自由への大脱走-前編-

自由への大脱走
-前編-

「僕はこんな場所で一体なにしてるんだろう・・・」

そう思うことってのは結構あるものです。自分では正しいとか真っ当だとか考えているのに、ふと思い返してみると何かがおかしい。何でこんなことになってしまったんだろう。どんなに自分を納得させようと思い返してみても納得できない。そんな状況がきっとあるはず。

僕が21歳くらいの時だったろうか、思い出すのは一つの風景だった。漆黒の闇に包まれた山村の畑。山間に3つほどの集落があり、その明かりだけが乏しく夜の闇を照らしていた。そして、静か過ぎるほどに静か過ぎる静寂。聞こえる音と言えば時折漏れてくる家畜用の牛の鳴き声だけだった。

零れ落ちそうな満天の星空を眺め、綺麗な満月の光を浴びてふと思った。

「なんで僕はこんな場所にいるんだろう」

皆目検討もつかなかった。家から数十キロ離れているであろう隣県の農村。ここから国道までだって相当な距離があるのは容易に分かる。俗世間とは隔離された別世界、緑の匂いは心地よいが、こんな文明と無縁の場所になんで立っているのだろうか。それもこんな真夜中にだ。

思い返してみると、どうにもこうにも納得できない箇所が多々ある。一体全体なんでこんな事態に陥ってしまったのか。少しずつ自分の記憶の糸を辿ってみた。

そう、あれはひょんな一言から始まったのだ。最初は気さくでボロいアルバイトのはずだった。全ては美味しい話に釣られた僕が悪かったのだ。

「楽なアルバイトあるんだけどやらない?」

大学の講義が終わり、売店でカレーパンを食べながら牛乳を飲んでいる時、そう話しかけられた。そこには友人として仲良くしていた同級生の加奈子さんが満面の笑みで立っていた。

加奈子さんは救いようがないくらいブスだったんだけど、講義ノートを貸してくれたり講義中にシャーペンを貸してくれたりするもんだから僕もまあ友人として懇意に付き合っていた。そんな加奈子さんからアルバイトのお誘いだった。

「ウチの弟の家庭教師なんだけどさ、やってほしいんだあ」

加奈子さんはブサイクな顔をさらに歪めて言い放った。なんでも、加奈子さんの弟の勉強を見て欲しい、そんな依頼らしいのだ。中学三年となり高校受験を控えた加奈子さんの弟、そんな多感でナイーブな時期のご子息を教えろという注文だった。

「いや、そんなの加奈子さんが教えればいいじゃん。曲がりなりにも国立大学入ってるんだしさあ、高校受験くらい教えられるでしょ」

僕も至極真っ当な反論をするのだけど、加奈子さんはこう反論する。

「ダメなのよー。あれくらいの子って身内が何言ってもダメなのよね。だからさ、他所の人が、それも男の人が言ってくれないと言うこと聞かないのよ」

なるほど。それも一理ある。

「でもさーウチってすごい山の中にあるでしょ、だから普通の家庭教師って来てくれないの。だから知り合いに頼めないかなって探してたの」

加奈子さんの実家は相当な田舎だと言うことは噂に聞いていた。もう、過疎まっしぐらと言わんばかりの容赦なしの山村で、猪とか出てきても誰も驚かないらしい。そりゃあ、そんな山村行くだけで大変だ、普通の家庭教師なんか来てくれないだろうなあ。

「行きと帰りの送迎するし、1日に1万円出すって言ってるしさ、お願い」

そう懇願する加奈子さんの顔はやっぱりブサイクで、これで断ったら自殺しちゃうんじゃないかという悲壮さを漂わせていた。

この当時、清貧学生で本当にお金がなくて、米も買えなくてフリカケだけを食べるという劣悪なる食生活を営んでいた僕にとって、1日1万円という報酬は本当に魅力的だった。

「いいよ。暇だし。そのかわりちゃんと送り迎えしてよね」

こうして、僕は加奈子さんの実家に行くことになり、そこで彼女の弟の勉強を見ることになるのでした。まさかあんな地獄が待っているとは露も知らず・・・。

「恥ずかしいなあ、すごい田舎なんだよ。ビックリしないでね」

ご自慢の軽自動車のハンドルを握りながらそう言う彼女の横顔はやっぱりブスで、どうしようもなかった。車はどんどんと容赦ない大自然の中へと走っていく。マジでビックリするほどのレベルの田舎。

眩しい緑とその木々が作る木漏れ日の中、ワインディングロードを加奈子さんの軽自動車が爆走していくのだけど、僕はその間ずっと「もしこいつと無人島で2人っきりになったら・・・あかんあかん、無理だ」などと考えていた。

そうこうしていると、車は国道から大きくはなれ、明らかに誰も通らないだろうというショボイローカルな道に出た。で、そこをさらにしばらく走ると物凄く水の流れが綺麗な川があって、そこに架かった今にも崩れそうな石の橋を渡った。

「おつかれさま。ここが私の家」

見ると、山の合間に綺麗に畑が形成され、そこに3軒ばかりの民家が点在している集落が広がっていた。四方を山に囲まれた閉鎖的な集落、なんというか閉鎖的過ぎて変な因習だとか夜這いの習慣、悪魔崇拝とかがはびこっていてもおかしくない雰囲気だった。

加奈子さんの実家は、その三軒の民家の中でも一番立派な屋敷だった。もちろん所有している畑も一番広そうで、集落のリーダー的雰囲気がムンムンとしていた。

「ちょっと待っててね、弟呼んでくるから。あ、お母さんただいまー!」

まさに実家、自分のくつろぎスタイルといった雰囲気を漂わせた加奈子さんはやけに立派な玄関をドヤドヤと上がると奥の方へと消えていった。

ポツンと玄関に取り残された僕。まさか僕も勝手にドヤドヤ上がっていって台所行って冷蔵庫開けたりしてアットホームにくつろぐわけにもいかないし・・・とかどうしていいか分からずにボーっと立っていると

「こんにちは」

と、見るからに「こんにちは」って嫌々言わされてますよ!ってな雰囲気のクソガキが立っておりまして、手にはゲーム機のコントローラー持ってるんですよ、これが。

それを見た瞬間思いましたね、ああ、コイツは強敵だな、と。だって、ゲームのコントローラーを持ってるって尋常じゃないですよ。どんだけゲーム大好きやねんって話ですよ。

しかもな、この弟の顔がすごくて、もうまんま加奈子さんのコピー。クローン人間みたいなんですよ。まあ、姉弟だから当たり前なんでしょうけど、それにしてもコピー過ぎる。違うのは髪形だけ。

でまあ、彼の部屋ってのが農耕用の牛を飼ってる牛舎の二階で、そこで勉強するんですけど、一階では興奮した牛がンモーとか柱に体当たりして牛舎全体がズモモンと揺れたりするんですよね。

で、いちおー彼も高校受験を控えた中三ってことでそれなりのレベルの勉強を始めるんですけど、これがとにかく凄い。一番得意だって言う数学からやったんですけど、分数の割り算ができない。分数の掛け算ができるのに割り算ができない。どういうこっちゃ。

「いやな、割り算は上下を逆にするんよ、で、あとは掛け算と一緒」

とか、加奈子さんと同じ顔した弟に教えるのですけど、全然出来ない。1/6を上下逆さにして1/9とかにしてましたからね。上下逆さの意味が違う。数字が逆さになってるだけじゃねえか。

で、おまけに勉強しながらゲームしたくてしたくて仕方ないみたいで、部屋の隅にあったスーファミだかプレステだかのゲーム機をチロッチロと15秒に一回くらい見てるんですよ。捨てられた子犬みたいになりながら悲しげな目でゲーム機見てるの。全然集中してない。

一番得意な数学でこれですから、一番苦手な英語はもっと酷くて、単語練習とかしながら呼吸が荒れてくるんですよ。「ぜぇぜぇ」とか走ってもないのに苦しそうで、余程英語が嫌いなんだなってのが如実に分かる。

終始そんな調子で酷い有様の家庭教師をし、隙さえあればゲームに身を投じようとする彼と「先生ゲームしようよ、俺強いよ」「ダメ」というやり取りをし、ゼェゼェと荒い息遣いで勉強する彼。ンモーという鳴き声と共に揺れる部屋。そんな調子でした。

そんなこんなで、こりゃダメかもわからんね、と思いつつも数時間の勉強タイムが終了。すっかり夕方になり、牛舎の二階から見る一面の畑が夕日に照らされ綺麗でした。

さあて、そろそろ帰ろうかな、いい加減帰らないと真夜中になっちゃうし、しっかしこれで1万円とはボロい商売だぜ、とか思っていたのですけど、なにやら様子がおかしい。

「せっかくですから、夕食も食べていってくださいよ」

そう言う加奈子さんのお母さんは加奈子さんと同じ顔でした。で、夕飯を食べて帰れ、もう用意しちゃったからというお告げ。正直早く帰りたかったのですが、さすがにそこまで言われては帰るわけにはいかない。それに、加奈子さんが運転してくれないと帰れないしね。

それにしても、加奈子さん、弟、お母さんと皆同じ顔でブサイクなんだなーと己のブサイクさも省みず夕飯の席についたのですが、そこでさらに衝撃の事実が明らかになりました。

うん、お父さんも同じ顔。

いやいや、お母さん−加奈子さんラインとかお父さん−弟ラインが同じ顔とかなら分かるじゃないですか。血の繋がった肉親ですし。でも所詮は他人の夫婦であるお父さん−お母さんラインが同じ顔をしている意味が分からない。

なんだなんだ、こりゃ。こりゃ一体どんなパラレルワールドですかな、とか思っていると料理が運ばれてきたんですけど、これがまた「うっかり作っちゃった」とは言えないレベルの豪勢さ。明らかに僕という客人に向けて照準を合わせたとしか思えないレベル。この辺からですね、何かがおかしいと思ったのは。

で、祭りの時でもこんな豪華な食事は出ないぜって言う食事を食べつつ皆同じ顔した加奈子さんファミリーと談笑してたんですけど、やはり会話の内容が何かおかしい。

さっきまで「先生」って呼んでたクサレ弟は「お兄さん」って僕のこと呼び出すし、お父さんに至っては「君は農作業に向いてる体つきだ」とかトチ狂ったこと言い出す始末。お母さんに至っては「加奈子もいい人見つけて」とか魔の呪文みたいなこと言い出して、で、当の加奈子さんは「やだもー!」とか顔を紅潮させて勝手に盛り上がってる始末。なんだこれ。

おまけに棺桶に片足突っ込んでるような爺さんが出てきて、「ええ跡取りができた」とか、それこそミステリー小説なんかで殺人が起こった後に出てきて「山神様の祟りじゃ!」とか言いそうな雰囲気で言うんですよ。

どうにもこうにも、なんか農業に興味はあるか?とか執拗に聞かれたりして、農家を継ぐとか、加奈子さんと結婚とか。ええーーーーっ!

とまあ、用意周到張り巡らされた罠に気がついたときは時既に遅し、何故かビールとかまで飲まされて、「加奈子も飲んでみろ」「えー、お父さんたら」とか同じ顔した同士が言い合って加奈子さんまで酒を飲む始末。もう車を運転して帰れない。

「もう遅いですし泊まっていってください」

という言葉に甘え、クサレ弟と野球の対戦ゲームして、風呂はいって、お父さんのパジャマ借りて、さあ寝るかーって思って客間に用意された布団に入ろうとして、その前に折角だから夜の畑でも見てみよう!って思って外に出た瞬間に思ったのですよ。

「僕はこんな場所で一体なにしてるんだろう・・・」

本当、あまりにナチュラルな流れに忘れかけてたんだけど、明らかにおかしい。僕がこんな場所でパジャマ着て、なんか知らないけど団欒の時を過ごしてるのはおかしい。なんだ、何でこんな場所にいるんだ。

もしや、このままこの場所にいたら本当に農家の跡取りにされるのでは。いつのまにか加奈子さんと既成事実を作ることになり、彼女と同じ顔した子供を作る。で、農作業に勤しむ僕。ひえーーーー!

そう思った瞬間、ふいに思い出したのです。そういえばココに来る時、加奈子さんはやけに大きなバックに荷物を大量に詰め込んでいた。今考えると日帰りで実家に帰るにしては多すぎる荷物・・・。間違いない、ヤツは何日も実家に居るつもりだ。そして、僕を帰さないつもりだ。で、いつの間にか既成事実とか同じ顔をした子供とか作る気だ。

そう思った瞬間、僕は決意しました。「逃げよう」と。

このままココにいたのでは間違いなく何日かは帰れない。その間に変な事実が出来てしまう前に帰ろう。チャンスは全員が寝静まってる今しかない。これは自由を賭けた戦いだ!

こうして、閉鎖された山村からの僕の大脱走作戦が始まるのでした。

つづく

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