困った人

困った人

人間が社会生活を営んでいく上で、周りと折り合いをつけていくことは大切です。近所付き合い、地域のルールを守る、人に迷惑をかけないようにひっそりと生きていく、そうすることで何事も上手くいくのです。

例えば、僕がそれこそ好き勝手に生きて、ゴミの分別はしないわ、出す日は守らないわ、平気でパンツ一丁でコンビニに買い物に行くわ、窓を全開にして大音量でエロビデオのクライマックスシーンを鑑賞するなどしていると、それだけで近所の人に良からぬ噂を立てられるのです。まあ、実際の僕もこれに近いですが。

で、そのように悪い噂を立てられたまま日常生活を営み、僕が痴漢とか女子小学生にイタズラ、主に自分の性器を露出するなどして逮捕されたとすると、ご近所中の悪い噂が大爆発するのです。「ああ、やっぱりな」と。下手したら「わたしゃいつかやると思ってたよ」とか音声を変えてワイドショーのインタビューに答えるクソババアとかいるかもしれません。クソッ!

ということで、そういった性犯罪を起こした時に、「まさかあの人がねぇ・・・気の良さそうな青年だったのに」と証言される事のほうが間違いなくいいですので、僕はこれから品行方正に生きたいと思います。とりあえず、パンツで買い物とエロビデオはやめる。

でもまあ、実はそういった悪い噂を立てられる人間ってのは地域に一人は配備されてるもので、本当に不思議なくらい、実は政府がそういった人間を任命して各地に送り込んでるのではないかと疑うくらいにどの地域にも存在していたりするのです。

テレビでたまに報道されるゴミ御殿の主人もそんな各地に存在する困った人です。女の子にエロスなイタズラをしたと噂される人もそうですし、露出狂、アル中、シンナー中毒、下手したらいい年こいて無職でいつも家にいる、というだけで困った人として悪評をたてられることがあるのです。今ココを読んでいるアナタも自覚がないだけで、そんな近所で噂される困った人なのかもしれません。

僕が子供の頃、近所に途方もない困った人がいました。これと比べると、無職だとかロリコンだとかカワイイものに思えるくらいに驚きのレベルで困った人でした。

その人は熊田さんといい、ウチの近所に庭の広い豪邸を構えている人でした。家の周りを取り囲む塀は鉄壁の要塞の如き高さで中を窺い知ることはできませんでしたが、塀にへばりついたツタが何とも不気味な洋館でした。

近所のオバサマ達の噂によりますと、その豪邸には親の莫大な遺産を相続したオッサンが一人で住んでおり、それだけならいいのですが、その熊田さんがナチュラルな言葉でいうところのキチガイで、通常では考えられない奇行が目立つらしいのです。

家の塀の周りを裸でグルグル周ってるとか、大音量のエロ声が塀の外に漏れ聞こえてくるとか、どっかで聞いたような話ですが、とにかく奇行が目立ったようです。

そんな怪しげな洋館があるのならオバサマ達の間だけでなく、子供の世界でも噂になるのは当然のこと。僕ら子供の間でも、あそこの敷地には死体が埋まってるだとか、あそこの主人は近所のネコを捕まえてきて焼いて食ってるだとか、そんなことして何のメリットがあるのか理解不能な噂が蔓延していました。

まあ、言うなればオバサマ達の間でも子供達の間でも話題沸騰中のキーパーソン、間違いなく熊田さんは我が近所代表の困った人でした。

そんな困った人熊田さんでしたが、僕ら子供やオバサマが噂話に花を咲かせる中、またもや怒涛の奇行に打って出たのでした。

良い言葉でいうと、少しみずぼらしい家々が並ぶ住宅街、悪い言葉でいうとスラム街のような町並み、その中央に熊田さんの邸宅はそびえ立っていたのですが、どうにもこうにもその熊田邸が異常に臭い。

ゴミが溜まってて臭いだとか、変な食物を調理していて臭いだとか、そんなレベルの臭いとは次元が違う種類の悪臭。なんというか、熊田邸の周囲全てが異常な獣臭に包まれていたのです。異常な熱気に包まれているとかならボルテージも上がるのですが、異常な獣臭に包まれているというのが良く分からない。

その時、僕も実際に熊田邸周辺に行ったのですが、確かに獣臭い。一歩足を踏み入れた瞬間に何者かの領域に踏み込んでしまったような、そんな違和感すら感じたのです。マジで獣臭かった。

当然のことながら噂話大好きのオバサマたちはヒートアップし、「中でとんでもない事が起こってるに違いない」「悪魔でも呼び出そうとしてるに違いない、これはきっと生贄の臭いよ」などと、生理のあがった顔しやがって真顔で話してた。

子供達も同様にヒートアップし、「やばい、中に何があるんだ!」「とてつもない冒険がそこに待ってるに違いない!」とか、マンガに影響されすぎて少々弱った頭をフル回転させ、まだ見ぬ熊田邸内部の謎と獣臭の謎について思いを馳せていた。

早速、「熊田邸の内部を探検しよう」という少年団が結成され、近隣で随一の困った人熊田さんの謎を解明し、獣臭の臭いを突き止めようと僕らは熊田邸への侵入を決意したのでした。思えばこれが後に訪れる最強の恐怖の始まりで、言うなれば終わりの始まりだった。

小学生なので夜は出歩けないので夕方頃に熊田邸近くの駄菓子屋に集合。特に山田君は熊田の謎を暴くべく大乗り気で、僕ら少年団のリーダー的位置についてイニシアチブを取り始めた。

「全員揃ったようだな!今から侵入するぞ!」

集まったのは僕と山田君を含めて5人。いずれも熊田の謎を暴く志を持った精鋭だった。

夕焼けの西日が路上に5つの長い影を落とす頃、僕らは作戦を実行した。左右をよく確認し、誰も見ていないことを確認してから順番に塀を登る。子供の力ではどう考えても登れない塀だったけど、勝手口みたいな場所の近くに朽ち果てたステレオコンポが捨ててあったのでそれを足ががかりに塀を登った。

あれだけ謎だった熊田邸の内部に侵入すると、そこは普通の豪勢な日本的庭園が広がっていた。ただ、塀の外よりも何倍も獣臭く、あれだけ張り切っていた山田君が臭いにやられたのか着地した瞬間にゲロ吐いてた。汚い。

庭園の向こうには大きな屋敷が見えて、そこにいくつかの光が灯っていた。傾きかけた太陽の光とその灯りを頼りに、まず獣臭さの謎を解明しようと僕らは歩き始めた。あまり手入れされていないのか、雑草が生えきったゾーンが多々あり、今や侵入者と化した5人のキッズの見を隠すことは簡単だった。

「やばいよ、やばいよ。もう帰ろうよ」

あれだけ張り切っていた山田君は既に戦意喪失、もはやお荷物でしかない状態に成り下がっていた。草を掻き分け、歩みを進めていくと前方に途方も無いオブジェが出現してきた。

何でか知らないけど、自転車が半分地中に埋まってた。何を食って育ったらこんな感性になるのか知らないけど、明らかに人為的に埋められたその自転車は頭から垂直に地面に突き刺さっており、後輪の車輪の部分が夕日に反射してキラキラ輝いていた。キチガイのやることは皆目理解できない。

狂気の沙汰としか思えないオブジェを目にし、僕らキッズどもは怯んでしまうのだけど、明らかに強くなった獣臭に対する好奇心には勝てず、僕らはさらに先へと進んだ。

「もうやばいって、マジで臭いよ、帰ろうよ、オエップ」

今やチンコの皮の中に巻き込んだチンゲよりもうざったい存在に成り下がった山田君が4度目の嘔吐をもよおした時、異変が起こった。

ガサッ!

僕らから見て左前方、屋敷の方角に位置する茂みの方から物音がした。そして、その向こうには今時そらないやろ、と突っ込まずにはいられない毛皮を身にまとった中年の男性が。しかも、勇ましいことに猟銃を携えていらっしゃった。

いやいや、猟銃とかおかしいやん。

このマタギみたいな男はもちろん家主のキチガイ熊田さんなわけだけど、キチガイの名に恥じぬほどに目がイッちゃってる。もう今にもぶっぱなしそう。マジでクレイジーゴナクレイジーな感じ。マジ勘弁してください熊田さん。

怖い怖いと思いながら歩いていたら、目の前に猟銃持ったキチガイが現れたものだから、僕らキッズはその事態を小さい脳みそでは受け止めきれず、5人は蜂の子を散らすように一目散に散り散りに逃げた。なんか知らんけど、「でたー!」とか叫んで逃げてたと思う。

「クソガキどもー!何を入りこんじょるかーーー!」

と、猟銃を構えて僕らを追い掛け回すキチガイ熊田さん。僕も我が身が可愛くて可愛くて仕方なくて、他の仲間とか、4回の嘔吐ですばやさが落ちてる山田君とかほっといて一目散に逃げ出した。猟銃持ったキチガイなんて相手にしてられん。

まさに脱兎のように単独で逃げた僕はとにかく死に物狂いで逃げた。草木を掻き分け、切り株を飛び越え、仲間とか本当に知らないという感じで逃げて逃げた。気がつくと、いつのまにか庭園エリアを抜け、屋敷近くの広場みたいな場所に出ていた。

ここまでくればもう安全、逃げ送れた山田君あたりが猟銃ぶっ放されて死んでるかもしれないけど、自分さえ逃げ切れれば満足。ほっと一安心、とか思ってると、そうは言ってられない事態が巻き起こっていた。

いや、すげえ獣臭い。

猟銃持ったキチガイ熊田さんで忘れていたけど、元々僕らは獣臭さの謎を解明するために屋敷に忍び込んだのだった。そして、その獣臭さが今まさにマックス。スーパーモンキーズ並にマックス。間違いなく匂いの元が近くに存在する。

ガルルルルルルル

薄々思っていた悪い予感が当たっていた。神殿にあるようなゴージャスな柱の物陰から聞こえてくる獣の声、見ちゃいけないと思いつつも僕はそっと物陰から声のする方を覗いてみた。

熊がいた。

いやいや、熊田さんが熊て!と突っ込むなんて考えも起こらないほど驚愕した。マジで震撼した。間違いなく全米が震撼した。全米が泣いた。よく分からんけど全米がなんかした。

物凄く大きくて強固な檻に入れられた熊は、肉だか魚だか知らないけど何か生身っぽい何かを咥えて檻の中を右往左往していた。こんな猛獣がいたらそら獣臭いわ。

正直、初めて見る本物の熊は物凄い迫力で恐怖で、怖くてちょっとオシッコ漏らしちゃったんだけど、とりあえず謎は解けたと安心。これ以上ここにいたらキチガイに猟銃で殺されるか熊に食い殺されるかなので、迅速に塀に向かって走り出し、来た時のように塀をよじ登って外に脱出した。

恐るべし熊田さん。まるで犬猫を飼うようなフィーリングで家で熊を飼うとは。一体どうやって捕まえてきたのか、それは法的に大丈夫なのか気になるところなのだけど、さすが界隈随一の困った人だ。熊を飼って獣臭いわ危ないわ、近隣住民にかける迷惑度が桁違いすぎる。そう思った。

塀の外に出ると、命からがら逃げてきたキッズ四人が泣きそうな顔で命からがら逃げてきたらしく、僕の帰還を今や遅しと待っていた。猟銃を持った熊田さんにかなり執拗に追い掛け回されたらしく、恐怖のあまり山田君なんかはオシッコ漏らしたらしく、半ズボンの大切な部分がシットリと色違いになっていた。こいつも困ったヤツだ。

今でも近所で困った人が噂されることがある。あるいは自分がそんな困った人として噂されることもある。それでもやっぱり、それはゴミの分別とか性犯罪とかみみっちいレベルでのお話で、熊田さんを越える豪快な困った人にはなれないな、そう思うのでした。あれほど周囲との折り合いを捨てて生きる姿は逆にカッコイイ。熊を飼っちゃうんだもん。

界隈随一の困った人だった熊田さん、彼は熊を飼って周囲に迷惑を振りまくクマった人だった。

こんなオチで日記を終える僕が一番困った人かもしれん。とりあえずパンツ姿で買い物行ってきます。

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