千と千尋の神隠し

千と千尋の神隠し

「千と千尋の神隠し」という映画があります。

あまりにも大ヒットした映画ですので皆さんご存知かと思います。この映画の魅力について詳細に語ると、それこそいつもの10倍くらいの長さの日記になってしまう危険があります。ですから、端的に「千と千尋の神隠し」の魅力について語らせていただきます。

このお話は、何気なく普通に暮らしていた千尋が、ひょんなことから不思議の街に家族ごと迷い込んでしまう不思議ストーリーなわけです。まずこの非日常性がなんといっても魅力ですね。誰もが心のどこかに潜めている冒険心をほど良く刺激してくれる。

そして作品中に秘められたメッセージ性。最近の宮崎アニメは特にメッセージカラーが強いような傾向にあります。それの最たるものが「千と千尋」ではないかと。この作品には多くのメッセージが複合的に盛り込まれていると感じました。

一つに、以前にも書いた「言葉の力」。現代で希薄になり何ら効力を持たなくなった「言葉」というものが不思議の世界では大きな力を発揮します。

そして、「カオナシ」の存在。千尋や人々の気を惹こうと金を出したりするカオナシ。それが受け入れられなくなると大暴れする傍若無人な態度。常に心の中では「さみしい さみしい」と繰り返す。どこか、現代の人間、それも日本人の生き写しのような感じすらします。どこかで聞いた話ですが、この映画を海外で上映した際にヨーロッパ人はカオナシが理解できたがアメリカ人は全く理解できなかったそうです。ある特定の国民性を持った人種にしかカオナシの存在は心に響かないようです。

あと、古き良き日本といった主張も見られます。神々を大切に思う気持ちや、八百万が湯治に訪れる油屋。そして、日本的な風景にレトロな電車、などなどまるでどこかに置き忘れてきたような風景が数多く登場するのです。「もののけ姫」あたりから顕著にみられる傾向ですが、宮崎先生は間違いなく作品の根底に「古き良き日本」というものを置いています。

最後に、ロリの魅力。宮崎先生は真性のロリであると断言できるほど少女描写が素晴らしい。ただカワイイだけではロリは惹かれないという部分をよく理解してらっしゃる。作品の設定では、千尋は「ちょっとブスで自分の容姿に自信のない少女」となっています。確かに、他の宮崎アニメに登場するヒロインに比べて千尋は異質なものがあります。ちょっとホッペが膨らんでいてさほど目も大きくない。「となりのトトロ」のメイがそのまま大きくなったような印象さえ受けます。真のロリは、美人でお人形のような娘には反応しません。ややブスでもふっくらしていて、なおかつ感情表現が豊か。落ち込んだり元気だったり、それでも真っ直ぐな心を忘れない、といった千尋そのままの少女に萌えるのです。現実のイメージで言うと加護みたいなものです。ここまでロリ心をくすぐるキャラはモノホンのロリにしか作れないのです。

とまあ、様々な魅力やメッセージが散りばめられているこの作品。これ以外にも山ほどあるのですが、さすがに全部は書き切れません。「耳をすませば」の魅力を以前にも書いたことがあるのですが、それとは違った趣があるのです。

しかし、たしかに素晴らしい作品なのですが、リアリズムと言うか何と言うか、何かが足りないのです。やはり宮崎アニメです、多くの子供が見るでしょう。そうなるとどうしても性的部分のアピールが薄れてしまい、それが作品の現実感を失わせてしまっているのです。

何も、神隠しだとか八百万の神々とか非科学的なものが出てくるから現実味がないと言っているわけではありません。

もともと、日本の各所に残る神隠し伝説の中には、「千と千尋」のような言い伝えが残っているものも多くあるのです。ある日、突然に女の子が消えうせる。神が住むといわれている山に少女が行ったっきり帰ってこない。

そうすると、昔の人は「神隠しだ」と騒いだものです。で、お話にもあるように神隠しにあった少女は、神様に仕えて入浴などのお手伝いをしている、と決め付けられていたのです。そうすることによって残された家族などの気持ちを慰めたのでしょうね。

つまり、「千と千尋」のお話自体は古くから残る伝説に沿ったものであり、全くの創作話ではないのです。しかし、何度も言うようにそこは宮崎アニメ。やはり性的部分は極力排除されているのです。

映画中の千尋は、神隠しにあって湯屋で働くことになります。そこは神様が疲れを癒しに来るお風呂屋さんなのです。そこで、風呂の掃除をしたり部屋の掃除をしたりするわけですね。まさに伝説どおり「神様の入浴のお手伝い」だと言えるかもしれません。

ところがどっこい、その伝説を紐解いてみますと、本当はもっと肉々しい内容だったのです。伝説では、神隠しにあった少女は神様の入浴のお手伝いをしている、とあります。実の所、これはニュアンス的には本当に入浴のお手伝いになるのです。

映画中のように風呂の掃除などという生易しいものではありません。それこそ神様の背中をお流ししたりするのです。もちろん、スポンジとかタオルとかで流すわけではありません。バディを駆使して洗うのです。水からのバディを擦り付けるようにして神様の体を洗う。神様のイチモツをチュパチャプスして洗う。時には性的サービスもといった感じなのです。本当に肉々しい内容で衝撃的なのですが、古い文献などにはそう記されているのですから仕方ありません。

そう、いうなれば神隠しにあった少女は、現代で言う所のソープランドのようなサービスを神様相手に相手に行っているとされていたのです。なんともまあ言葉になりません。

いたいけない少女のバディで洗われ
いたいけない少女の口でチュパチャプス

時にはローションプレイや潜望鏡、マットプレイ、本番まで強いられていたかもしれません。

随分と神様というのは素敵なものです。僕も神様になりたいぐらいです。

結局、宮崎先生はそういった伝説の真実を知っていたと思うのですよ。知っててあえてそういった内容を伏せた。それはそれでロリが興奮することを先生はちゃんと知っているのです。彼はモノホンですから。

きちんと伝説上の設定にのっとって「千と千尋の神隠し」のあらすじを述べるとこのようになります。

ある日、家族と共に不思議の世界に迷い込んだ千尋。両親は神様をもてなす為に用意された料理を食べてしまいます。そしてブタに変えられる。

一気に不思議の世界に夜が訪れ、町々がピンク色のネオンで彩られていきます。途方に暮れる千尋。もう現世には帰れないことを悟ります。

そこで出会った白という青年。実は彼はソープランドYUYAの総支配人だったのです。

「お嬢ちゃん、ちょっとソープで働いてみないかい?お嬢ちゃんならすぐにナンバーワンになれるよ、そしたら両親と一緒に元の世界にもすぐに帰れるよ、うひひひ」

仕方なくソープランドYUYAで働くことにした千尋。「千」という源氏名で働くことになります。

まずはじめは白総支配人による実技指導です。実地で一通りソープテクニックを教え込まれる千。「ほれほれ、そんなテクニックじゃ両親は返せないぞ」不適に笑う白総支配人。オーナー(湯婆婆)も「指名が取れなきゃ動物に変えてやる」とふてぶてしく笑います。

一通りの研修が終わると、千にもお客がつけられました。土地神や様々な下級神、 半妖怪やお化けたち。古くからこの国に棲む霊々が千の客になりました。個室のお風呂で献身的にサービスをする千。最初は不慣れと緊張から多くの失敗をしました。

しかし、必死で頑張る姿は神々の心にも響き、千はたちまち人気ソープ嬢となりました。特にフェラチオとマットプレイが絶品と評判で、多くのリピーターを獲得したのです。

そんな折、ソープランドYUYAに悪夢のような客が訪れます。「カオナシ」と呼ばれる客は、精力絶倫で偽金でプレイする、気に食わないことがあると大暴れと各店のブラックリストにも載るほどでした。そんな最悪の客が千を指名してきたのです。

もちろん、千は客を分け隔てなくもてなす主義です。嫌な客でもプロに徹して、ソープ嬢として接客しました。そんな千の接客にいたく感動したカオナシ。各店で傍若無人な振る舞いで嫌われまくった彼の心にも癒されていきます。

しかし、千のことを気に入りすぎてしまったカオナシは、何度も何度も千を指名しダブルで入ったりトリプルで入ったりとやりたい放題。最終的にはストーカー行為にまで及ぶのです。

「お客さん、女の子へのストーカー行為は困りますよ。今後は出入禁止にさせていただきます」

やんわりと注意するオーナー(湯婆婆)。しかし、それが気に入らなかったのかカオナシは大暴れします。

「千を出せ!千を出せ!俺は客だぞ!」

もはや大暴れのカオナシ。もう誰の手でも止められません。

そんなおり、白総支配人が風営法違反で逮捕されたというニュースが飛び込んできます。ソープランドYUYAに衝撃が走りました。支配人もいなければ悪質な客も暴れている。もはや四面楚歌の状態でした。

「わたしが・・・わたしが頑張らなきゃ」

指名本数ナンバーワンである千は奮起します。なんとかカオナシとのトラブルも処理し、今まで以上のサービスで多くの客を掴みます。そして大金を手にし、白総支配人の保釈金まで用意します。

警察から釈放された支配人は、千に恩義を感じます。さらに店の危機を救った千に対してオーナー(湯婆婆)も感謝します。

「千は充分にやった。もう両親は返してあげる」

「ナンバーワンの姫がいなくなるのは痛手だけど・・・仕方ないわね」

そういって千はソープランドYUYAを退店するのです。しかし、多くの固定客が離れないようにするため表向きは「長期休業」という形になりました。

こうして、ナンバーワンの姫は失ったもののソープランドYUYAには平和が訪れました。入浴料3万円、総額8万円という値段設定もそのままで高級ソープとしての名を欲しいままにしていました。今日も笑顔で店の前を掃除する白総支配人の姿が見えます。相変わらずちょび髭に蝶ネクタイと怪しい外見です。総支配人はいつも言います「また人間界からいい姫が迷い込んでこないかな」って

一方、無事両親と共に人間界に戻ることができた千尋。それでもソープテクが忘れられず、たまにお父さんにお風呂でやってあげたりすると大喜びされました。

その後、成長した千尋は吉原最強の高級ソープ嬢として活躍することになります。神々を魅了したテクですから、人間などひとたまりもなく昇天させられてしまうのでした。

とまあ、伝説にのっとるとこのような内容に変わってしまうのです。結局何が言いたいのかといいますと、真性のロリは、あんな素敵な映画を見ても上記のようなことを想像してしまうということです。というか、これがあの映画の正しい見方。

作った人もモノホンのロリなら

見る人もモノホンのロリでないと本質が見えない。

結局、見る人を選ぶ映画だっていうことですな。

Numeri 2年目突入の最初の日記がこんな内容だってのもアレですな。

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