余計なお世話

余計なお世話

「patoさん!Numeriが消えちゃってるよ!」

「あのー、Numeriが見れないんですけど・・・」

数多くのお問い合わせありがとうございました。どうも1/26の0時前後にplala自体が軽々と落ちていたため、一時的にNumeriを閲覧できない状態になっていたようです。大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

しかしあれですね、ここ数日の日記で、「もしかしたら職場でサイトバレしたかもしれない」だとか「職場バレしてたらNumeriを丸ごと消去する」とか「下手したら法廷に立つことになるかもしれない(同僚からの告訴によって)」などと豪語していたこの時期ですから、あまりにタイミング良くサーバーが落ちることで妙な生々しさを演出してしまいました。

とにかくまあ、いきなり消去してトンズラってことだけはないと思いますので、よくわかりませんが安心してやってください。そんなこんなで、今日の日記いってみましょう。


親切ってのは大切なもんだと思う。

人に優しくするってのは勿論大切なことだし、失くしてはならない欠けがえのないものだと思う。ちょっとした優しさって困ってる時ほどありがたいし、自分がちょっと優しさを出した時なんて、自分だけじゃなくて周りの人間まで暖かくなる。そんな優しさってやっぱ大切なものだと思うよ。

そういったほのかな優しさってのが親切になって表れるわけで、なんというか、そういうのって素敵だと思うんです。美女がチョロッとハンケチーフを落としたりなんかして、「落としましたよ」って紳士的に渡す、別にこれをキッカケに美女をゲットとかそういう下心なしで、ただただ親切心で渡す、そういう見返りを期待しない素の親切って大切だと思うんです。大切にしたいですよね。

先日のことでした、大阪の街で地下鉄に、確か御堂筋線に乗っていた時のことです。

僕はスポーツ新聞片手に車両に乗り込み、壁にもたれかかってエロいページを熟読していたのですが、ある駅でとんでもないヨボヨボの老夫婦が乗り込んできました。

冥界への超特急にリーチかかったような老夫婦が、それこそ今にでも死ぬんじゃないかって面持ちでヨロヨロと乗り込み、2人して車両のドアのところに寄りかかるように立っていたのです。

見ると、その横の三人がけの椅子には、妙齢の女性と年端も行かない子供が座っていました。1つだけ座席が空いていることになり、老夫婦のどちらかがそこに座れば幾分と楽になるのでしょうが、老夫婦は2人で寄り添っていたかったのか、椅子に座ろうとはしませんでした。

で、それを見かねた妙齢のお母さん、おもむろに椅子を立ち上がると

「どうぞ、座ってください」

と老夫婦に促したのです。自分が席を立つことにより、3人がけの椅子に空席を二つ作り、老夫婦を座らせようとしたのです。お母さん自身も結構な荷物を手に持っており、できれば座っていたかったのでしょうが、それでも老夫婦に席を譲ったのです。

「ありがとうございます」

そう言って空いた席に老夫婦が座ろうとしたのですが、そこで座っていた子供までもが席を立ったのです。

「僕大丈夫だよ、立ってても疲れないもん」

そうお母さんに言いながら席を立つ子供。別にもう席は二つ空いているので彼が席を譲る意味は無いのですが、彼的にもお母さんのように親切をしたかったのでしょうね。なんだか、その彼の無邪気さが妙にかわいかった。

その光景を見ていた周りの乗客も、妙にホノボノとした温かい雰囲気なり、皆が少しばかり優しい気持ちになったのです。僕は僕で、そんな子供のピュアな親切に触れ、スポーツ新聞のエロいページの「肉弾女教師、性のレッスンABC」といった項目を真剣に熟読していた自分を心底穢れた存在だと思ったのでした。

このように、優しさからくる些細な親切とは大切です。本当に困っている人も救われるし、何より周りの人間までもが優しい気持ちになれる。生き辛い、苦しいことばかり、そう揶揄される現代にこそ必要なことだと思います。

しかしながら、世の中にはあまり嬉しくない「優しさ」だとか「親切」もあります。いや、ホントにその気持ちはありがたいのだけど、なんていうかその、そういうのって困るじゃん?と思うようなことが多々あるのです。世間一般ではこういった好まざる親切を「余計なお世話」と言ったりするのですが、これがまた相手に悪気がないだけになんとも性質が悪い。

以前にもお話したことあるのですが、僕が無性に気に入っている歴史的に抜けるエロビデオがあって、あまりにも名作なもんだから、もはやサルみたいな勢いで借りては返却し借りては返却し、そのビデオ自体を買ったほうが早いんじゃないの?って勢いでレンタルを繰り返していたエロビデオがあったのですよね。

で、ある日のこと、またもや目ぼしいエロビデオがなかったのでそのエロビデオを借りたのですけど、レジで僕のレンタル記録を見た店員が言うんですよね。

「あの、この作品は以前に借りられてますが・・・よろしいのでしょうか?」

確かにね、たまに観たのを忘れて何度も借りちゃうビデオとかありますよ。観てるうちに「なんかコレ、観た気がする・・・」とか言っちゃって後悔することだってありますよ。それを指摘してくれて、僕が損しないように配慮してくれているビデオ屋店員は確かに親切なんですけど、明らかに恥ずかしいじゃないですか。

こっちゃね、何度も借りているエロビデオだってのは百も承知してるんですよ。フェラシーンが異様にエロくてな、すっげえ抜けるんだよ。何度でも借りたいんだよ。わかってんだよ、何度も借りてるってのは。そんなのな、指摘されなくても分かってるんだよ。あーあ、ギャルな客とかすげえ勢いで俺のこと見てるじゃんかよー、恥ずかしい。

なんてことがあったのです。僕も僕で追い込まれた挙句、「いいんです、分かってます。これが抜けるんですから」みたいなことを開き直って言うしかなかったのです。店員さんも親切心で言ってるわけですからキレるわけにもいかず、なんとも悶々としたのを今でも覚えています。

結局ですね、こういったメンタル面に関する事象においてですはね、触れないことも一つの優しさ、親切なんですよ。あ、この人前にもこのビデオ借りてるな、指摘してあげたいけどビデオはエロだしな、ここは指摘してあげないのが優しさだろうな、誰だってこんなこと指摘されたら恥ずかしいもの。こんな無関心さこそが優しさになるってことも確かに存在するのですよね。無関心や無視ってのはとかく不親切なことに思われがちですけど、間違いなく優しさゆえの無関心ってのも存在するんです。

他にもこんな事例もございます。数日前のことでした。

その日は、エロ本を買うべく大車輪の勢いでコンビニへと向かいました。やはり僕かて健全な27歳の男性ですから、エロ本とかエロいことには大変興味があります。それこそ最高級に吟味してですね、この一冊!と言えるようなエロ本を買うためにコンビニに行ったのです。

雑誌コーナーでは、変なオタクのお兄ちゃんがジャンプを立ち読みしていました。また、明らかに駅弁ファックとかを毎夜やっていそうなカップルが仲睦まじく立ち読みをしておりました。

そんなクズどもを押しのけ、僕は僕でエロ本コーナーの前に仁王立ち。どのエロ本を買うべきか真剣に吟味を始めたのでした。僕は写真系のエロ本よりもマンガ系のエロ本派ですので、適当にマンガエロ本が集中している辺りの本を手に取ります。

まず表紙を見て萌えるかどうか判定し、パラパラと内容を見て作家陣を確認します。ここで大好きな作家のマンガが掲載されていれば即買いとなるのですが、あいにくこの日はそのような本は見当たりませんでした。

で、さまざまな角度から吟味した結果、その日は「本当に会ったHな話」とかいう、最近特にマンガエロ本界で勢力を伸ばしているエロい体験談の投稿や風俗体験談をマンガに起こしたものを購入することに決めたのです。

しかしながら、ここで問題がひとつ、この僕が購入を決めた「本当にあったHな話」という雑誌ですが、どう見ても在庫が二冊程度しかないのです。売れちゃったのか最初から入荷してなかった知りませんけど、とにかく2冊しかなかったのです。

しかもその二冊、どちらとも表紙が破れてるんです。一冊の方は、誰かが陳列棚に戻す際に失敗したのか、棚の枠に引っかかったのか、表紙下部がベリベリに、20センチぐらいに渡って破れてるんですわ。で、もう一冊のほうは明らかに表紙の留めが甘かったらしく、表紙と裏表紙がセットでベコッと取れかけてるの。まさに首の皮一枚繋がってる状態。

できれば表紙が破れているような本って買いたくないじゃないですか。自分の好きな小説とか、大好きなマンガの単行本とか、やっぱ金を出して買うものだから破れてるのは避けたい、そう思うのが人情じゃないですか。

でもね、これはエロ本なんですよ、見るからにエロ本なんですよ。単行本なんかは「単行本を持ってる!」っていうコレクション性も大切ですから、表紙が破れてるのとか避けたいのですけど、ぶっちゃけエロ本なら表紙なんてどうでもいいんですよね。マジで、下手したら表紙がなくてもいいくらい。

それでまあ、他に目ぼしいエロ本もないですし、このエロ本なら抜けるだろうって核心もありましたから、表紙下部がベリベリに破れているのを手にとってレジへと行ったのですよね。そしたらアンタ、親切なセブンイレブンの店員さんがさ

「あ、これ破れてるますね。お取替えしましょうか?」

とか言うんですよ。精一杯の親切心で言うんですよ。僕はもう、エロ本を手にそんなセリフを吐かれてるだけで恥ずかしくて死にそうですから、「いいんです、エロ本なんで破れてろうが関係ない、だって抜ければいいんだもん」とは言えず。

「あ、そうなんですか?じゃあ取替えお願いします」

とか言うてました。あたかも今まさに破れに気がついたような素振りで言ってました。憎い、自分の弱さが憎い。取替えって言っても棚にあるのはあと一冊だけ、しかもそれすらも表紙が取れかかっているということが分かっているのに、それでも言ってました。

で、店員さんがエロ本コーナーに行って取り替えようとしてくれたんですけど、何処をどう探しても破れているヤツしかない。もう10分くらいの時間を割いて探してくれたんですけど、全然見つからない。その間も僕は「破れたエロ本の交換を願い出たヤツ」という烙印を押され、レジの前で佇んでいました。

結局、必死で探してくれた店員さんの情熱空しく、

「すいません、在庫のもう一冊のほうも破れてまして・・・もうこれしかないのですよね・・・どうされますか?」

とか、ものすごく申し訳なさそうに訊かれました。さすがに僕も恥ずかしすぎて、「もう買わない」と言って逃げ出そうと思ったのですが、それでは「表紙が破れてるだけでエロ本を買わない」→「コレクション性を重視するエロ本コレクター」と思われる可能性がありますので、

「ははは、じゃあ破れているのでいいですよ。関係ないですもんね、表紙なんて、はははは」

などと照英より無邪気な笑顔で言ってました。

まあ、結局、「表紙が破れていようが関係なくエロ本を買った客、そこまでエロ本が欲しかったのか」という烙印を押されたわけで、ものすごい恥をかいたんですよね。

結局ですね、こういう親切心ってのはアレ何だと思うんですよ。相手は本当に僕のことを思って、優しさと親切を持って言ってくれてわけですから、できれば無下に断りたくないんですよね。だから、もう1個の在庫のほうも破れているって分かっていても、それでも無下に断れない。で、そんな中途半端なもことするから、より一層恥をかいちゃうことになる。なんというか難しいよね、親切って。

親切とは大切なもの、人々を少しだけ優しくし、暖かくしてくれるもの。けれども、「親切からくる迷惑」「余計なお世話」などはけっこう性質が悪いので、その辺のパワーバランスが難しいなぁ、と思うのです。

親切故の無関心、あえて触れてあげないのも親切、そういうのもきっとあるんだと思います。

まあ、何が言いたかといいますと、0時前後にplalaが落ちててNumeriが見れなかったかとか、1/24の日記の「フロッピーを発明したのはドクター中松じゃない」とか、そういった報告やツッコミのメールを頂くのはすごくありがたいのです。そういった親切心から来ているメールはすごくありがたいのですけど、それを職場の同僚に朝一で、しかも口頭で言われるのはちょっと違うんじゃないかなと思うのです。

うん、やっぱサイトバレしてるんじゃねえかコノヤロウ。

やっぱさ、言わない優しさってあると思うんだけどな・・・。

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