肉色片想い

肉色片想い

みんな、素敵な恋してるかい。

おっけーおっけー、初っ端から恥ずかしすぎるセリフをのたまい、とてもじゃないがシラフとは思えないんだけど、まあ、なんていうか、素敵な恋をする経験って大切だなって思うわけなんですよ。

恋ってヤツは色んなことを勉強させてくれる。やっぱ他者あってのことだし、色々なことが自分の思い通りにはならない。他人に恋することで初めて自分に向き合えるというか、見つめ直せるというか。それよりなにより、恋をしてる時って恐ろしいほど浮かれてるじゃん。それって素敵なことだと思うよ。

そりゃね、嬉しいことばかりじゃないよ、恋ってやつは。苦しくて死にそうになることだってあるし、胸を掻き毟りたくなる事だってある。バルコニーから夜空を見上げてそっと涙する事だってある。でもな、そういうのを経て成長していく、そういうことなんじゃないかな。決して不毛な恋なんてない。成就しなかった恋だってきっと何かのプラスになるんだから。

書いてて自分で恥ずかしくなってきたのだけど、やっぱ素敵な恋ってするべきだと思うし、恋ってのはすべからず素敵でなきやダメって思う。そういうのを経て人間って成長していくんじゃん。うん、それが言いたかっただけ。

ウチの弟は、今でこそチャラチャラしたモテ男子なんだけど、幼少時代は、それこそ超几帳面で真面目、勉強と貯金しか趣味がないような冷徹な子供だった。それこそロボトミー手術受けた人みたいに心を閉ざしていたかのように見えた。

そんな氷の心を持つ我が弟も恋をした。僕も弟も小学生くらいの頃だったかな、ウチの弟は甘くて切ない、それでいて苦しい身も心も焦がすような恋に落ちてた。

弟が恋をした!ってのは当時としてはセンセーショナルな大スクープで、家族の誰もが震撼し、心の底から喜んだものだった。

うん、本当にウチの弟は幼少期は他人に対して心を開くってことがなかったから、友達が家に遊びに来ただけでも大騒ぎだったのに、それがイキナリ恋だからな。親父なんて目玉がこぼれ落ちるんじゃないかってくらいカッと瞳を見開いて驚いてた。

いやね、普通だったらさ、あまり好きな子のこととかバレないようにするじゃない。小学生の頃って自分の恋心とか好きな子のこととか隠したがるし、バレようものなら国辱物の想いをするじゃない、だから、その年代の子って必死で隠したがるんだけど、ウチの弟は恋に慣れてなかったんだろうね、見てたら一発で分かった。

なんか、クラスの集合写真とか見ながらポーッとしてたり、溜息ついてたり、みるからに様子がおかしい時間が増えていって、魂の抜けて人形みたいになってた。かと思ったら一心不乱にノートに何か書き殴ってたりして、明らかに挙動不審。

そんな弟の様子を見て、何かおかしいなーって僕かて兄貴ですから心配になるじゃないですか。それでまあ、弟がいない時部屋に忍び込んで彼の机とか漁ったんですよ。

そしたらさ、引き出しの中に何やら意味深なノートが置いてあって、思い返してみると「ああ、これ、いつもアイツが何か書き殴ってるノートか」と、パラパラとめくってみたんですよ。

そしたらアンタ、ノートにはビッシリと「大野光子大好き、大野光子大好き、大野光子大好き、大野光子大好き、大野光子大好き」とかさ、ビシーッとfont size=2くらいの大きさで、分かりにくいから実際にそのサイズにしてみると「大野光子大好き」って15ページくらいに渡ってビッシリ書いてあった。

震撼したね。間違いなく全米が震撼した。ウチの弟はサイコだったのかって震撼した。いやいや、そうじゃなくて、「おお、我が弟は大野光子に恋をしてるのか」って驚いた。

とにかくこの快挙を家族に伝えねば!漠然とした使命感に駆られた僕は、さらに彼の机を漁り、クラスの集合写真と名簿を入手しました。この集合写真は名簿順に並んでますので、名簿を見て問題の大野光子を探します。

で、その写真と問題のサイコノートを抱えて階下へ。急いで親父と母さんに報告、ついでに半分ボケてる爺さんにも報告しときました。

「あらまあ、最近様子がおかしいと思ったら、好きな子ができたのね」

母は満面の笑みで言いました。

「おうおう、なかなかカワイイじゃねえか。もうチューとかしたんかいな」

親父はエロいオッサン全開で言いました。

「ほえ」

爺さんはボケてて分かってませんでした。

そんなこんなで、家族一同、弟に訪れた春に大喜びしてたわけなんですが、母親のひょんな一言から事態は急転直下、怒涛の展開を見せたのです。

「あら、この子、大野さんとこの娘さんじゃない」

やはり田舎町なんて狭いものです。クラスメートなんて大概が親同士が知り合い。なんか、母親は弟の愛しき人である大野光子さんの親を知ってるみたいなんです。

母曰く、大野光子さんは商店街で肉屋を営む大野精肉店の娘さんだそうでした。で、母がよくこの肉屋に買いに行ってると。

「あの子はね、よく家のお手伝いしていい子なのよ。ウチの嫁にふさわしいわ」

まだ弟は好きなだけで、怨霊の如くノートにその名を書き綴っているだけ、ストーカーになる素質抜群だと言うだけなのに、嫁とかナントカと大暴走が止まらない母。まさにブレーキの壊れたダンプカー。

「そういえば、ほらステーキハウスを開店したじゃない、大野さんのところ」

そして母から提供される衝撃の新情報。なんでも、大野精肉店は持ち前の肉屋スキルを駆使してステーキハウスを開店したそうなのです。もともと大野精肉店のほうは祖父がやってる店なわけで、大野光子さんの両親は晴れて独立、それもステーキハウス経営を始めたわけです。

考えてみるとこれってば中々理に叶ってて、祖父が肉屋だから肉なんていくらでも安く仕入れることができるのです。おまけに「ステーキハウス」なんて単語なんて聞いたこともないような田舎者ばかりが住まわす街。こりゃあヒットしないわけがありません。

「そうかあ、アイツは切ない片想いをしてるわけだな・・・」

親父が神妙な面持ちで言います。この人がこういう表情をしてる時はロクなことがありません。きっと、とんでもないことを言い出すに違いありません。

「こりゃあ、そのステーキハウスに家族で行くしかないな」

やはり言い出しやがりました。なんか、弟が片想いする大野光子さん、その家族が経営するステーキハウスに家族で行こうとか言い出しやがるんですよ。

「したらな、ま、素敵なお父さん!とか言われてアイツの片想いも成就すると思うんだよ」

何食って育ったらこんな都合のいい思考回路になるか知りませんが、とにかく親父は決めた様子。こうして、弟が帰宅してくるまでにノートや集合写真を元の位置に返却し、彼の帰りを待って夕食へと出かけたのでした。いざ、ステーキハウスへ。

ハッキリ言って嬉しかったですね。とにかく嬉しかった。動機こそは「弟が恋する子の両親がやってるステーキハウスに行こう」なんですけど、とにかく貧乏一家だった我が家、外で食事するなんて考えられないことだったのです。

「なあ、どこに食いに行くんだよ」

何も知らない弟がぶっきらぼうに言います。

「ええもん食わしちゃる」

親父が不適に笑います。

こうして貧乏一家は場違いにもできたてのステーキハウスへと赴いたのでした。

店に入ると、いきなりレジのところに大野光子さんのお母さんでしょうか、妙齢の品の良い婦人が立っておりました。ウチの母と仲の良い夫人ですから、母と適当に軽口を交わしています。

で、その横に問題の大野光子さんは立っておりました。家族経営のステーキハウス。店舗は自宅も兼ねているようでしたから、きっとお手伝いか何かしてたんでしょうね。偉い子です。

お互いに家族という考えうる限り最高に気まずいシチュエーションで弟とその片想い相手が対峙する、見ると弟のヤツ、トマトみたいに真っ赤な顔して俯いてやがった。うんうん、その気持ち分かるぞ、死ぬほど嫌だよな。

「おい!コッチの席空いてるぞ!早く座れや!」

高級感抜群のステーキハウスで大声を張り上げる親父。もうなんというか、この人は場所をわきまえるとかないんだろうか。他の客は優雅にナイフとフォークを操りクラシックの世界で談笑して食事しているというのに、ウチの親父だけ魚市場の気配。もう目立って目立って、弟もさぞかし死にたかったことと思う。

家族で席に着くと、コックの姿をした大野さんのところのお父さんが挨拶に来ました。

「いつも娘がお世話になっています。今日はゆっくりとおくつろぎください」

親父に挨拶をする大野さんのお父さんもまた品が良さげで貫禄がある。さぞかし立派なお父さんなんだと思う。

「よっしゃ!肉モリモリ食ったろ」

そう返答するウチの親父は間違いなく下品だった。

で、そう言った親父が、そっと僕に耳打ちしてきた。「あの子だろ、恋の相手は。ココは一発景気がいいところ見せないとな」とまるで悪だくみするかのように言った。で、家族全員に向かって

「よっしゃ、お前ら今日は何でも好きなもの食えや!」

とまあ、貧乏なくせに大盤振る舞い。ホントに良いのかよー、一番高いの食っちゃうぜー!肉だ肉だー!と思ったりもしたのだが、それも見る見る事態が悪い方へと流れていった。

一人で百人分ぐらいうるさい親父。弟の恋相手大野光子さんに素敵でダンディズム溢れる親父とか、太っ腹の親父とか思わせようとしてるのか、とにかく喋る喋る。しかしながら、その饒舌トークもすぐに止まるのだった。

「おい、高すぎるぞ・・・」

メニューを開いた親父は絶句した。そして、大蔵省である母親もまた絶句した。弟は弟でもう恥ずかしくて死にそうになっているため、最初から絶句していた。そう、元気なのは久々に肉が食えると大騒ぎの僕だけだった。

「じゃあ、僕はこのサーロインディナーセットにしようかな!」

そう言った瞬間だった。

「黙れ!」

僕のオーダーを一蹴する親父。そして何やらヒソヒソと母親と相談し始める。その内容はあまり聞こえなかったし子供の僕には分からなかったけど、「お金が足りない」だとか「値段が四桁のものしかないなんて」「かといって何も食わずに帰るのは・・・」とか、そんなネガティブでシリアスなワードが踊っていたような気がする。

「ねえ、僕、サーロインステーキのディナーセットを・・・」

とすがる僕に対し、親父は

「すっこんでろ!」

と千尋の谷に突き落とすがの如く一喝。で、意を決して店員を呼び寄せると、

「カレーライスを4つください」

と、最初の威勢の良さなどどこ吹く風、もう借りてきた猫みたいになりながら一番安いカレーを4つオーダーしていた。もうスゴスゴと逃げるって表現が適切なくらいに。

ステーキハウスに威風堂々とやってきてカレーをすする貧乏ファミリー。太っ腹なアピールとか素敵なお父様とか、素敵な家族とか、そういうのを弟が恋するあの子に見せ付けるなんて別次元。なんていうか、早く食って帰りたかった。

それはもう、僕でさえ死ぬほど恥ずかしかったんだから、弟なんて自殺物の恥ずかしさだったに違いない。片想いしている好きな子の目の前で衝撃の現場が展開しているのだから。

結局、レジにて4人分のカレー代金を母親が払ってる時、ふと弟の顔を見てみると「この恋終わったな」って言いたげな顔してた。

カレーを食って華麗に散った弟の恋。家に帰ると加齢で半分ボケた爺さんがボンカレーを食っていたのはご愛嬌。とにかく、弟の恋は無残にも消え去った。結果的には僕と親父がよってたかってムチャクチャにしたような形になったけど、それで良かったんじゃないかな。

彼にとっていい経験になったのだろうし、この悲しき恋を経験して彼は間違いなく成長していた。で、今は恋愛経験豊富なヤリチンなんだからたまらない。弟がモテだと兄の立場がないよ、ホントに。

そんなこんなで、偶然にも季節は恋の季節、夏。みんな素敵な恋を経験してどんどん成長しよう。それこそ、ステーキハウスで華散るようなステーキな恋を。(またやっちまった)

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