マイナスな友情
マイナスな友情のなんと脆いことか。
マラソン大会のスタート前。寒い寒い冬の日でした。僕ら季節感のない小学生どもは半袖に半ズボンの体操服。今から走らねばならない数キロの道のりを想像し心底ブルーでした。
友人のT君が言いました。
「なあ、マラソンなんてダルいよな。一緒に適当に走らねえ?順位なんてどうでもいいじゃん」
「だな。競争するから疲れるんだって。いいよいいよ、一緒にマイペースで走ろうぜ」
そう協定を結んだ僕とT君でしたが、いざスタートの号砲が鳴るとT君は光の如き速さでダッシュしていきました。スタート前まで協定を結んだ友人同士だったのに、舌の根も乾かぬうちに赤の他人に。
序盤に飛ばしすぎたT君、バテてきたのかマイペースで走っていた追い抜かれました。あと数メートルでゴールという場所です。その瞬間、鬼の形相に変わり、最後の力を振り絞って僕を抜きかえしにかかるT君。まさに死力を尽くしたランニングでした。
ゴール前で迫りくるT君。スタート前、「一緒に走ろう」そう言っていたT君。彼が山姥みたいになって追いかけてくるのです。その豹変ぶりが子供心に何とも怖かったのを今でも覚えています。
“マイナスな友情”ってのはいとも簡単に壊れるものだと思います。ダルイから一緒に走ろう、勉強せずにテスト受けようよ、一緒に追試うけようよ、彼氏なんてつくらないもんね、俺達30歳まで童貞を守って魔法使いになろうぜ、このように友人を巻き込み、ある意味足止めをするような行為を僕は”マイナスな友情”と呼んでいます。
一緒に何々しない、一緒に手を抜く、一見すると美しい友情のように見えますが、ところがどっこいそうではありません。逆に、一緒に何々をしよう、何かを達成しよう、一緒に頑張ろう、ってのはお互いに高めあう友情ですから”プラスの友情”で、非常に喜ばしいことなのです。
小学校の頃のT君のマラソン事件の衝撃が凄まじく、僕はこのマイナスな友情ってのが怖くて仕方ありませんでした。それに、大学生の時、コレと同様のマイナスな友情が引き起こした悲しい事件があったのです。
大学生の頃、僕はS君という男の子と友達でした。僕もS君も大のパチンコ好きで会ったその日に意気投合。瞬く間に親友と呼べる間柄になったのです。
そんな折、S君が言いました
「俺達、女なんかいらないよな。彼女なんか作らないよな!」
そんな誓いを立てなくてもお互いに彼女を作るのは難しいスペックである事は明白でしたが、いつの間にか僕らは彼女を作らない硬派な大学生パチンカーとなったのでした。
大学に行き、パチンコに行き、たまに勝てば一緒に酒を飲みに行く。そんな楽しい日々が続いたある日、僕はフラリとS君が住むアパートに遊びに行ったのでした。
「おー、いるかー?暇だから遊びに来ちゃったよー」
そういう僕に対して、玄関で出迎えたSは明らかに狼狽していました。
「いや、えと、その、あの」
明らかに様子が変でした。いつもは玄関先にズデーンとエロ本が転がっていて、ドアを開けた瞬間からほのかにイカっぽいフレグランスが漂ってくる彼の部屋でしたが、妙に整理整頓された玄関、部屋の中も無臭でした。
それよりなにより、玄関に小さくてカワイイ女物の靴が置いてありました。もうほんと、チョコンと、それでいて存在感抜群に置いてありました。
まさか・・・コイツの部屋に女性が・・・。
僕はあまりにビックリして尻こ玉が抜け落ちるかと思った。
とりあえず、玄関先で狼狽するS、そして部屋の中には彼女がいるでしょう。そして、「まずいとこに来ちゃったなー」と早くも後悔している僕。その微妙な空気に耐えかねた僕は
「なあ、パチンコでもいかねー?」
何をトチ狂ったのか、そんなことを口走っていました。そのまま部屋に上がって彼女とご対面とかマジ耐え切れなかったし、そのまま何事もなかったかのようにSと彼女に2人の時間を過ごさせるのも癪だった。そんな理由から出た言葉だと思います。
「え・・・?あ。うん、じゃあ、いこうか。あんま金持ってないからちょっとしか打てないけど」
僕を追い返せないと判断したSは、渋々靴を履き、僕とパチンコに行くことを決意。ああ、この重苦しい沈痛な空気から開放されると喜んだその瞬間でした。
「じゃあ、ちょっと、友達とパチンコ行ってくるね」
部屋の奥に向かって話しかけるS。そして
「はーい、いってらっしゃい(はあと)」
答える黄色い声。こいつらは一緒に住んでるんですか。
なんていうかな、そのラブラブっぷりにボットボトと連続で尻こ玉が抜け落ちる思いがした。敗北ってこういうことなんかなーってそれとなく感じられた。
結局、その後、Sと一緒にパチンコ行ったんだけど妙に余所余所しい微妙な雰囲気。お互いにあのスケの事は口にしないし、意識で触れないようにしてた。淋しいもんだよな。友達だったのに、彼女が出来たとたんこれだぜ。
そんな雰囲気のパチンコは全然楽しくなくて、持ってた金も強盗にあったみたいに素早くなくなっちゃったしでさ、お互いの家に帰ることになったんだけど、
「ちょっと待って、タバコ買ってくるわ」
と、自販機に向かっていったS。見ると、タバコじゃなくて、自販機の横の小さい自販機でコンドーム買ってた。遠目で良く分からなかったけど、間違いなくアレはコンドームだった。コンドームだった。避妊具だった。
それを見た僕は思いましたよ。ああ、敗戦とはこういうことなのかと。太平洋戦争を戦った僕のお爺ちゃん、きっと玉音放送をこんな気持ちで聞いてたんだろうなって。その夜は友に裏切られた気持ちと敗北感を胸に、家に帰って熱烈オナニーをしたもんです。
結局ですね、僕はこういったマイナスな友情が大嫌いなんですよ。凄く青臭いことを言えば友情ってのはお互いを高めあったり助け合ったりするものであって、甘やかしあって足を引っ張り合うものじゃないと思うんですよ。
ゆっくり走ろうね、一緒に赤点とろうよ、彼氏彼女なんて作らないでいようね、なんてことはね、ただの甘えでしかないし足の引っ張り合いでしかない。
それにね、言い出したヤツが先に裏切るんですよ。こういうの言い出すヤツって、本当はマラソンで1つでも順位上げたいし、彼女が欲しくて仕方がないんですよ。で、その焦りがマイナスな友情に現れる。そういう気持ちだから裏切るのは火を見るより明らか。
あの日、鬼の形相で僕を抜きにかかったT君。知らぬ間に彼女を作っていたS。いつだってマイナスな友情を言い出した方が裏切って先に走っていっちゃう。勝手に足枷をはめておいて、自分だけとっとこ先に行っちゃう。だから僕はマイナスな友情が嫌いなんです。もう絶対にそんな友情には乗るもんか。
先日友人になったハイパーオタク関口君が言いました。
「俺は絶対に年金なんか払わない。どうせ払ったって貰えないんだから、払わない。な、払わないよな?」
と、物凄い剛毛な鼻毛を出しながら言ってました。年金を払わなよな、というマイナスな友情を持ちかける関口。それを受けて僕は、
「あたりめえだよ、払うヤツはバカ。払うもんか!」
と、もう一度だけマイナスな友情に乗っかることに決めました。なぜなら、僕はサラリーマンで自動的に年金を払ってるから。払うも払わないもなく、既に払ってるから。
あの日、僕を裏切って先に走っていったT君、そしてS。今度は僕が先に走る番だ、年金制度問題のエトセトラとか考慮せず、単純に関口を裏切って払っている自分が嬉しくて仕方ない。見てろよ、関口!走り去ってやるからな!と沸々と闘志を燃やしたのでした。
ちなみに、このマイナスな友情の裏切りが判明するのは40年後ぐらいの年金の受給が開始してから。それまで関口と友達でいるかというと、その可能性は限りなく低いと思う。