」人間関係に当たるのではないかと思う。

化学反応において気まずい生成物が出来てしまうってのは、本当に無計画に適当にノリで反応を行わせた場合に起こる事が多い。入念に文献を当たって構造式や文献を漁り、反応機構を考えた上で行えば、そうそう気まずい生成物はできたりしない。これってば人間関係に当てはめるとどうなるのだろうか。

とまあ、僕は日々多種多様の薬品に囲まれて、それらを適当に混ぜて大喜びしたりションボリしたりすることを仕事にしているため、仕事において化学反応は切っても切れない縁。だから仕事中に上記のようなどうでもいいことを考えているのだけど、これ、仕事中のバカな考えでは片付けられないくらい的を射ているような気がする。

先日のことだった。

いつもの如く職場の廊下を歩いていると、向こう側から事務職の女性がカツカツとハイヒールの音を響かせて歩いてきた。

「まずい」

と思った僕はとっさに物陰、つまり廊下に置かれた消火器の陰に隠れた。実は彼女とはそれこそ本当に気まずい関係で、出来れば会うのを避けたかったのだ。

その気まずい関係の原因ってのが僕自身にあって、彼女から「絶対に1週間以内に提出してください」と強く念押しされて渡された書類を2ヶ月経った今なお提出していないことがいたく響いていたりするからだ。そう、顔を会わせる度に「早く提出してください」なんて言われて、まさか「提出も何も書類自体をなくした」などと言うわけにもいかず、非情に気まずい思いをすることになるのだ。

全ては自分のだらしなさ、無計画さが招いた気まずい関係。やっぱこういう関係ってのも反応と同じなんだなーなどと考えつつ、どう考えても消火器の陰なんかに隠れられるわけなくて体の半分以上が露出してるというのに身を小さくしていると、

「ああ、よかった。patoさん、ちょっといいですか?」

と、事務員さんが駆け寄ってくるではないですか。まずい、見つかった、本気の本気で気まずすぎる。けれども、子供じゃあるまいし脱兎の如く逃げるわけにも行かない。どうする、どうする、とかオタオタしていましたところ、なにやら異変が。

いやね、事務員さん、何だか知らないけど年端も行かない男の子を抱っこしてるんですわ。もう人形とかじゃなくて明らかに生きてる男の子。たぶん、2,3歳くらいだと思うんですけど、最も手がかかりそうな年頃の男の子を抱っこしてるの。

「あれ、どうしたんですか?その男の子、産んだんですか?」

とか僕が尋ねると、彼女は一瞬キッとした表情になって、またもや気まずい雰囲気に。ああ、どうやらまた反応に失敗したようだ。迂闊なこと言うもんじゃない。

「私の子供な訳ないじゃないですか。前までうちで働いていた女の人が訪ねてきて、いま部長と相談をしてるんですけど、この子を預けられて困ってるんですよ」

なるほど、そういった理由があるのか。気まずさ故に彼女のことを憎々しく思ったこともあったが、彼女は彼女で大変だな。せいぜい慣れない子守りを頑張ってくれ、と思ったのですが、どうやら非常に旗色が悪い気まずい雰囲気に。

「でも、私も急に接客が入っちゃって・・・すっごく困ってたんですよね。だから、ちょうどpatoさんに出会えて良かった。ちょっとの時間でいいですから、この子を預かってもらえませんか?お母さんにもそう伝えておきますし」

という、一休さんに出てくる将軍様よりムチャクチャなこと言い出しやがるんですよ。いやいや、僕に子供を預けるとか、洗剤を混ぜるより危険じゃないですか。混ぜるな危険じゃないですか。駅前ロータリーをロリータと読み間違えて興奮する人に女児を預けるようなものじゃないですか。普通に考えてありえない。

そんな危険さなんてなんのその、事務員さんは神々の如き素早さで僕に男児を手渡すと、どこかに駆け足で消えていきました。うん、反論する余地も断る余地もないほどの素早さ。残像とか見えてた。

廊下に残されたのは年端も行かない男児を抱っこした僕と消火器のみ。なんだろう、この不可解さは、なんだろう、このシックリこない気まずさは。

とりあえず、どうしようもないので自分の仕事部屋に戻ろうと男児を抱っこして歩き始めたのですが、もういきなり男児が泣き出すのな。そりゃあさっきまでいい匂いのする女性に抱っこされてたのに、それがイカ臭いオッサンに抱っこされるんだから、僕が男児でも泣きたくなるのは当然なんですけど、まるでスイッチが入ったように泣き出すのな。なんだろう、傍目には東北あたりの「なまはげ」の風習のように映ったんじゃないかな。

ここで「こら!泣くな!ひねるぞ!」とか一喝して泣き止めばいいんですけど、おそらくそれをしたらショック死しかねない、良くてトラウマなので、なんとか穏便になだめようと努力するんですけど、もうどうしていいのか分からない。こっちが泣きたいくらい。

とりあえず仕事部屋に連れて帰り、なんで泣いてるのか真剣に考えるのですけど、どう考えても僕が怖いからという理由しか思いつかない。ウンコでも漏らしてるのかと思ったので下を脱がせようと思ったのですが、そういうところを誰かに見られたら弁明しようがないし、オムツみたいなのがテクニカルに装備されていたので断念しました。

ここまでの人生でそこまで幼児に接した事ありませんから、正直どうしていいのか分からないんですけど、とりあえず、何か語りかけたほうがいいだろうと思い、彼を抱っこして部屋の隅にある薬品が大量に詰まった薬品棚に向かいました。

まあ、三歳児と盛り上がれる共通の話題なんてないに決まってますから、とりあえず薬品の説明でもしてやろうかと思いまして、彼を抱っこしつつ、一つ一つ薬品を指差しながら、

「これはベンゼン、別名はベンゾールだね。常温で無色の液体で揮発性や引火性が高い。また、発がん性が高いため取り扱いには注意が必要。体に悪いんだねー。排気ガスやタバコの煙にも含まれてるんだけど、このままいくと地球はどうなっちゃうんだろうね。君が大人になる頃までに地球が住める星であればいいけどね」

とか真剣に説明してました。3歳児に。真顔で。なにやってんだ。

しかし、それ受けて三歳児は、

「あばあば」

とか上機嫌になって言ってました。真面目に説明する僕に、魂が半分抜け出たような三歳児、なんともシュールな光景です。

ともかく、何か知らないけど薬品の説明をしたら彼は泣き止んでくれ、少なからず上機嫌になってくれたので、彼は薬品が好きなのだろうと判断。そのまま説明を続けました。

「これはトルエン。別名はフェニルメタン、メチルベンゼン。常温で無色の液体、蒸発しやすく、シンナーのような臭いがして引火性があるんだよ。よく不良が隠れてコソコソ吸ったりしてるけど、君は大きくなっても吸っちゃダメだぞ、お母さんが悲しむから。シックハウス症候群との関連も疑われてるから、君が大きくなってマイホームを建てるときは要注意だぜ」

「あばあば」

やっぱりシュールな光景です。

しかも、三歳児のヤツ、よっぽどこのトルエンという言葉が気に入ったのか、「とるえん、とるえん」とか大喜びで連呼してました。色々な意味で将来有望なガキです。というか、言葉が話せるということに驚いた。だったら最初から喋れよ。

そんなこんなで、やっとこさ三歳児も泣き止んで上機嫌になってくれたし、僕も仕事がありますものですから、ソファの上で遊ばせておきました。しかもなにやら試験管のことをたいそうお気に入りらしく、危ないのでガラス製のじゃなくてプラスチック製のヤツ、それも飲み込まないように大きいやつを与えておいたのですが、「とるえん、とるえん」と嬉しそうに喋りながら試験管を嬲るように弄って遊んでました。

「おうおう、子供ってのもカワイイものだな」

とか思いながら僕も自分の仕事を片付けておりましたところ、コンコンとドアをノックする音が聞こえ、彼のお母さん迎えに来ました。楽しかった彼との時間もおしまい、これでお別れです。

やってきたお母さんはとても子持ちには見えないほど若々しくてセクシーで、潤んだ唇がなんとも印象的で、乳首とか絶対ピンク色だぜ、とか思う雰囲気で人妻の魅力というかなんというか、いやいや、そんなことはどうでもよくて、とにかく感じの良いお母さんでした。

お母さんは深々とお礼を言って子供を抱っこして帰ろうとしてたんですが、この素敵なお母さんと良好な関係を築きたい、つまり良い人間関係の反応を行いたいと思った僕。精一杯の笑顔で

「いやー、こっちも楽しかったので!」

とか謙遜してお母さんに言いつつ、

「ばいばーい、またおいでねー」

と、物凄い子供好きをアッピール。お母さん、僕と再婚しても子供好きだから大丈夫ですぜ、ってとこを見せつけておきました。それを受けてお母さんも「あら、感じの良い方」と言いたそうな顔をしてまして、なんとなく良い反応が起こったような雰囲気に。しかし、帰り際の幼児の一言が凄かった。

「とるえん、とるえん」

ですからね。お母さん、この言葉を聞いた瞬間に鬼武者みたいな顔に豹変してた。もう、物凄く気まずい雰囲気。反応大失敗。すごいもんができた気分。

しかも、僕も必死でその場を取り繕おうと、彼は楽しそうに僕と試験管で遊んでたんですよーってことをアッピールしようとしたんでしょうね、何を血迷ったか

「ばいばーい、試験管ベイビー!」

とか言ってました。あんなに素敵なお母さんの顔が物凄い勢いで死神みたいになり、なんか背中のほうから禍々しきオーラとか見えそうな勢いだった。もう、気まずいとかそういうの通り越してて、気まずい反応どころか、原子炉の中で起こってる反応みたいな勢いだった。もうだめかもしらんね、これは。

結局、こういった気まずい関係ってのも反応と同じで、全ては自分のだらしなさ、無計画さが招いたりするものだけど、それと同じように悪乗りが過ぎる場合も気まずい関係を招きやすいという事だと思う。

悪乗りして適当に反応を行わせると、何とも言えない微妙な生成物ができて気まずいのと同じように、悪乗りしてトルエンとか教えたり、試験管ベイビーとか言ったりすると、取り返しのつかない気まずい関係になるものだと思った。

やっぱ、反応と人間関係って似てるよな。

そう思いながら今日も薬品を混ぜる仕事を、無計画にノリでやってたら、異臭騒ぎが起こってもおかしくないくらい異臭を放つ、気まずい生成物ができた。

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