もみじ狩りとさくら狩り

もみじ狩りとさくら狩り

すっかり秋です。秋の見所といえばやはり紅葉になるわけですが、私の近所の木々もすっかり赤く色づき、それはそれは鮮やかな色彩を放っております。

普段は脇役である木々たちも秋となると人々の注目を浴び、季節の風物詩となります。秋の主役はそこら中にある木々たちと言えるでしょう。
また、春になると、今度はサクラが多くの人々に注目されるようになります。春の主役はサクラといえます。

春と秋、この二つの季節は植物に対して大きな注目が寄せられる季節であると思います。他にも初夏の新緑の美しさなどありますが、やはり注目度では真っ赤に染まった紅葉と満開のサクラがずば抜けているでしょう。

春は「お花見」
秋は「もみじ狩り」

と現代では呼ばれています。どちらもその季節の代表たる木々が実力をいかんなく発揮している様を見る行動を指す訳ですが、古くは奈良時代後期、万葉集の時代にはどちらも

春は「さくら狩り」
秋は「もみじ狩り」

と呼ばれていました。
なぜか「さくら狩り」だけが「お花見」に取って代わり、「もみじ狩り」だけは今尚残っているわけですね。

僕はこういった昔の言葉ですとか言い回しとかは良く分からないのですが、
「狩る」という言葉は昔は上品な言葉だったのではないかと思うのです。

現代では「オヤジ狩り」や「エアマックス狩り」などに代表されるように
かなりネガティブキャンペーンが張られている「狩る」ですが、

昔は、上品に木々の彩りを目で見てオホホと微笑む
ちょいと野山にいって木々の彩りを狩ってきますわよ
みたいな上品な意味合いで使われていたのかもしれません

「蛍狩り」という夏の風物詩もありました。
何故かこれだけは「蛍を捕らえる遊び」として記述されています。つまり現代の「狩る」という意味に近いわけです。
しかし、その背景には美しい蛍を見て楽しむという意味合いがあったのだろうと思います。

そして江戸時代には「鷹狩り」が大流行。将軍様の娯楽として大ブレイクしました。
これはもはや鷹の雄大な姿を見て楽しむといったことはなく
単純に捕まえることを目的とした行為でありました。
また兵隊を指揮する訓練および団結力の向上という側面もありましたが・・・。
この「鷹狩り」が現代の「狩る」という言葉のネガティブキャンペーンのはじまりだったのではないかと思うのです。

もみじ狩り-山野にもみじを見物に行くこと
さくら狩り-サクラの花の見物に歩きまわること

と辞書にはあります。つまり美しい木々を散策するという行為なんです。
これで謎が解けました。
何故、「さくら狩り」は「お花見」に姿を変えたのか。

現代での花見は既にサクラを見ることが主目的ではなくなっているからなんですね。
桜の木の下に敷物を敷き、桜など目もくれずドンちゃん騒ぎ。
本来の「桜を目で見て愛でるように楽しむ」という目的はなくなっている。
そういうことなんじゃないかなと思うのです

満開の桜を口実に大騒ぎも結構ですが、
やはり古き時代から楽しんできたものを無碍に捨て去ってしまうのは惜しいものです。

今度の春は是非とも「さくら狩り」を楽しんでみたいものです。



え?エロかアイドルの話はどうしたかって?
たまにはこんな話でも書かないとサイトの方向性が制御できなくなっちゃうのよ

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