子供の目から見た大人

子供の目から見た大人

ワタクシ、休日はインターネットカフェに行くんだと以前にも書きましたが、毎週行っている訳ではありません。今日みたいに天気の良い日は不健康にインターネットなかやってる場合ではないですので、近所の公園に行ったりします。

休日の公園は、親子連れや子供達、新妻や熟女がわんさかといます。そんな新妻や熟女を眺めつつ、ベンチに座りボンヤリと過ごすのが好きなのです。

今日もベンチに座りボンヤリと過ごしていたところ、1人の幼女が僕に近づいてきました。

「おじちゃん、ちょうちょ捕まえた」

世の中のことを知らないというのは恐ろしくもあり、かわいくもあります。僕のような不気味な青年が1人で公園のベンチに佇んでいるのです。良識ある大人なら警戒して近づかないどころか警察を呼ぶでしょう。しかし、幼女は何ら警戒せず、蝶々を捕まえた喜びから僕に報告してきたのです。不意を突かれた僕は

「そうかー偉いねー。でも蝶々さんが可哀想だから放してあげなさい」

と精一杯の優しさでいいました。みると幼女の手には蝶ではなく蛾が握られていました。なんか粉がついて幼女の手が黄色くなっていました。かなり頭が可哀想な幼女のようです。しかし、素直に僕の言うがままに自称蝶を放した彼女は素直でカワイイなと思いました。

「バイバイ、ちょうちょさん」

そういいながら手を振る幼女を見ていると、捕まえて家に持ち帰りたい衝動に駆られましたが、MajiでHanzai5秒前なのでやめておきました。まだまだ捕まりたくはありません。

というか、今日述べたかったことは僕のロリ趣味のことではないのです。本題はココからなんです。心して読んで下さい。

公園の片隅で子供達が遊んでいたのです。小学校高学年ぐらいでしょうか、元気に遊んでいました。最近ではゲーム機やパソコンを使って家の中で遊ぶ子供達が増えていると聞きましたが、寒くても外で遊ぶ子供達はちゃんといるんですね、などと感心したのですが、どうにも様子がおかしいのです。

なにやら鬼ごっこみたいな遊びをやっているようなのですが、一人の男の子が執拗に皆に狙われ、殴る蹴るされているのです。ええ、ハッキリと分かりました。遊びにかこつけたイジメというヤツです。

「イジメ、カッコワルイ」

その様子をしばらく静観していた僕ですが、突如、前園ばりに怒りが込み上げてきた僕は助けようと思ったのですが、面倒に巻きこまれるのは御免なので終始静観しておりました。

一通りいじめ終わるといじめっ子達は楽しそうに帰っていき、イジメられっ子だけが公園に残されました。もう彼は泥だらけで泣いていました。 僕も可哀想になってきたので、近づいていって話し掛けてみました。

「坊主、いじめられてるのか?」

しかし坊主は答えようとしません。泣きじゃくっているだけです。

「いじめられてるならお父さんお母さんに言ってなんとかしてもらいなさい」

などとえらく無責任なアドバイスをしてみました。しかし彼は親には絶対にいじめられていることを言わないと思います。

親が思っている以上に子供は親のことを大切に思っているものです。自分がいじめられていることを親に告げたらどんなに親が悲しみ落胆するか子供はわかっているのです。親にそんな悲しい思いをさせるぐらいなら、自分だけが我慢し辛い思いをする方がどれだけましか。そんな親に対する思いやりを持った子に対するイジメだけが表面化せず陰湿に続いていくわけです。なんともやるせないものです。

「もう自分でなんとかするしかないと思うよ、体を鍛えてケンカ強くなるとか」

またもや僕の無責任アドバイスが飛び出します。「強くなりたい」そういう願いを持った少年が僕と共にトレーニングを積み重ね、いじめっ子への復讐をを目指す。共に苦しいトレーニングを積み重ねるうちに少年の復讐心は薄れていきます。「師匠、僕は最近考えるのです。力による復讐は何も生まないのではないのですか?あるのは悲しみだけだと」その言葉を受けて感動した僕は「やっと分かってくれたか、復讐など所詮は悲しいものよ」などと言います。そして二人はいじめっ子への復讐など忘れ、最強の格闘家を目指しトレーニングを続けるのです。

というようなストーリーが膨らんでいました。しかし少年はキッパリといいました。

「いいんだ、力で勝とうとは思わない。僕は勉強して裁判官になってあいつらを裁いてやるんだ」

と言ってました。そのドライな考え方に驚いた僕は、

「そうか、頑張ってね」

とだけ助言し公園を去りました。最近の子供は怖いです。

今日はそんな日曜日でした。

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