スパゲッティが食べたくて

スパゲッティが食べたくて

僕はただ、スパゲッティが食べたかった。それだけだった。

僕のアパートから徒歩3分くらいのところに、僕の行きつけのセブンイレブンがある。朝に一回、夕方に一回、夜に一回、深夜に一回、日に4度もヘビーローテーションで使い続けるコンビニだ。たぶん、店員にはモロに顔を覚えられていて、エロ本大王などと僕が聞いたら深く傷つくようなあだ名をつけられているに違いない。

そのコンビニに行く途中、丁度大きめの道路を横断するための信号の場所になるんだけど、そこにオシャレなスパゲッティ屋がある。もう見るからにオシャレというかシャレオというか、現代風の佇まいで、おいそれと敷居をまたぐことが許されない店構えだ。

僕はオシャレなものが蛇に睨まれたカエル以上に怖い。たまに服屋なんかに行くと店員さんが無尽蔵にオシャレに見えて怖いから、いつもビクビク逃げ回っている。それもジャスコレベルでそうだ。それほどにオシャレが怖い。

だから、いつもビクビクしながらそのスパゲッティ店の前を通っている。コンビニに行くにはその店の前は通らねばならない。微妙に足早になり、意識的に視界に入らないよう、もしくは存在する認知しないようにビクビクと通り過ぎる。オシャレな店だけはどうしても避けたいのだ。

普通、客が入りやすいように店の入口は通りに面した場所に設置しがちだが、オシャレなこの店は違う。入口は店の裏手側にあり、通りに面した場所は丸々客席が見えるようになっている。壁一面がガラスみたいな構造で、とにかく見通しがいい。逆を言えば、客がスパゲッティを食いながら通りを見通せるようになっているのだ。

いつもは意識しないように通っているのだけど、たまにふとそのスパゲッティ店を見てしまうことがある。見まい見まいと思うがあまり見てしまうというか、怖いもの見たさで見てしまうというか、とにかく見てしまうことがある。

店の中は僕の予想以上に物凄くて、オシャレなツボみたいなのとか意味不明の絵とか飾ってあって、これでもかってくらいにオシャレ。店員も妙におしゃれな服装で、もう我が物顔でスパゲッティとか運んでるの。食ってる客もオシャレカップルで、たかがスパゲッティー食うだけなのにデパートに行くみたいなオシャレしてんのな。

もうさ、通りを歩いている僕と店内を隔てる物はガラスだけ何だけど、まるで海の向こうみたいに遠くて遠くて、明らかに住む世界が違うなって思うの。うん、コンビニの行き帰り、目に付く度にそんな気持ちで眺めてた。

分かってた。自分とは世界が違うって十分に分かってた。間違っても足を踏み入れちゃいけない場所だって分かってたし、そこでスパゲッティーを食べるなんて考えもしなかった。この世は所詮身分差別の激しい階級社会。身分と身分のパワーゲーム。どんなに人間は平等だって言ってもそれはまやかしで、歴然としか差別が数多く存在する。そう、ここでは、オシャレとそうでない者の差別、それが歴然と存在している。

確かに、大っぴらに店に入るなとは言わないだろう。お前のような卑しい身分の非オシャレは入るなとは言わないだろう。けれども、僕のようなウンコのカス以上にカスな人間が入ろうものなら、店員、客の視線が一斉に注がれ、無言の圧力に押しつぶされてしまうことだろう。うん、きっとそうに違いない。所詮この世は差別だらけなんだ。

だから、僕は場違いにもその店に入ろうだなんて思わなかったし、スパゲッティを食べようとも思わなかった。そう、自分の身分は分かってるつもりだったのだ。

しかし、先日の夜のことだった。

いつものようにコンビニで買い物を終え、トボトボと歩いてアパートに帰る時のことだった。袋をぶら下げ、小さい声で大塚愛のHappyDaysを唄いながら帰路に着く。ふと信号で止まり、視線を上げたその瞬間だった。

目の前に飛び込んできたのは眩いばかりの光を放つスパゲッティ屋。辺りが暗く、ここだけ煌々と明かりが灯っていた。で、通りから見える側面は全てガラス張りなので、その光も鬼のように漏れてくる。

誘蛾灯に誘われるクソ虫のごとく、しばらくその光に見惚れていると、楽しそうにスパゲッティを食べるカップルの姿が見えてきた。みな、オシャレで幸せそうな笑顔で、美味しそうに食べている。

光の中のカップル達はこの世の物とは思えないくらい楽しそうで、その外で暗闇の中佇む僕が急に哀れに思えるようになってきた。店の光によって伸びた僕の影が悲しげで、それだけで泣きそうになった。

カップルは眩い光の中でオシャレで身奇麗に食事、半面僕は変なジャージを着て手にはコンビニ袋。ジャージなんて紐が固結びになってて解けなくてシッカリと止められない。ポッケに入れた財布の重みでズリズリとズレ落ちた状態。半ケツに近いからな。で、コンビニ袋の中には「別冊 本当にあったHな話」というエロマンガ雑誌が入っている体たらくぶり。もう落差とかそういった次元のお話ではない。

なんか、戦後の日本の、優雅な米兵に憧れる貧しい少年みたい。トランペットに憧れてガラスに張り付く黒人少年みたいで、急に悔しくなった。急に口惜しくなった。

食ったろうじゃねえか、ああ、食ったろうじゃねえか。そう思いましたね。いつもガラス越しに見ていたオシャレなスパゲッティ屋、僕もココで食べてやると。

早速、入口のある店の裏手に回り、早まる鼓動を抑えながら入口に向かいました。開き直ったとはいえ、ずり落ちて半ケツに近い状態のジャージと意味不明に「裸」と書かれたTシャツを着て入店するのは勇気が要ります。おまけに手にはコンビニ袋、エロ本がシースルーで見えてるしな。

恐怖から来る緊張を誤魔化すため、あまり関係なさそうなことを思い浮かべながら歩を進める。機関車トーマスはよくよく考えると、機関車に生々しい顔がついてて不気味だ、などと考えながら進む。

ウィーン!

オシャレでポップな自動ドアが開く。すかさず出迎える洗練された店員。

「お一人様ですか?」

「はい」

見渡すと、こういう店に一人で来てる客などいない。まあ、定食屋じゃあるまいし、一人では来ないわなあ、などと「ひとりDEデート」などにチャレンジしたことを思い出して少し懐かしい気分に。

なんだ、怖い怖いと思っていたけど普通じゃないか。オシャレなスパゲッティ屋、入ってみるとなんてことないじゃないか。親切に席に案内してくれるし、誰も半ケツに近いジャージを笑うわけでもない。

席に座り、隣の椅子に置いたコンビニ袋からエロ本がこぼれ落ちそうになって慌てて仕舞い込むのだけど、ハッキリいいって楽勝。こりゃあ、普通に食べて帰れるな。というか、この店の常連になっちゃおうかなー。とか考えてたその瞬間でした。

「ねえ・・・(ヒソヒソ)・・・あの格好・・・(ヒソヒソ)」

と、隣のテーブルに座っていたギャル2人が。なんかセクシャルな服装で、二の腕とかタプンタプン、乳なんかこぼれ落ちそうでぺロッとめくったらエライことになりそうな服を着た2人組みでした。もう全身クリトリスとか性の解放区とか、そういう言葉がピッタリなくらいセクシーセクシーだったのですが、そいつらが僕の異様なファッションを見てヒソヒソやってるんですよ。

バッキャロウ、服なんてなチンコと乳首が隠せればいいんだよ。あんまうるさいとお前ら、俺はレイプも辞さない構えだぜ?とまあ、すっかり強気になっていた僕はそう思っていました。しかし、この後にとんでもない魔物が潜んでいた。

「ご注文は?」

颯爽と訊ねてくる今風の店員。イキナリの攻撃に動揺を隠せなかった僕は、とりあえず一番安いものを食べようと

「えっと、あの、その、スパゲッティください!」

とメニューも見ずに注文していました。

で、それを聞いていたアバンギャルドなギャル2人

「ぷっ!スパゲッティだって!いつの時代だよ!」

とまあ、箸が転げても橋が転げても可笑しいといった年頃の娘さんのようにカラカラと笑っておりました。

うん、メニュー見ると全部「パスタ」なのな。最近のヤングはナウにパスタって言うのな。「シェフの気まぐれ洋風パスタ」とかなのな。顔から火が出るほど恥ずかしかったわ。

結局、失意のまま、味なんて分からないままパスタをかっ込み、半泣きになりながら店を後にしました。しかも半ケツ。二度と来るか、と思いつつ。

ガラスの向こうは夢の国。憧れのオシャレの国。そこに安易に足を踏み入れてはいけないのです。憧れは憧れのままが一番。分不相応なことはしてはいけないのです。

これからもずっと、コンビニに行くたび、トランペットに憧れる黒人少年の如く、ガラスの向こうの華やかなパスタ屋を覗いていようと思います。もちろん半ケツで。

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