引越し戦線異常あり-後編-

引越し戦線異常あり
-後編-

やはり僕かて人間であることは当然なので、感情の起伏があるのは当たり前。苦しい時も悲しい時も寂しい時も喜ばしい時も、いつも僕の思い出のワンシーンの中にはこの部屋があった。

今時、時代遅れのボロアパート。時代錯誤も甚だしい造りに圧倒的に劣悪としか言いようのない立地条件。誰しもが驚く低家賃。そして、ちんどん屋の行列の如く奇妙奇天烈な住人達。借金から逃げてそうな老夫婦や幼女を誘拐してそうなデブオタ、宗教にどっぷりはまってるヤツやカブレラなどなど。そうそう、出会い系サイト架空請求の本拠地みたいな事務所が丸ごと越して来たこともあった。

そんなありえないアパートだったけど、それでもやっぱり僕にとってはそこがマイホームなわけで、プライスレスな思い出が数多くこの部屋に同居していた。最底辺で必死にもがき苦しみ、それでも生きていく僕を、この部屋はずっと見ていた。

何年間も苦楽を共にし、共に戦ってきたマイルーム。戦友と過ごす最後の夜があける。昇る朝日が色褪せた畳を明るく染め、戦い疲れボロボロになった彼の姿を顕著に見せ付ける。

「ありがとう、何年間もありがとうな。僕は遠くに旅立って行くけど、この部屋のことは一生忘れない。異様に閉まりの悪い玄関ドアも、結露が酷く、カビだらけになる君のことも、僕は一生忘れない」

戦友にそう別れを告げ、涙を堪えて袂を別つ。そんなクールドライブメーカー並にクールな部屋との別れを、旅立ちの時を、部屋で過ごす最後の朝を迎えるはずだった。そう、男の旅立ちにふさわしい、そんな朝を迎えるはずだった。

けれども実際にはそんなカケラすら微塵も存在せず、全てを運び出してしまった部屋の中央に寝転がり、まるでミノムシのようにカーテンに包まって「寒い寒い」と連呼する小汚い男の姿だけがあった。なんというか、クールな朝には程遠い。その前の日の朝なんて雨の中泣きながらエロ本を縛ってたからな。

そんなこんなで、約束どおりに朝10時には不動産屋からの刺客が引き渡す部屋のチェックにやってくることになっていたので、唯一清掃の済んでいなかったトイレ掃除を敢行。便器にこびりついて地層みたいになっている糞尿を涙目で剥ぎ取っていました。さすがに、こんな古代遺跡みたいな汚い便所を不動産屋に見せるわけにはいかない。

「こんにちはー、不動産屋のものですけどー、部屋のチェックに参りました」

聞き覚えのある声が玄関から響く。「大家さんのほうから家賃が振り込まれていないという連絡を頂いたのですがー」と月初めになるといつも電話してくるあの女だ。家賃滞納常習者の僕が出て行くことを一番喜んでいるのは彼女かもしれない。

「あー、どうもどうも」

そう僕が挨拶しながら玄関へと躍り出ると、そこにはスーツを着たキューティクルな女性が立っていた。おまけに爆乳、推定でGはあろうかという高ポテンシャルな女性が立ってた。一見すると大人しめで地味な印象を受ける彼女なのだが、その胸についた二つの兵器が彼女のポテンシャルをふんだんに語っている。

ハッキリ言って、大人しめの女性のスーツ姿ってヤツは最高だ。そこから受ける清楚な印象や知的な印象、そしてそこはかとないアダルティーな雰囲気、どれをとっても僕の好みにストライク。大人しめ女性のスーツ姿、下手したらセーラー服やナース服などの定番コスチューム、いや、裸やマワシ姿すら凌ぐ究極のコスチュームかもしれない。おまけに爆乳。

「なんてこったい、こんなステキングな女性が相手なら、もっと素直に家賃を払っておくべきだった」

などと、意味不明にこれまでの所業を後悔したりしたのだけど、別に僕が素直に家賃を払ったところで彼女を手篭めに出来る訳でもないので「別にいいや」などと思った次第なのでした。

そんな僕とは無関係に、づかづかと部屋に上がりこんでチェックを始める不動産屋の女性。畳や壁紙の汚れ、施設の破損状態などを見てチェックリストに記入していくのだけど、改めて見るとこの部屋は酷い。

畳なんてラーメンこぼした汁やらジュースやらで蒙古斑より酷い状態になってるし、壁紙なんて幾年のタバコで真っ黄色、おまけに所々剥がれている。それどころか月のクレーターのように穴が空いてやがる。アナルみたいな穴が相手やがる。おまけに玄関のドアは壊れてるしな。

もうなんというか、このキューティクル女性にそういった部屋の汚点を順々にチェックされていく、これがもう得もいえぬ快感。ああ、あんな汚い場所を彼女が見ている、ああ、便器にこびりついた「何か」を彼女が見ている。羞恥プレイとかそういったものに類推される快感だと思う。あちこちチェックされながら独りで悶えてたもんな。

「破損と汚れがすごいですね。大家さんと相談になりますが、おそらく敷金ではまかない切れません。結構な額の追加料金を請求することになりますので引越し先を教えてください。請求書をお送りしますから」

妄想を膨らまし、頭の中で彼女を裸にひん剥いて「不動産屋の女-部屋のチェック中に犯されました-もう許してください敷金礼金は体で払います」という三文エロビデオ的ストーリーを考えていたというのに、不動産女は冷徹なる一言。「もっとかね払うことになると思うから」というクールでドライな一言。お前はアメリカのビジネス界か。そんなこと言わんでいいから乳の一つでも出せと。

「すいません、じゃあ請求書はこっちに送ってください」

ヘタレな僕は、この世にこれだけ謝る人がいるのだろうか、といった勢いで平謝りし、「まだ新住所が決まっていなから・・・」とだけ言って携帯電話の番号だけを教えるのでした。これから引っ越すのに、新住所が決まってないとか、彼女もすげー驚いてた。というか、絶対に夜逃げだと思ったに違いない。

さあ、これで不動産屋との部屋の引渡しもケリがつき、あとは新天地に向けて車を走らせるだけ。長く辛く苦しい、ありえない引越しで、家電製品を全て失うことになったけど、それでもやっとこさ新天地に行くことができる。これでニューライフは約束されたようなもの。やればできるじゃないか、よし、さあいこう、僕の新天地へ、と決意し、不動産女にお別れを言って部屋を出ようとしたその瞬間でした。

「私、さっき下のゴミ捨て場を見てきたのですけど、あれはpatoさんのゴミですか?でしたらあの状態ではゴミ回収車が回収してくれませんので、きちんと綺麗にゴミを積み上げておいてください」

などと、またもや冷徹なる一言。そういうのはいいから乳の二つでも出せと。そう言いたくなるようなドライな一言。まさに一刀両断。ホント、下手したらゴミにまみれてコイツをレイプしていたかもしれん。今から旅立とうと言うのに、モロに出鼻を挫かれたからな。

でもまあ、ヘタレな僕は彼女をレイプするわけでもなく、何も文句を言うわけでもなく、ただただ乱雑に散らかっているゴミ捨てブースを黙々と片付けるのでした。うん、僕以外の人が捨てたゴミとかまで片付けさせられた。サボって逃げよう、引っ越しちゃうしいいよね、とかも思ったのですが、20メートル先で不動産女が鬼の形相で仁王立ちしていたため、そういうことも全く出来ませんでした。もう死にたい。

小一時間ばかり悪臭と戦い、なんとか許してもらえるレベルまでゴミ捨てブースも片付きました。で、不動産女と「お世話になりましたー」「はい、ありがとうございましたー」なんていう心の片隅にもないような感謝の言葉を述べ合いお別れ、やっとこさ長く住んだこのアパートを後にするのでした。

車に乗り込み、エンジンをかける。何千回も駐車した駐車スペースも今日が最後。フロントガラス越しに二階を見上げ、自分の部屋だった場所の窓を眺め。部屋に向かって最後の挨拶をするのでした。

高速道路をひた走り、ひたすら新天地めがけて運転します。車の運転は基本的に好きなのですが、それでも数日前まで行っていたNumeriキャラバンの影響か、ちょっとばかり飽き飽き。そりゃあ、ブリブリと日本全国を運転していれば飽きるわな。

あとまあ、もう一つの問題点としては、家電品は全部親父の手によって盗まれてしまったのだけど、それでも小物のダンボールはこの車に満載になってるわけで、もう運転席以外は全てが荷物という状態。もうバックミラーどころかサイドミラーも見えない状態だったからな。しかもな、カーブとかになるとゴロゴロンと上のほうに積んでた炊飯器とかが落ちてくるんだわ。運転している僕の頭を直撃したりしてな、痛さに悶えながらドライビングとかしてた。

そんなこんなで、数時間に及ぶドライビングを経て、いよいよ新天地へと到着。到着した時にはもうどっぷりと夜になっていました。ここでめくるめく僕の新生活が始まる、そう思うと自然と胸が高鳴ります。

早速、電話によってありえない部屋探しをした不動産業者を探し、そこを訪れます。「すぐに入居できる物件なら何でもいい、他は関係ない」、かつてないほど豪放な交渉をし、不動産会社が勧めるがままに部屋を決定、あとは契約だけという状態になっていました。時間さえあれば「出窓がついてないとやだ」とか「異常な住人がいないアパート」だとか「デフォルトで光ファイバーがきてるとこ」だとか「バルコニーは英国風で」だとか、心躍る部屋探しをしたんですけど、あいにくそんな優雅な引越しをしている暇なぞありません。

「こんにちはー」

やっとこさ不動産会社の場所を探し当て、ビクビクしながら担当の方に話しかけました。

「あ、昨日の電話の方ですねー、書類は全部準備できてますよー、すぐにでも入居できますので」

「いやー、よかった。僕、明日から新しい職場で仕事なんですよね。部屋がなかったらどうしようかと思った」

満面の恵比須顔の不動産屋店員。広島で僕を徹底的に苛め抜いたセクシーダイナマイト不動産屋店員も彼の愛想の良さを見習うべきです。うん、こっちの不動産屋はなかなかシッカリしてるじゃないか。僕の要求を見事にクリアしてるじゃないか。これでフレッシュな新部屋ライフが送れる、どうなることか不安だったけど、これでやっとこさ新生活が始まる。とか思ったんですけど

「じゃあ、敷金と礼金、一か月分の家賃、火災保険と鍵の交換料、あと仲介料を合わせまして31万円いただけますか?」

というビジネスライクな不動産店員の言葉。なんかすげー金が必要みたいです。現金を20万円程度しか持っていなかった僕は契約することが出来ず、ただただガックリと肩をうなだれながら

「すいません、明日またお金持ってきます・・・」

と言い残して不動産屋を去るのでした。即日入居できる物件を用意しろ、とスパークしておいて、敷金礼金払えずで即日入居できず。ホント、ボランティアの方々の手によって大きい病院に入れられてもおかしくないくらいボケが進行しているとしか思えません。

車の中にパンパンに詰まった荷物を抱え、あてもなく、何の土地勘もない新天地の夜の町並みを走る寂しげな男の姿だけがありました。うん、引越しって辛いもんだな・・・。

結局その日はホテルに宿泊し、ホテルから新職場に初出勤、なんていう大名みたいなことをやっちゃったわけですが、仕事が終わってからお金を工面し、不動産屋で正式契約、入居、となりました。

入居の時に初めて自分が住む物件を見たのですが、なんか僕の住むアパート、駐車場にやたらヤンキー的な改造車が駐車されてるんですよね。うん、アパートの駐車場がシャコタンブギみたいな状態になってた。すげー先行きが不安だ。

それでまあ、初仕事で疲れてる体に鞭を打って、車の荷物を部屋に運び込んだのですけど、やはり親父に家電製品を全て奪われたのが痛く、日用小物や洋服などが部屋の隅にポツンとあるだけの状態になってました。

辛い引越しさえくぐり抜ければ、心躍る新生活が待っている。僕はどんな素敵な部屋に住むんだろう、えへへ、引っ越したらオシャレなソファーとか買っちゃおう、そうだ、張り切って毎日自炊とかしちゃおうかなー、などと僕なりに新生活に夢や希望を持っていたのですが・・・。

実際には、何もない、ただっ広いフローリングの部屋の中央に体育座りをし、「そういや車に載りきらなかったダンボールも親父に持っていかれたんだ、あれにはエロビデオが入ってるんだけどなあ・・・まあ、エロビデオだけあってもビデオも、ましてやテレビもないから関係ないんだけど・・・」などと思ったりする、夢も糞もない新生活が始まったのでした。

何も知らない街のチンケな夜景、窓から差し込むその光だけが僕を照らし、「引越しとはなんと辛くて切ないものなんだろうか」などと泣いてしまう僕の姿がありましたとさ。

あ、あと、親父の持ってきた魚が腐敗を始めたらしく、部屋の片隅で腐臭を放ち始めていました。うん、新居なのにいきなり腐った匂いとかこびりついた。

引越し戦線異常あり-おわり-

ということでNumeri新天地編が始まりました。新生活に慣れるまで更新頻度が落ちるかもしれませんが、温かい目で見守ってやってください。

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