誰かの願いが叶う頃

誰かの願いが叶う頃

母さんに来て欲しい。それが僕の願いだった。

これはどこの学校でもそうだと思うのだが、小学校の頃、授業参観日という一大イベントが年2回のペースで学校行事として組み込まれていた。

本当に生徒にとっても先生にとっても、もちろん父母にとっても一大イベントで、皆がそれぞれの立場でいつもと違った一日を演出する、そんななんとも特別で奇妙な一日だった。

生徒達はいつもと違って緊張の面持ちだし、朝っぱらか落ち着きがないものの妙にしおらしく大人しい。先生は先生で、いつもより綺麗な服装だったりして、女の先生だったりするといつもの5割増で化粧が濃い。おまけに普段より優しい口調で「○○君」とか君付けで呼んだりするのな。

お母さん達はもっと凄くて、普段絶対に着てないだろうっていう、よろしかったらどこで販売しているのか教えていただきたい、っていう派手な色彩の服を身に纏ってな、蛾みたいになって教室内に入ってくるわけだ。

そんな風に、何かのタガが外れてしまったかのように奇妙な一日である参観日であるわけだけど、僕にとってはあまり普段と変わることない、ただ周りが奇妙に張り詰めているだけの変な1日に過ぎなかった。緊張もしなければ、別に普段と何も変わらなかった。

僕の母親は病弱だったので、この当時はいつも家で寝てばかり。病院への入退院を繰り返していて参観日どころじゃなかった。母親が来れないからって父親に来てもらったりした日にゃ、あのキチガイ親父ですよ、それこそ超能力がバレたエスパー小学生みたいに転校を余儀なくされるほどの大惨事になることは明らかだったので、まず考えられなかった。

結局、参観日には僕の親が来るって事は考えられなくて、別に緊張も何もしない、ただ他所のクソババアどもが大挙して教室の後ろに陣取って化粧の匂いやらタンスの匂いがプンプン匂う日でしかなかった。

クラスメイトどもは参観日ってのを心底嫌っていて、母ちゃんが学校に来るのを怖れていたり恥ずかしがったりしていて、僕はそんな心配ないから楽勝だぜとか思っていたのだけど、それでもやっぱり何か寂しかった。

やっぱりこのくらいの年代の子供ってのは、周りの人間と自分が違うってのは恐ろしいもので、とにかく人と一緒になりたがるものだった。だから、僕だって他のクラスメイト同様参観日に母さんに来て欲しかったし、それで「家に帰ったら怒られるよー」って愚痴の一つでもこぼしたかった。

そんなこんなで、少しばかり気の重い参観日を経験していったのだけど、ある年の参観日の前日だったか、母親がこんなことを言い出した。

「お母さん最近調子いいみたいだし、明日の参観日行ってみようかな」

凄く嬉しかったのを今でも覚えている。まあ、恥ずかしくて顔には出さなかったけど、それでもやっぱり飛び跳ねるくらいに嬉しかった。きっと、弟も同じ気持ちだったと思う。

でまあ、ついに参観日当日、その日は音楽の授業を参観してもらうことになっていて、僕は朝からソワソワ、ドキドキ、ワクワク。早く音楽の時間にならないかなーって胸を弾ませて待っていた。

で、いよいよ音楽の時間。授業開始前からいつものように蛾のような色彩のお母様方が入ってきて教室の後ろに陣取り、異臭を放っていたりするのだけど、ウチの母さんはやってこない。凄くワクワクして待っていたのだけど、やってこない。

まあ、一個下の学年の弟の教室に行ってから来るって言ってたから開始と同時に来ないのは分かりきっていたのだけど、それでもやっぱり不安だった。

授業時間が半分を経過し、僕らは合唱だか何だかをしていて、勢い余った誰かの母さんまで歌いだしたりしていたのだけど、ちょどそこにガラガラッと教室の後ろのドアが開き、ウチの母さんが入ってきた。

他のお母さんはよそ行きみたいな上等の服を着ているのに、ウチの母さんだけ普段着以下みたいなボロボロの服装。化粧だってしてないし頭だって被爆したサザエさんみたいになってた。

そういうのは心底恥ずかしかったのだけど、やっぱお母さんが来たってのは嬉しすぎるほどに嬉しかった。よし、頑張ってお母さんに良い所みせるぞ!って俄然張り切っちゃったもの。

「はーい、じゃあ次はリコーダーの練習しますよー」

いつもより優しい声で言い放つ先生。ガサッと持参したリコーダー入れから縦笛を取り出す生徒達。そこで途方もない事実に気がついた。

リコーダー、忘れた。

なんてこった、初めて母親が参戦する授業参観に興奮するあまり、肝心要のリコーダーを忘れるという大失態。取り返しの付かない大失態。

「はい、じゃあいくわよー」

という掛け声と共にピーヒャラと吹き出す生徒達、その中で石膏像のように机に座って固まることしか出来なかった僕。どんな気持ちか分かるか。皆が笛を吹き、父母どもが注目する中1人だけ硬直。あら、あの子、ねえ・・・ヒソヒソ・・・。

どのお母さんが見ても、あの子は忘れたのね、そそっかしい子、ってのがありありと分かる絵図。怖くて母さんの方を見れなかったけど、きっと泣いていたと思う。ホント、今思い出しても死にたくなる思い出だ。

こんな風に、母さんが来た最初の参観日は大失敗だった。でその後も一回だけ母さんが来たことがあったのだけど、いつぞやの日記に書いたように、その時は出っ歯の宮部君を満員の観衆の前で「出っ歯!」と罵る大失態を演じ、「人の容姿をバカにするような子に育てた覚えはない」と、またもや母さんを泣かせた。なんていうか、参観日で母さんが来るたびに僕は失敗し、母を泣かせていた。

この二度の大失態で懲りたのか、母親も僕も参観日の「さ」の字すら言わなくなったのだけど、それでもやっぱり寂しくて来て欲しいななどと思っていた。

そして、またもやある年の参観日。

過去の傷が癒えたのか、それともあまりに参観日に行かないばかりに不憫に思ったのか、はたまたウチの母親は真性で筋金入りのマゾだったのか知らないけど、またもや母親が参観日に来ると言い出した。

今度こそ汚名挽回、母親に素敵でナイスなところを見せてやろうと僕は俄然張り切ったものだった。そして悲劇はとめどない勢いで加速していき、どうしようもない結末が待ち構えているのだった。

確か国語か何かの授業だったように思う。いつものように派手で宝塚みたいな色彩のお母さん方が教室の後ろに陣取り、いつもより幾分丁寧な口調で喋る先生によって授業が開始した。

過去2回の授業参観がそうであったように、授業の序盤戦はウチの母親の姿は見えない。別な教室で行われている弟の授業を参観してから来るのだ。兄弟どちらも平等に、半分ずつ参観するという母親の配慮なのだ。

うう、そろそろ母がやって来る。過去二回、僕は途方もない大失態を演じてきた。それこそ全米が驚愕して震撼し、そして全米が泣くくらいの失態を演じた。今回はもう失敗は許されない。とりあえずかっこいい所を見せ付けて母を喜ばせねばならないのだ。手を挙げて発言をする、それでいて先生に誉められるくらいの事はしなければならないのだ。

なんとかしなければならない。なんとかして功を挙げて母を喜ばせねばならない。そんなプレッシャーに押しつぶされそうになる僕。そして、事態は思いもよらない事態を迎える。

ウンコしたい。

昔っから極度の緊張状態になるとウンコがしたくなる僕。まるで発情期の猿でも腹の中で飼ってるかのようにギュルギュルと何かが蠢き、体温がスーッと失われていく。とにかく尋常ならざる危険レベルの腹痛が。

これくらいの年代のガキにとって学校で、ましてや授業中にウンコに行くってのは国辱物の屈辱で、公に知られた日には人権なぞ無きに等しくなる。さらに付け加えて今は参観日。多数のお母様方が教室の後ろに鎮座している状態で「ウンコしたい」などとは口が裂けてもいえない。そんなことしようものなら、クラスメイトどもの家庭の夕食時の話題は僕で決まりになってしまうだろう。

「康夫ちゃん、今日の参観日の時、途中でウンコに行った子はなんなのかしら」

「ああ、あいつpatoっていうんだよ。貧乏人で意地汚いヤツさ。家でウンコせずに学校でしてるんじゃないの?トイレットペーパーの節約とかで」

「んまっ。嫌だわあ、そんな子と遊んじゃいけませんよ」

「うん、アイツ、ファミコンも自転車も持ってないから遊ばないよ。いっつもウンコしてるし」

「いやねえ、そんな授業中にウンコするような下品な子」

「芳江やめないか!食事中だぞ!」

いかんいかん、これは絶対に授業中にウンコに行くわけにはいかん。それに、今日は母が来るのだ。母が折角授業を見に来てくれたのに、僕はトイレでウンコ座りとか、そういうのはいくらなんでもやりすぎだ。

「腹痛なんて気のせいだ。ウンコなんて嘘っぱちだ。ウンコなんてこの世にない・・・僕のように高貴な人間はウンコなんてしない・・・」

ブツブツと独り言を言いながら苦痛に耐え忍ぶ僕。身悶えるような便意に負けそうになり、途中何度か危ない場面を迎えたけど、なんとか首の皮一枚で生き残ってる、参観日に賭ける僕の情熱がそうさせたのかもしれない。

ガラッ

教室の後ろの扉が開き、誰かが入ってきた。あまりの腹痛に後ろを振り向くことさえできなかったけど、間違いなくウチの母だろう。もう後戻りは出来ない。母が入ってきてしまったのならば、トイレにいける可能性は皆無に近いのだ。耐えねばならない、耐えなければならない。

ああ、どうしてこんあことになってしまったのだろう。どうしていつも僕は母が来る参観日にこんな異常事態を迎えてしまうのだろう。僕はただ、母に来て欲しい、それだけが願いだった。なのに、いつもは母を泣かせることになってしまう・・・。

周囲にバレないように腹をさすりながら、僕は悶々と考えていた。

きっと、それは僕の願いが叶ったからかもしれない。世の中には誰かの願いが叶う横で誰かが泣いている。1位になりたいという願いが叶った横で、1位になれなかった人が泣いている。憧れの恋人を手に入れた横で、恋に敗れた誰かが泣いている。きっと、母に来て欲しいという僕の願いが叶ったから、母は泣くことになるんじゃないだろうか。そして、ここは一発ウンコでも豪快に漏らしてまた母を泣かせるのだろうか。

まてよ、これはもしかしたら逆なんじゃないだろうか。誰かが泣くからこそ、誰かの願いが叶う。そう、言うなれば僕がココで腹痛の苦しみに泣くからこそ、母の願いが叶うのだ。そうここは泣いてでも我慢だ。そして、当初の予定通り挙手をして発現。それしかないのだ。

でまあ、様々な葛藤があったり、オナラで散らして腹痛を和らげようと試みて、なんとか音のない忍びのようなオナラをしようとしたけど、それこそ挙手をして発言する瞬間に一緒に出してカモフラージュしようとしたのだけど、

「はい!」ブーー!

とまるで返事代わりにオナラしたような状態になっちまってな、おまけに発言しようと席を立った瞬間だぜ。僕の断末魔の叫びともいえるオナラが教室中に響き渡り、ドッと笑いが起こったものな。保護者も生徒も先生も巻き込んで。恐ろしくて後ろを振り向けなかったけど、きっと母は泣いていたと思う。いや、恐ろしくて振り向けなかったのじゃなくて、オナラと共にちょっと出ちゃってな、微動だにできなかった。

また、母を泣かしてしまった。「母に来て欲しい」、そんな僕の願いが叶うから、母はきっと泣くんだ。

そう思いながらトボトボト家に帰ると、母はあっけらかんとしていて

「ごめんごめん、お前の授業見に行こうと思ったらお母さんウンコしたくなってさ、ずっと女子トイレでしてたわ。学校のトイレって水洗だから最高だわー。行ったら授業終ってた、ゲハハハハハ」

とか言ってました。なんだ、母は来てなかったのか。という事はあの惨事を知らなければ泣いてもいない。それにしても親子でウンコとはな!なんにせよ、母が泣いていなくて本当に良かった。

そう思ったのも束の間、母は僕のウンコ付きパンツをゴシゴシと風呂場で洗いながら、やっぱり泣いていました。

誰かの願いが叶う時、誰かがきっと泣いている。その言葉を身に染みて感じたのでした。

「なんだ、俺も参観日とか行ってみたいぜ!やっぱ先生は女の先生なのか?保健体育なら得意なんだがな!ゲハハハハ!まあ、次はワシが行くかな!」

そう下品に言い放つ親父。参観日に行きたいという親父の願いが叶う時、今度は僕が泣く番だ。

関連タグ:

2004年 TOP inserted by FC2 system