最狂親父列伝
〜絆編〜
成長した息子とキャッチボールがしたい。
成長した息子と酒を酌み交わしたい。
世の普通のお父さんの殆どが、幼き息子に対して抱く希望はこうであると思います。いつか大人になったコイツと・・・。息子の成長を実感し、自分が子育てを終えたことを感じる。感無量な瞬間なのかもしれません。きっとお父さんってそういうものなんですよね。想像するだけでなんとも幸せな光景ではないですか。
でまあ、ウチのクソ親父なんですけど、彼もやはり人の子というか人の親というか人並みにそういった思想を持ち合わせていたらしく、「息子が成長したら飲み屋に迎えに来させたい」とか訳の分からん希望を持っていたみたいなんです。息子が成長し、車の免許を取ったら迎えに来させたい。そこで一緒に飲みたいとかそういうのではなく下僕的扱いなのが彼らしいと言えば彼らしいのですけど、とにかくそんな期待を抱いていたようです。
僕が18歳になった時のことでした。
自動車免許を取得した僕は、何度か車を運転し、やっとこさその面白さが分かってきたところでした。実家に住んでいた僕は、いつものように自分の部屋でオナニーし、放出後の疲れからうつらうつらと眠りに入ろうとしていた時のことでした。
「ちょっと、お父さんが用事があるって!」
下の階から母親が呼ぶ声がしました。母親はコードレスになったばかりの電話を手に取り、降りてきなさいと大声を出します。そりゃあコードレスの意味がないんじゃ、なんだったら電話ごと持ってくればいいのに・・・と半分寝ぼけた頭で思いながらも階下へと降りました。
「お父さんから電話よ」
母はイタズラした後の子供のように笑みを浮かべながら電話機を差し出してきました。なんだよー親父からわざわざ電話かよー、なんだってんだ全く、と少々不機嫌に電話に出ると
「おおおおうううう、ふりょうあじゅあかあ。いまなああああ、駅前のせっちゃんでのんでるけんなああ、むかえにきてくれいやああ」
と、どこの部族の言語なのかさっぱり分からないことを口走ってました。言葉は分からないものの、とりあえずしこたま酒を飲んでいて出来上がっちゃっていることと迎えに来いと要求していること、それと彼は狂っているということだけは分かりました。
しかしながら、当時プチ反抗期だった僕は親の命令に従うことなど腹立たしく、かといって恐ろしくて親父に反抗することなど考えられなかったので「なんで俺が迎えに行くんだよ!テメエがいけやっ」と母親にあたる事くらいしかできませんでした。ホント、最低ですね。
親父の希望というか夢の事を知っていた母親は、「まあまあ、アンタに迎えに来て欲しいのよ。行ってあげなさい」と優しく言うのでした。まあ、そこまで言われたら鬼武者の如く怒り狂って拒絶してもしょうがないので、仕方なく行くことに。車のキーを手にし、駐車場へと向かいました。
「あのクサレ親父が!人が寝てるっていうのによー!眠たくってしょうがねえじゃないか!」
怒りつつ、ブツブツと文句を言いつつ車を走らせる僕。ウチの近所はスラム街もビックリなほどのゴチャゴチャした路地になっていたのですが、その路地を慎重に走ります。車の車幅と路地の広さがほとんど同じくらいという熾烈な条件でのドライビングは初心者の僕には厳しく、何度か肝を冷やしながらジリジリと進んだものでした。
「ったく、あの酔っ払いは、なんでいちいち迎えに行かなきゃいけねえんだよ。タクシー呼べ、タクシーを」
などと、怒りを再燃させたその時でした。
ガリガリガリガリ
機械的なサウンドが車の左側から聞こえてくるんです。なんか何かを抉り取るような、むしろ僕の心を抉り取るような不愉快極まりないサウンドが凄い勢いで聞こえてくるのです。
即座に車を停車し、降りて様子を見ると、そこには我が目を疑う光景が広がっていました。うん、思いっきり車のボデーが電柱にめり込んでた。こすちゃった!ちょっとぶつけちゃった!といったレベルのお茶目なものではなく、完全に電柱が車体にめり込んでた。挿入くらいのレベルやった。
あわわわわわわ、やばい、やばすぎる。寝ぼけていた頭が覚醒し、それと同時に血の気が引くのが分かりましたね。ヤバい、下手したら殺されると。
ウチは軽自動車しか持ってなかったんですけど、何をトチ狂ったのか親父が急に普通車を買ったんですよ。まあ、どうしようもない安いファミリーカーで、晩年は、バリバリのファミリーカーのクセに峠の走り屋と化した僕の手によって天に召されたのですが、当時は買いたてホヤホヤのバリッバリの新車だったんです。
殺される、殺される。この車が届いた日、親父と母さんは心底笑顔だった。ずっとずっと軽自動車や軽トラばかり乗っていた我が家。普通車を買うのは念願だった。普通車特有の白いナンバープレートは間違いなく富める者の象徴だったし、目標だった。そして、ついに我が家はソレを手に入れた。両の手でそれを鷲掴みにした。さぞかし幸せだったに違いない。
そんな我が家の幸福の象徴とも言える車を、瞬殺といっても過言でない勢いでベコベコにした僕。あーあ、ドアがベコベコ、塗装が剥げて地肌みたいなのが見えてるよ。こりゃ、ダメかもわからんね。
とりあえず、後のことを考えると恐怖のあまり失禁とか脱糞とかしそうになるので考えないことにして、親父の待つ飲み屋へと車を走らせます。
でまあ、かろうじて電話では「駅前のせっちゃんでのんでる」という部分が聞き取れたので、駅前にある「せっちゃん」という名前のスナックか何か飲んでるんだろうと推測。駅に向かって車を走らせました。
しかしここで大問題発生。駅に到着し、それっぽい場所や周辺をくまなく探したのですが、「せっちゃん」という名前のスナックがカケラも存在しない。そのものズバリの店名どころか、それに似たような店なんかもあ皆無。全く持って見つからない。
当時は携帯電話なんて普及していない時代でした。ですから、親父と連絡とりようがありませんので、何処の店にいるかなんて皆目わからない。
「くそっ!あのクサレ親父め!どこにいるかわからねえじゃねえか!オマケに車ぶつけるしよー」
とまあ、ハンドルを握りながらご立腹。なんとか冷静さを取り戻して交番に駆け込み、スナックせっちゃんを探してもらいました。
でまあ、全然駅前じゃなく、むしろ駅から数キロ離れた場所にスナックせっちゃんがあったので、とりあえずそこに向かうことに。またもやブツブツ言いながら車を走らせました。
スナックせっちゃんは、港の近くの寂れた裏路地にありました。怪しい紫色の看板が並び、明らかに入りにくい雰囲気を醸しだしたスナックが軒を連ねる場所に佇んでいました。
「スナック せっちゃん」
何を食って育ったらこんなセンスになるのか知りませんけど、オドロオドロしいフォントで書かれた看板は電球が切れ掛かっていて怪しさを一層のこと醸し出していました。
チョコレートみたいな重厚なドアを開け、ゆっくりと中に入ります。
そこにはまあ、酔いつぶれたウチのクサレ親父が寝ていたのですけど、皆さんは酔いつぶれるってどういうのを想像しますか。それは、カウンターみたいな所で突っ伏して寝てたりとか、座敷やソファーでグロンと横になってるとか、ゲロ吐きに行ったままトイレから帰ってこないとか、そういうのを想像するかと思います。けれどもな、ウチの親父はそれらを軽く超越してた。
うん、寝てるには寝てたんだけど、床って言うの通路って言うの?タイルの貼られた冷たい場所に寝てた。それもグデーンという感じじゃなくて、死んでる人みたいに健やかに、まるで買って来たばかりのダッチワイフみたいに天を仰いで寝てた。
普通に客がいて、サラリーマンとかカウンターとかでママと話をしながら飲んでるのに、そんなのとは別次元で、床に寝転がるオッサン一人。死んだ人みたいに胸の所で両の手を組んでたからな。神々しくすらあったよ。この人の息子だとは思いたくないけど。
店のママに謝り、金を払い、親父を起こして帰らせます。親父はたいそう上機嫌で
「おうおう、フィリピンパブ、フィリピインパブ!」
とか、知能ゼロ丸出しなことを喚いていたのですけど、なんとか抱えるようにして店の外に連れ出しました。
「息子が迎えに来たー、わはははいはい」
とか、終始、殺したくなるようなことを叫んでましたが、とりあえずこの世のものとは思えないほど酒臭かったのを覚えています。
ウチの親父はキチガイでバカで明らかに狂ってるんですけど、酔うとさらにそのパワーが上がるらしく。
「なんらあ、この車わああああ」
とか漆黒の夜の街で叫びながら、違法駐車してある車をガンガンと蹴ったくってました。どういう無法者なのか知りませんけど、見ず知らずの人の車が凹むくらい蹴ってました。
通報されて親子で逮捕!とかマジで勘弁なので、早々に親父を車に押し込み、家へと帰ります。車内で親父は、「気持ち悪い」と急に借りてきた猫のようになり、ゲロゲロと助手席に悪霊みたいなものを吐き出してました。すげえ酸っぱい匂いが車内に充満して、もらいゲロしそうになった。
息子に飲み屋に迎えに来てもらう。それがウチの親父の望みだったようです。でも実際にその望みが叶ったと思ったら、念願の思いで買った車はガリガリにされるわ、車内はゲロまみれになるわ。ご本人はあまり分かってないみたいですが、考えうる限りでかなり悲惨な状態になってます。
次の日、「おい!車がメチャクチャじゃないか!」と怒る親父に対して、「ゲロは自分で吐いたんでしょ、左側の傷も、店出た時に自分で蹴ったくってたよ」と言いましたところ、なんとも淋しそうなやるせない顔をしてました。
親父が望む、息子の将来。それが息子に対する期待の押し付けになっては良くないですが、子供を育てにくいと言われる昨今、子育てをしたご褒美として望むのもいいのではないでしょうか。世の息子さんや娘さんも両親の願いを叶えてあげてください。
ちなみに僕は、息子が産まれ、大きくなったら、一緒に日記サイトやりたい。