グレートムタ

グレートムタ

時に、人は寂しがりながらもプライベートを尊重する生き物で、一人の時は誰か側にいて欲しいと思いつつ、誰かが側にいると一人になりたいと熱望するようになる。結局は無いものねだりのI want youで、日々わがままと戦いながら僕らは生きてると言うことなのだろうか。

僕は新天地に越してきてから友達もほとんどいなくて、職場でも一人寂しく個室。インターネットだけがお友達の寂しい人間で、そろそろNHKあたりが「現代社会の歪」として取材にきてもおかしくないと思ってるのだけど、それでも寂しいと思いつつも、自分のプライベートに他人が介在してくることが苦痛でしょうがない時がある。どうも僕は一人の世界を大切にする傾向があるようで、寂しいと思いつつも一人が好き、というなんとも厄介な状態にあるようだ。

もはや僕の職場は完全なる個室で、ここで寝ようがエロ動画みようがオナニーしようが自由なわけで、仕事場でありながら僕のプライベートスペースと同等なものになっているのだけど、最近、このプライベートスペースを脅かす輩がやってきた。

その輩とは、職場に研修にやってきている新人のフレッシュガイで、ある一定期間指導員について一緒に仕事をし、いろいろなノウハウを学び取ることになっている。つまり、不本意ながら僕はその新人の指導員になってしまい、朝から晩まで僕の聖域にこの研修生がいたりするのだ。

これではもう、職場オナニーなんて夢のまた夢だし、それどころか、彼が勉強机みたいなところで監視するかのように書類整理とかしてるもんだから、オナラもできない。ここでブーとかピーとかオナラをしようものなら、

「俺の指導員さ、すげえオナラするんだよ。マジ最悪。たまに体中がイカ臭いことあるし」

などと新人たちの間で噂されたりするのです。自由にオナラもできないなんて、なんて息苦しい職場。

前述の通り、僕はプライベートスペースを侵略されるのが大変嫌いですから、この彼のことを苦々しく思っていたのですが、それ以上に彼の態度がものすごい。いやいや、態度自体は悪くなく、非常に真面目で勤勉でいい若者、仕事の上ではできるヤツっぽいのですが、いかんせん日常的側面が物凄い。

やはり僕がいくら仕事の鬼と言っても仕事ばかりしているわけではなく、ちょっと一息ついた時に雑談とかするじゃないですか。軽く世間話だとかぶっちゃけトークとか。彼の心をほぐそうと話し掛けるんですよ。そういった雑談の中でですね、彼が繰り出すダジャレがシャレになってないレベルで物凄いんですよ。

「ふとんが吹っ飛んだ!って感じですよー」

とか、何の臆面もなく言いやがりますからね。何食って育ったらこんなハイセンスな事が言えるのか分からないですけど、もう、感性がぶっ飛んでるとしか言いようが無い。

「この間、車だん吉が車に乗ってたんですよー、ぶひゃひゃひゃ」

とか、僕にその力があるのなら、彼の頭上に派手なイカズチを幾度も落としたくなるようなこと言うんです。それはシャレなのか、それともそういった事実なのか、もう皆目理解できない。これが新人類ってやつなのかな、ものすごい隔絶した印象を受けるよ。

自分のプライベート領域を侵す人物というだけでも許し難いのに、なおかつとんでもなくハイパボリックな感性を持つ研修生。僕が気の短い江戸っ子だったら間違いなく部屋から叩き出してるのですが、そこはやはり僕だって大人ですよ。必死に譲歩し、彼と打ち解けようと頑張ることにしたのです。

やはり、打ち解けるには何か面白い話をしなければならないと思いました。それも、彼と同レベルのダジャレをつけて。あまりハイセンスな笑いを提供してはダメ、そう思ったのです。

「まあまあ、聞いてくれよ。俺が中学生の時にな、うちに家政婦さんが来たんだよ」

僕は胸ポケットからタバコを取り出して火をつけると、ふうっと煙を吐き出して話し始めました。

ウチの母は病弱で入退院を繰り返していました。僕が中学生だった時、母が手術で長期入院することになり、家の家事をする人が必要だろうと家政婦さんに来てもらうことになったのです。それまでの短い入院の時は僕が家事とかしていたんですけど、さすがに長期となるときついと思ったのでしょうね、貧乏なりに無理して雇ったみたいです。

この家政婦さんが強烈な人で、外観からしてとにかく異形。年の頃は50は軽く越えたオバチャンで、鳥の巣みたいな頭してて、何をトチ狂ったのか頭を紫に染めていました。遠く離れた人混みの中にいても一目で判別できる、そんな外観でした。

「その家政婦さんがとにかくすごくてな。物凄く口うるさいのよ」

何か強烈な使命感にでも燃えていたのか、家政婦さんの活躍は家事だけには留まらず、我々家族の再教育にまで及んでいた。まあなんというか、完全に躾をし直されてた。

飯を食ってると、「箸の持ち方が悪い!」だとかエプロンつけた紫の頭が言うわけなんですよ。ご飯おかず汁とローテーションで食えとか怒られて、他にも靴紐の結び方とか歯の磨き方とか、事細かく、それこそ何かアクションを起こす度に怒られたんです。

「いったいどういう躾を受けたのかしら」

紫頭の家政婦が僕に向かってこう言った時、なんだかうちの母とか家庭とか、そういうのを全部否定されたみたいで物凄く悲しかった。ちなみに、ウチの親父までも「トイレから出たら手を洗ってください」って怒られてた。

「なんかな、口うるささが大嫌いだったけど、それ以上に自分の家というプライベート領域に赤の他人がいるってのが許せなかったのよ」

こういった話を新人君に話すことで、「お前もこの家政婦みたいに俺のプライベートゾーンを侵してるんだぞ」と暗にアッピールする僕は確かに嫌味なヤツなんですが、新人君は口をぽっかり開けて聞き入りながら、

「たしかに、そういうのって嫌ですよね」

と何も感じない様子。さらに話を続ける。

当時、僕はプロレスに夢中で、勉強なんてそっちのけプロレス雑誌を読み漁って録画したプロレス中継を何度も何度もテープが擦り切れるくらい観ていた。で、その中で特に僕の心を魅了したのが、グレートムタというレスラーだった。

現全日本プロレス社長の武藤が顔を真っ赤にペイントして変身するグレートムタはとにかく悪者で、反則技の雨あられ、とにかく気持ちいいばかりのヒールっぷりで、それはもう凄かった。真っ赤なペイントをして、同じように相手を血だるまにして真っ赤にするムタのヒールファイトは僕を魅了し、心酔するにまで至っていた。熱狂的ファンというヤツだ。

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在りし日のグレートムタ

それでまあ、僕は朝から晩まで頭の中はムタのことばかり、特に馳浩戦で相手をタンカに乗せたままムーンサルトプレスを決めた一戦は衝撃的で、何度も何度もその試合を収めたビデオばかりみていた。ハッキリ言ってムタに狂ってた。

その熱狂ぶりが家政婦の怒りに触れたらしく、彼女は物凄い勢いで怒ったのだった。

「プロレスばっか見てないで勉強しなさい!」

それはそれは凄い剣幕で怒りまくる紫頭の家政婦。けれども、僕も家政婦に対して良い感情は抱いていなかったし、何よりそこまで干渉されるのはおかしいと思ってたので、頑として聞き入れず、猛り狂う家政婦の横でビデオを見続けていた。

すると次の日、僕が学校から帰ると何やら異変が。どうも、あまりの夢中っぷりにブチギレした家政婦が僕のプロレス関連の所有物を片っ端から捨てたらしく、部屋の中がガランとして閑散としていた。もう、雑誌もビデオもジャイアント馬場のサイン色紙も、全てが無慈悲に捨てられていた。

「このクソババアァァァァ!テメーに何の権限があって!」

そりゃあ怒り狂いましたよ。マジで怒り狂いましたよ。僕の青春であるプロレスを捨て去った家政婦が憎い。俺のプライベートを侵しただけでなく、大好きなプロレスを奪ったババアが殺したいくらい憎い。

けれどもね、怒りのあまり殴りかかるわけにもいかないじゃないですか。やっぱババアですから、本気で殴ったらポックリ逝っちゃいそうですし、なにより、親父と母さんか「家政婦さんの言うことを聞くこと」と耳にタコができる勢いで聞かされてましたから、逆らおうものなら怒りのアフガンと化した親父にとっちめられることは必須。

家政婦を攻め立てるわけにもいかず、かといって僕のプロレスを捨てた家政婦を許すわけにもいかず、困り果てた僕はある行動に出ました。

「どうしたと思う?」

「え、どうしたんですか?」

「捨てたんだよ。家政婦の下着を全部捨てたんだよ」

彼女は住み込みで働いており、後に弟の部屋として使われる部屋で生活してたんですけど、そこに忍び込んで彼女の下着を全部捨てたったんですわ。全部が全部、肌色のオバハンっぽい下着で興奮など皆無、一枚だけやけにスケスケなセクシーなヤツがあり、エロでいっぱいの中学生のピンク色の脳髄を刺激しましたが、「まてまて、ババアの下着だぞ」と必死に言い聞かせて捨てました。

「そりゃあ、家政婦さん怒ったでしょうに」

「ああ、今までの比じゃないくらいに怒り狂ってたよ」

とにかくその怒りは相当なもので、家政婦がどんな怒り方をしたかというと、その家政婦さんの部屋にはウチの爺さんが戦争の時に使ったと言われる由緒正しき剣があったのですが、それを振り回して追い掛け回されたからね。

金属製の剣で、もう完全に錆付いてて殺傷能力こそはなかったのですが、それをクレイジーに振り回す紫頭の家政婦に追い掛け回される僕。見ると、彼女は怒り狂ってるのが一目瞭然なほど真っ赤な顔してました。

「真っ赤な顔して怒り狂い、剣を持ち出すラフファイト、その姿はまさに俺が愛したグレートムタだと思ったよ」

「で、どうなったんですか!?」

興味津々で聞いてくる新人に対し、いよいよ彼と打ち解けるべくダジャレを言う瞬間がきた、そう思いました。ここで彼レベルのダジャレで彼を爆笑のるつぼに叩き込み、先輩は凄いってことを教え込む。それでこそ後の研修生活もスムーズにいくってものです。満を持して僕は自信満々に言いました。

「家政婦はムタ。そう思った」

ついに言った!言ってやったぞ!さあ笑え、さあ笑え!

とか思ってると、新人君はさも何も聞かなかったかのように書類整理を再開し、微動だにせずに鎮座しておりました。

なんていうかな、その、なんだ。やっぱり僕のプライベート領域を侵すこの新人、許しがたい。ちょっとは笑えよ。

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