矛盾の喫煙所

矛盾の喫煙所

世の中なんて矛盾だらけだ。

円滑に社会生活を営もうとするならば、ある程度の矛盾には目をつぶらなければ生きていけない。街のあちこちには数多くの矛盾が存在し、社会に属する僕らの周りには多くの矛盾がぶら下がっている。

矛盾した点を絶対に許さないというのは限りなくロジカルな理論の世界だけのお話で、そこでは「AはBである、しかしAはBではない」なんていう矛盾は絶対に許されない。AはBなのか、あるいはそうではないのか、そのどちらかだけで全てが数式化される。

僕らの住んでるこの世界は、理論の世界のようにはいかない。全てを数式化できるわけではないし、矛盾を許容しながら生きていかなければならない。ある時は歴然と存在する矛盾に目をつぶらねばならないし、ある時は徹底的に矛盾を糾弾しなければならない。

例えば、矛盾が大いなる悪とするならば、それらを必要悪と割り切って見て見ぬふりをすることもある。けれども、マスコミや世論など、民衆の流れは大いなる矛盾を徹底的に糾弾することもある。許容したり糾弾したり、もはやそれ自体が矛盾になってしまっているとすら感じる。

また、歴然として存在する矛盾に気がつかないこともある。確かに矛盾が存在するのに、明らかにおかしいのに、あまりにその矛盾が堂々としているためか、矛盾であることを感じさせない、矛盾を感じない、そんな矛盾も確かに存在する。

先日のことだった。

僕が職場の喫煙所でタバコを吸っていた時のこと。廊下の一角に設置された、まるで隔離病棟かと見間違えるほど厳重に隔てられた喫煙所で白煙を吐き出していた時のこと。

僕が心底落ち着いてタバコを吸っていると、何だか知らないけど急に怒鳴られたんですよね。ホント突然に、まさに青天の霹靂といった趣で怒鳴られたのです。しかもその怒鳴られた内容が、

「こら!ここでタバコ吸うんじゃない!」

ですからね。喫煙所でタバコを吸っていて怒られる、タバコを吸うべき喫煙所でタバコを吸うなと怒られる、その歴然たる矛盾に心底震え上がったのです。

見ると、怒鳴り声のヌシは初老の老人でした。彼はエメラルドグリーンっぽい作業着を着ており、右手にはモップを左手には青いプラスティック製のバケツを持っておりました。おそらく我が職場に出入りの清掃業者の方だと思われます。

上司やB子に怒られるのならいつもと変わらぬ光景なのですが、掃除のおじさんにいきなり怒られるという日常に潜むアウターゾーンにパニックになっちゃった僕は

「いや、はい、すいません。今度から気をつけます」

と、何だか知らないけど平謝りでした。喫煙所でタバコを吸っていてタバコを吸うなと怒られる。しかも僕も僕で「喫煙所で吸って何が悪いんですか」と反論するわけでなく、ただただ平謝り。なんだかもう訳の分からない状態になってました。

「だいたいだな、タバコなんて百害あって一利なしなんだよ」

相変わらず強気な掃除のオッサンは、すっとモップを立てかけるとぼくの向かいに置いてある椅子に腰掛けた。ちょうど灰皿を挟んで僕と向かい合うような形で鎮座する掃除のオッサン。

「そもそも、わしはタバコなんて吸わん。あれは金ばっかりかかるからな」

などと、急に説教じみた話を始める掃除のオッサン。いや、あんた掃除をするのが仕事やん?なんでそんなとこに腰かけて雄弁に語ってるの?とか疑問に思うのですけど、あまりにそうのオッサンが堂々と説教してくるもんですから

「はぁ、そうですねぇ」

とか、すげえしおらしく話を聞いてました。

「オマエらは灰や吸殻を灰皿に入れず、その辺にポンポン投げるやろ、それを掃除するのはワシらなんだぞ」

掃除のオッサンはいたくご立腹らしく、顔を真っ赤にして怒っておりました。僕は灰も吸殻もちゃんと灰皿に捨てるマナー良き喫煙者ですから、オッサンの怒りとは無関係と思われるのですが、それでも

「申し訳ございません、以後気をつけます」

とか謝ってました。

僕のあまりの気の弱さにハッスルしたオッサンはもう止まらず、

「そもそもな、アンタほど若い青年はタバコなんて吸ってはいかん。若い頃はガムシャラに仕事して、ガムシャラに金をためなきゃいかん。タバコや遊びに金を使ってる場合じゃないぞ!」

とか、喫煙所でタバコを吸っていて怒られるだけならまだしも、それどころか人生について熱く諭していただきました。

「嫁も慎重に選ばなきゃいかん。節約し、金をため、仕事に没頭することを理解できる嫁を選ばなきゃいかん。見てくれなんてのはその次なんだよ。ウチの嫁は理解があってなぁ」

とか、掃除のオッサンのワイフの自慢話に発展する始末。誰かこの人を止めてください。なんで僕はなんでこの人に人生設計を語られてるんだろう、と疑問に思いつつも、あまりにもオッサンが堂々としているもんですから話に聞き入っておりました。

「ワシはな、27歳の時に500万円貯めて家を買った。それでワシの人生は変わった。27歳までに500万貯めてみろよ!そうすれば人生変わるから!27歳までが最後のチャンスなんだから!」

とか、500万円貯金指令まで出る騒ぎに発展。27歳までに500万円貯めれば人生変わる、だからオマエもやってみろよ!と言ってるわけなんですが、ここで大きな疑問が1つ。

いや、僕もう27歳ですやん。今年には28歳になりますやん。貯金なんて500万円には程遠いですやん。27歳までに500万円貯めるとか、もう明らかにノーサイドになってるわけなんですよね。

「いや・・・あの・・・僕もう27歳なんですけど・・・」

と、何故だか知りませんけど僕が申し訳なさそうにカミングアウトしますと

「22歳くらいかと思ったよ・・・アンタ、幼いな・・・・」

とか、出っ腹で異様にオッサン臭い僕を捕まえて「幼い」とか有り得ないことを言ってました。幼いなんて初めて言われたわ。

「ととと、とにかく、32歳までに1000万円貯めろ、そうすれば人生変わるから」

期限5年延長、おまけに目標貯金額二倍にアップ!

おいおい、27までに500万が最後のチャンスじゃねえのかよ、あんたさっきから言ってることポンポン変わるよな。明らかに矛盾してるじゃねえか。

まあ、このオッサンは明らかに矛盾点が山のように存在しておりまして、喫煙所でタバコを吸ってるだけで怒られるとか、清掃業者の人なのに掃除もせずに説教に熱心だとか、語る人生論がポンポン変わるとか、矛盾点だらけなんですけど、堂々とそれを見せつけてくるもんですから、あまり不可思議には感じないんですよね。そういうもんだと思っちゃう。

でもね、そのオッサン、そっからが更に凄かった。

狂ったように説教をかまし、余程気を良くしたのかおもむろにタバコを取り出してですね、プハーとか吸い始めちゃったのですよ。どうなってんだ、コイツ。

いやいやいや、あんたさっきココでタバコ吸うなとか怒ってたやん。タバコなんて百害あって一利なしって言ってやん。ワシはタバコなんて吸わないって言ってたやん。何でアンタ、タバコ吸ってるの?

と、あまりに矛盾したことを言っているオッサンに対し、明らかに矛盾を感じるのでした。さすがにこれはいくら堂々と言われようとも、矛盾を感じずにはいられない。

しかもそっからが圧巻で、掃除のオッサン、タバコ吸いながら灰をドコドコと床に落とすのな。オマケに吸殻も灰皿に捨てず、ペイッとその辺の床に放り投げて踏んで消してるの。

「オマエらは灰や吸殻を灰皿に入れず、その辺にポンポン投げるやろ、それを掃除するのはワシらなんだぞ」

っていう最初のオッサンのセリフがリフレインして、おいおい、喫煙所でタバコ吸って汚してるのは他でもないオマエじゃないか、よくもまあ、あんなこと言えたものだなあ、と矛盾だとかそういったものを超越した何かを感じるのでした。

「じゃあ、ワシは仕事に戻るから。アンタも頑張ってお金貯めろよ」

長い長い説教が終わり、モップ片手に喫煙所から出て行ったオッサン。途方に暮れる僕とオッサンの捨てた吸殻だけが喫煙所に残されました。

オッサンの言動もそうですが、存在自体が矛盾しており、明らかに何かがおかしいと思いつつも、僕はオッサンが捨てた吸殻を拾い、オッサンガ落とした灰を綺麗に掃除するのでした。

普通は僕ら社員が汚した部分を清掃業者であるオッサンが掃除する。それが役割分担ですからそうなるはずなのですが、清掃業者が汚した部分を社員である僕が掃除する。その一連の矛盾に疑問を感じつつも、

世の中は矛盾だらけ、ある程度は許容しなきゃしょうがないよな、って思いながら掃除するのでした。

堂々と存在する矛盾、矛盾がありすぎて訳わかんなくなる矛盾、社会生活を円滑に進めるために必要な矛盾、僕らはこういった矛盾に目をつぶりながら、あるいは見てみぬふり、もしくは気がつかないまま生きているんだなあと実感するのでした。昼下がりの喫煙所で。

でもまあ、どうしても疑問に思わずにいられない矛盾がありまして、僕が喫煙所から引き上げようと廊下を歩いておりましたところ、廊下の隅のほうでさっきのオッサンが上司っぽい人に怒られていました。

「ちょっと、またサボってたでしょ。このフロアの掃除全然終わってないじゃない。苦情が来てるんだからね。そんなことなら辞めてもらうよ」

と、オッサンより何歳も若そうな上司に嫌味ったらしく言われ、モップ片手に何度何度も「すいませんすいません」と謝るオッサン。もしかしたら彼は長年勤めた会社をリストラされ、嫌々清掃業者で働き、自分より何倍も若い上司の下でペコペコしながら働いているのかもしれません。もう、肉体を使うような仕事はキツイ年齢だというのに。

モップ片手に平謝りのオッサンを見て、さっき「ワシはな、27歳の時に500万円貯めて家を買った。それでワシの人生は変わった。27歳までに500万貯めてみろよ!そうすれば人生変わるから!27歳までが最後のチャンスなんだから!」と豪語していたオッサンの人生、一体どのように変わったのだろうかとしきりに疑問に思うのでした。

まあ、オッサンも若造とかに説教垂れてストレスを発散させないとやりきれないわな、また聞いてやるから上司にばれないように喫煙所に来なさいや。また1つ喫煙所に行く楽しみが増えた僕は、ルンルン気分で廊下を歩くのでした。

あれだけ怒られ、説教されたのに、それを楽しみにしている僕。思えばそれが一番矛盾しているかもしれない。

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