最強母親列伝〜フィリピン編〜

最強母親列伝
〜フィリピン編〜

いつの世も時代も、どこの家庭だって母親ってのは偉大なもんだ。

この日記では、とにかくウチの親父をネタにして、「最狂親父だ」だとか「ヤツは狂ってる」だとか「税務署の査察が入って泣いてた」とか書いているわけでして、その集大成が「最狂親父列伝シリーズ」になっているわけなんです。これがまた、筆者の予想を超えてなかなかの人気シリーズになっとるわけなんです。

で、その甲斐あってか、最近では、「親父さんのファンです!」「親父様ラブ!」とかトチ狂ったことを言い出す人が増えてまいりまして、世の中ってのは分からないものだなあ、などと思ったりするのです。

しかしながら、我が家族の中で狂っているのは何も親父だけではないのです。ほとんど日記で取り上げる事はないのですが、実はウチの母親だって狂っていたのです。そりゃ、あのようなクサレ親父と結婚する女性ですから、ある程度狂ってるのは当たり前なのです。

ウチの母は病弱な女性でした。いつも「体の調子が悪い」などといって寝ていて、病院に入退院を繰り返し、挙句の果てに2000年春に他界しました。そのように弱々しい人でしたが、元気な時は有り得ないほどの狂いっぷりを発揮していました。

僕が大学生だった頃でしょうか、その頃から実家を離れて広島で生活していた僕。ほとんど実家に帰ることなんてありませんでした。その頃から母親は

「たまには帰っておいで、お金ないでしょう?」

「ちゃんと食べてないでしょうに、帰ってくれば栄養あるもの食べさせてあげるのに」

とか、熱烈に帰省を促していました。なんというか、遠く離れた地で生活する息子に会いたい、帰ってきて欲しい、心配だ、なんていう親心の表れだったのかもしれませんね。

しかしながら、あんなうら寂れた田舎など忘れ、都会で過ごす楽しさを覚えた僕、なかなかどうして実家に帰ろうとしません。一回の帰省で片道3時間かかるというのもありましたが、それ以上に田舎で過ごす退屈さが嫌で仕方ありませんでした。で、もう、勘当された親不孝息子みたいに全くと言うほど帰省しなかったのです。そう、まるで故郷を捨てた男かのように。すげークールだ。

けれども、さすがにあまりにも帰省しないというのは良くありません。母親も「何で帰ってこないの!?」と半泣きというか半怒りというか半狂乱というか、そういうシャレにならない状態になってました。ですから、ある夏の日、ホント、抜き打ちで何の連絡もなく帰省したんですよね。

広島から実家まで車を飛ばし、夕方ぐらいに故郷の町に到着。長時間運転で痛んだ腰をさすりながら、意気揚々と実家の門を叩いたのです。

「ただいまー」

久々に見る我が家の玄関。ここで僕の帰省を喜んだ母親辺りが出迎えて、「あらお帰りなさい。急に帰ってくるなんて。前もって言ってくれればお前の好物の唐揚を作っておいたのに」とでも言ってくるはず、そう期待していました。

しかしながら、出迎えなど皆無。ビタイチ誰も来ず、ただ実家で飼っていた猫(クロ・オス)だけが「にゃー」とアンニュイに伸びをしてました。凱旋帰郷!並みの熱烈歓迎を期待していた僕は少々拍子抜け、なんだかなーと思いながら靴を脱いで我が家に上がりました。すると、

ドタンバタン!

「コノヤロー」

「ナニヨー!」

なんだか知りませんが、明らかに誰かが暴れているバイオレンスなサウンドが居間から漏れ聞こえてくるのです。誰かと誰かが激しく戦っているような、そんな尋常ではないサウンドが聞こえてくるのです。

ま・・・まさか・・・強盗!?

心配になった僕は急いで居間に向かいました。もしかしたら最愛の母が強盗相手にバイオレンスにやられているかもしれません。金を出せと言われ、貧乏な我が家は拒否と言うよりは出す金が無いレベル。逆上した強盗に殴る蹴るされる母。もう、気が気じゃない状態で居間へと続くドアをあけました。すると、そこには想像を絶する途方もない光景が広がっていたのです。

いやな、ウチの母ちゃん、フィリピン人女性と取っ組み合いの喧嘩してた

何でか知らないけど、フィリピン人女性と掴み合い引っ張り合い殴り合いの大乱闘。僕が見た瞬間は、母ちゃんがフィリピン人女性に馬乗りになってマウントポジションから殴ってたからな。世界広しといえども、自分の母さんのマウントポジションを見たヤツなんてそうそういないぜ。

おまけに、殴られてるフィリピン人女性、年の頃は20代前半といった感じでずいぶん若い。彼女がボディコンだか何だかしらねーけどビックリするほどセクシャルな服装。胸なんかこぼれ落ちそうになってたし、スカートなんか反則かってくらい短かったからな。香水の匂いプンプンさせてな。なんていうか、歩く生殖器みたいなセクシャルな服装だった。

「このー!いい加減にしなさい!いい加減にしなさい!」

激しくフィリピン人女性を殴打する母。とてもじゃないが病弱には見えない。

「ナニスンノヨー ヤメテヨー」

抵抗しつつも、自分も右フックを出すフィリピン人女性。

いやな、いくら故郷を捨てたとはいえ、いくら実家に帰らなかったとはいえ、久々に帰省して望郷の想いに浸ってたらコレだぜ。僕じゃなくても唖然とするぜ。実家の門をくぐったはずなのにパラレルワールドに入っちゃったかな?って錯覚したもの。明らかに有り得ない。

でもまあ、いつまでも呆然としているわけにはいきませんので、やっぱ僕としても仲裁に入るじゃないですか。いくら互いにエキサイトして興奮状態にあるとはいえ、所詮は女の力、容易に両者を引き離してですね、「まぁまぁ」と仲裁に入ったわけですわ。なんで久々に実家に帰省してこんなことしなきゃイカンのだ、って思いながら。

「なにがあったのよ?」

とりあえず冷静にさせ、両者に何があったのかを聞きます。事件のあらましはこうでした。

まず、どんな成り行きか知りませんが、件のフィリピン人女性と仲良くなり、友人関係になった母。フィリピン人女性はフィリピンから出稼ぎに来ていて、フィリピンバーと呼ばれるショーバーで働いて本国の家族に送金する毎日。自分のアクセサリーや家電など、好きなものを買えない状態だったそうです。

まあ、専業主婦である母がフィリピン人女性と友達になるって時点で何かが明らかにおかしいのですけど、そこはあえてスルー。続きを聞きます。

「あら、なら私が若い頃に使っていたのをあげるわ」

母はそう思い、自分が不要になったものや、本国の子供にと僕らの子供時代の服などをあげたそうです。そして、親子ほど年齢の違う2人ですが、急速に仲良くなったそうです。

ウチの母はちょっと親分肌というか男勝りというか、そういった部分も持ってる人でしたので、フィリピン人女性をたいそう気に入り、

「よっしゃ、今度ご飯を奢ったるわ。好きな物食べに連れていったるわ」

などと、頼れるところを誇示したそうです。ただまあ、ウチはほのかに貧乏でしたから、「でも、あんまり高いのは勘弁してね」と付け加えたそうです。

しかしながら、そんな要求に真っ向から向かっていったフィリピン人女性

「オスシ タベターイ」

と無謀にも言い出したそうです。これだから外国人ってのは怖い。母は、「さすがに寿司は高いな」と思いつつも、大好物だったこともあって承諾し、フィリピン人女性を伴って寿司を食いにいったそうです。

「ウニ!」「トロ!」「イクラ!」「アワビ!」

高いネタばかり連発で注文するフィリピン人女性。もうなんというか、バブル時代の土地成金みたいに高価なネタしか頼まなかったそうです。もう、こんなことで怒るってのが本当に情けないんですけど、これに母はいたくご立腹。

「お金ないって言ってるのに、高いネタばかり集中的にいきやがって」

などと、怒りつつ、お会計にビクビクしながらタマゴやカッパを食べていたそうです。

けれども、フィリピン人女性も悪気があったわけではないそうです。日本のことを余り知りませんから、「アジ」だとか「サバ」だとか「ハマチ」だとか、渋くて安価な寿司ネタを知らなかったのです。知ってるのはメジャー級のネタばかりで、結果として高価になった。

母さんもそれはある程度理解していたらしいのですが、

「イタサン オオトロ ミツ クダサイ」

このセリフが怒りの導火線に火をつけたようです。さすがにその場は怒りを抑えたものの、喰い終わって泣く泣く料金を払い、我が家に帰ってきてからのこと。彼女が吐いたセリフにリミットブレイクしたようです。

「アマリ オイシクナカタ」

でまあ、後は僕が目撃したように、ちぎっては投げちぎっては投げの大立ち回り。フィリピン人女性とバーリトゥードを演じることになったようです。

「お金のことを言ってるんじゃない!アイツは日本のことを分かってない。もっとシブイネタから食べるもんだ!いきなりウニだなんて!」

明らかにお金のことで怒ってるくせに、日本の心を持ち出す母。

「タベタカッタンダモーン」

悪びれないフィリピン人女性。

僕が間に入ってるとはいえ、またもや一触触発のデンジャーな展開になりそうでしたので、とりあえずフィリピン人女性に帰ってもらい、なんとか事なきを得ました。

帰り際、フィリピン人女性が

「マタ オスシ イクヨー」

とか、どういった種類のものなのか全く分からない捨て台詞を残してましたが、母も母で

「このフィリピーナがっ!」

などと、布袋のアニキが「バンビーナ!」と熱唱するかのような勢いで言ってました。あんたらは小学生か。

フィリピン人女性が帰った後も興奮冷めやらず、「日本の心ってヤツを分かってない」などと連呼する母。激しい格闘のためかサイババのように乱れた髪をしてハァハァと荒い息遣いで言う母を見て思いましたよ。

やはり母は偉大だと。

僕のしらないところで、こんな片田舎のあばら家の一室で、日本を代表してフィリピン人女性と格闘する母。やはり母ってのは偉大なものだなって思いました。

うん、ウチの母は狂ってる。これだけは間違いない。

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